ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

自分が常に正しいか?

 この疑問に対して、ほぼすべての方がNoといわれるのはもちろんかと思います。ただし、これがこのタイトルの通り第三者的視点に立っていた場合は簡単に言えるのですが、実際の状況の中でそれが言えるでしょうか?

 この自分が正しいかどうかをいかに冷静に見極めることができるかが、やはりチームワークなどを引っ張っていく人のトレーニングポイントかもしれませんね。

 

 自分が「こうだ」と考えて意見を述べた時にある方に、「いやちがう」といわれ、論議を交わしているときに、その方が、言われているお話が、まったく納得できず、受容できなかった場合、それでも自分が正しいと押し切るかそれと自分は正しくないかもと考えることを始めることができるか、こういった状況の時に皆さんどうでしょうか?

 

 ごまウシも、このような状況で議論を交わすときに、なかなか、自分の考えを曲げるときに苦労をすることがあります。何しろ、猪突猛進型の思考がある部分もありますので、議論の相手が、十分納得できるようなお話ができていれば、いいのですが、自身が納得できていない場合は、なかなか、その点を自己を客観的に見ることは難しくなりますよね。

 

 納得できるかどうかというところも、実は、主観的見地に基づいたもの。そのため、その納得自体が主観的な理解であって、客観性に乏しいものがあります。納得できないときに、状況理解につながるかどうかですが、その状況を見まわすことがどれくらいできるでしょうか。

 

 自分自身が納得できない中で、自分が正しいと思っていることに対して、修正を加えたりする考えを導かないといけないとき、こういった状況は、やはり存在はしているとは思いますが、どうしたらよいでしょうか…?

 

 これはとても難しいテーマと思いますが、その瞬間にすっと、自分の立ち位置を他人事のように見据える冷やかさが必要になったりしますね。その取り組み方そのものがとても難しいものとなりますが、冷ややかな目で見ると、自己の負担感なども一気に軽減し、そして、着実に都合の良い動きができたりすることも多かったりします。

 

 日々の生活の中で、取り越し苦労が多いように感じている方には、ぜひ、自分を冷めた目で見るための自己を他人事のように見る視点を身に着けることがとても大切であると感じます。

 

 ストレス社会。ストレスの原因をどうしても周りに求めてしまうところもありますが、実は勝手に自分でストレスを作り上げたり、強めてしまっていたりすることもあることは、日常的にはよくあるお話でもあります。

 価値がんが違うのがそれぞれの個性ですので、その個性同士がぶつかるときには、当然このようなそれぞれが正しいと思う事柄をぶつけ合う姿勢というものが芽生えてくるものです。

 実際のところは、どちらも正しいとは言い切れないことが多かったりします。正しい…なんて言うことは、神様しか言えないことでしょう。

 自己に対する客観性…すました目で自分を見つめる時間を作ってみてはいかがでしょうか?

 

 本日はごまウシの自己への戒めのような思いで

 

 

の記事となりました。

秋がいよいよやってきます。

 この記事は、8月の終わりに書いていますが、載せるタイミングは9月に入ったところになります。以前、残暑という言葉も触れておりましたが、夜のコオロギの鳴き声も始まりましたが、日中のセミの種類もどんどん変わってきていますよね。

 ツクツクボウシが主役を占めるようになってきました。

 

 今年の夏は、きちんとしたという表現は微妙ではありますが、梅雨が明けて、いい天気が一ヶ月くらい続いてから、秋雨に変わっていく、流れではなかったため、セミの舞台の変わり方は、いまいちわかりにくかったかもしれませんが…現在は、ツクツクボウシが支配していることは紛れもなく秋の始まりを意味しています。

 

 セミについての知識は、あくまでごまウシの小学生時代の知識が中心となりますので、時代の流れとともに、知見が変わっているかもしれませんが、ごまウシの経験に基づいた、セミの活動の流れはこのような流れになっているかなと思います。

 

 梅雨の最中に、チラリチラリと晴れ間が見えるときに最初に耳にするセミの鳴き声は、ニイニイゼミが中心に始まるでしょうか、山の中ではチッチゼミというとても小さなサイズのセミが鳴いていたりします。因みにニイニイゼミは、ウズラみたいなデザインのセミですね。

 そして梅雨明けの前後から、アブラゼミが、昼間を中心に鳴き始め…夏らしくなった感と思える時期になります。

 梅雨明けとほぼ同じタイミングで、西日本では、クマゼミがけたたましく鳴き始め、山沿いや関東、東北地方では、ミンミンゼミ、ヒグラシなどが鳴き始めてきますね。

 盛夏と言われる時期は、アブラゼミクマゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシこの4種が支配をしていますね。

 そして、お盆が過ぎた頃から、少しずつツクツクボウシが鳴き始め…9月頃には、ツクツクボウシの全盛期を迎えるという流れになっています。

 

 季節の移り変わりを見ていくと、なかなか面白いのですが、セミに限らず、自然の営みは、人間が決めたルールより確実に自然のルールにきっちり守って、動いているようにみえます。

 神社を巡りながら思うことは、もともとの日本の文化は、自然に逆らわず、そのまま受け止めていたように感じます。エアコンなどとても快適ではありますが、自然の環境もきちんと受け止めることも大切なのかなと想ったりします。

 

 さて、これからは、秋の心地よさを楽しむ時期になりますね。

 

 

支流の洪水

 間に記事を入れてしまいましたが、先日のスーパーセルのお話をしましたが、実は、この日の夜は、近所の川が氾濫していまして、ごまウシのところは問題なかったのですが、一部は床下浸水になっていたようで、全国放送でニュース速報として一瞬報道されました。

 最近は河川の氾濫のニュースは時々耳にする事が多いのですが、圧倒的に実はメインの河川ではなくて支流の氾濫が多いのは聞いたことがあるでしょうか?

 

 これにはちょっとした理由があるというのは、ご存じでしょうか?

 

 へっへっへ…知らないだろう…ってごまウシが勝手に思っているので、記事に載せてしまっているわけですが、ご存じの方は、こっそりにんまりと笑っておいてください。

 

 支流の河川は、最終的には本流の河川に合流する形で川の水は、排出されるわけですが、大雨が降ると、支流の水かさが増えることになるのですが、その際は、本流へ大量の水が流入することになります。当然と言えば当然のお話ですが、このときに、大雨の場所によっては、この本流への水の龍に大きな問題が生じることがあります。

 もしも本流の水の流れが大量になっていたらどうでしょう?

 この場合は、支流の水の流入が、妨げられてしまうこととなり、支流の水が、本流になかなか流入できなくなり、結果的に、支流の水がどんどんたまり、水位がどんどん上昇することとなります。そうすると、大雨に対してカバーできるだけの容積がない支流では一気に溢れかえってしまうわけです。

 これが本流はまだ余裕なのに支流があふれてしまう大きな理由となっています。

 厳密に言うと、本流の水が、支流にさらに逆流する現象も起こったりすることでさらに、洪水に発展する場合もあるみたいで、このような現象を内水災害なんて言っているみたいです(この言葉は調べました)

 

 あともう一つの理由は、主流の大きな川は、万全の体制で堤防が築いてありますが、支流はその点が甘かったりしますので、あふれやすいのですね。内水災害も実際のところは、本流と同じくらいの堤防を築いてあれば、必ずしもあふれるとは限らないのですが、予算的なところと支流の川辺の広さ的な問題から難しかったりしますよね。

 

 災害というのは、大きな川がおお越す大きな災害もありますが、小さな川が起こす小さな災害もあり、大雨の時には、やや過剰なまでの警戒をしておくことは決して悪いことではないと思います。

 まだまだこれから台風の季節でもあったりしますので、日頃の災害対策は抜かりなく行っていくことをオススメ致します。

 

 

認知症啓発座談会

 本日は、座談会と称した、イベントに参加をしてきました。座談会という風に言っているのは、ごまウシの発想で、講演会みたいにかしこまった感じではなく、演者と聴者が顔を向き合ってお話しできるくらいの気楽さが会った方が良いと、市の担当者に意見を申し上げて、数年かけて今年初めて開催したもので、今回2回目になります。

 ごまウシの考えでは、実のところは、大きな会場ではなくて、本当にそこかしこにある小さな個人宅のような公民館を借りて、そこで、和室みたいなところでお話をして、みなさんとおしゃべりするような感じでやりたかったのですが、それをやると星の数ほどの予定を組まないといけないということもあって、とりあえずの市の予算として…大きめの公民館を巡ることとなりました。それでも年に6回で、2ヶ月に1回のペースで移動しながらやっていきます。

 今回は、公民館としては、2番目くらいの大きさかな…?氏としては、かなり大きな会場を借りてやってくれました。市の大きなイベントにはこの会場を使ってくれます。

 参加人数はだいぶ絞りましたが…会場はさらに広い場所で…。

演者ブース

 参加者はできる限りうつさないようにとりますとこんな感じになるのですが、因みに手前の青いものは卓球台です。

 まるで物置だと言われそうですが、それでも広々とした会場です。

 いつもはホワイトボードも使うので準備してもらいましたが、本日は、なんとなくリズム的にホワイトボードの日でなかったため、全く使わずに、そして、この演者の椅子にもほとんど座らず、うろうろとしました。

 因みに、4つのグループに分かれてグループワークのような感じでこの座談会は行われました。それぞれのグループで、認知症について気になっているようなこと心配していること、実際に困っていることなどを聞きたいことを話し合ってまとめてもらって、それぞれのテーブルをごまウシが回り、それで、回答していくような動きをしました。そして、最後に総括をするようなスタイルです。

ドーム

 因みに先ほどの写真にもありましたが、天井はこんな感じでドーム状なんですよ。なかなか広い空間で居心地はとてもよかったですね。

 それぞれのグループでは、やはり、これからの心配事や、現在介護中の人への心配などなど現実的な質問が多く出てきました。

 ごまウシの決まり文句も、ここでは披露させて頂きました。

 

 こんな感じで、ごまウシは認知症啓発活動を日々続けております。認知症の啓発座談会や講演会といったイベントを開きたいと考えている行政の方々や団体さん、そして、社内の研修会などなど、ご要望がありましたら、ぜひコメント欄にメッセージなどをお願いしますね。

 その場合は公表せずに、こっそりメールをさせて頂きますので、メールアドレスなどを載せて頂けますと幸いです…。

 営業活動をしてしまったごまウシなのでした。

 

 

神々のお宅巡りVol.81

 本日のお宅巡りは、ほんの短時間勝負でした。

 平日のひとときですが、たまたま、ちょっと外出する用事があり、用事を済ました帰りしなに、ちょっと遠回り…公用車をそのまま回すのは、若干問題があるかと思いながらも、ちょっとだけだからと…思いながら、近くの神社へ…。

縣主神社

 ここの神社は、職場から最も近いところにある神社ですので、歩いて行こうと思えばいけるところですが、そちらに向かう用事がないので、道草でもしない限りは…と言うことで道草です。

 この神社は、隣に大きな公園もあり、とても閑静な場所に位置しています。そして、何よりも注目すべき点は…ってごまウシが注目しているだけですが…私の職場のライバル病院となる○○病院の先代の理事長の名前の書いてある鳥居があることです。

 当院の理事長も、どこかに何か奉納されているはずだと思うのですが、今のところお名前を確認することが出来ず…。

 この神社ではないのですが、狛犬の足元に、あそこのクリニックの先生の名前があったり…とやっぱり、大きくしたところのオーナーさんは、神社に奉納をされているのかなぁって感じてしまいますね。

鳥居

 因みに金幣社というのは、岐阜県の神社の階級分類でして、他の都道府県には、ないルールのようで、金幣社は一番格式の高い神社という意味を示しています。そしてこの鳥居が例の鳥居になります。近づいてお店はしませんが…静かな言い空間が広がっていますね。

本殿

 森の中に、少し大きな広間があって、静かな雰囲気で本殿はありました。

 木々に包まれているところが素敵ですよね。今回記事として載せさせていただいたのは2回目になりますが、前回よりは落ち着いて記事に出来ているかなと思います。

 

 お宅巡りも81回を迎えておきながら、ごまウシはいつも思うのは、なかなか、神社についてのご紹介が素人同然であることですね。色々なサイトで神社のご紹介を見させて頂くのですが、必ず、祀られている神様のお名前から、神社の歴史といったものを説明されているのですが、ごまウシの記事にはそのようなものは一切なし…。

 そろそろ、きちんと掲示を読まなければなりませんね…。

 

 

スーパーセル?

 今年の気候はおかしいなぁ…と思うところでもありますが、夏の夕立は、時々あるものですが、ごまウシの帰宅時間を襲ってきました。

 ただ、幸運なのは、ごまウシが傘を差して歩いているときは小雨であったことで、帰宅までは、決してぬれることはほとんどありませんでした。その点、幸いだったのですが…。それにしても電車のダイヤの乱れはすさまじかったです。

 

 雨は降らなくても外を歩いていると、かなりの恐怖感がありました。とにかく稲妻がすさまじいのです。上空を網目状に張っていたりします。神社巡りをしすぎてしまっているごまウシは、雷神様がご降臨…などと思ってしまいましたが、自分に落雷してもらっては困るので、いそいそと駅まで…。

 

 電車はタイミングよく入線してきましたが、なかなか発車せず…エアコンのかかった車内で快適にウトウトしながら…発車をまちつつ…そのうち激しい雨が…。

 発車したと思ったら二駅くらいで、運転見合わせに…。

 たまたま、乗換駅であったため、ホッとして乗り換えて、次の電車もたまたま来ましたが…踏切の旅に安全確認…と一旦停車…。

 のんびり、のんびりの帰宅となりました。いつもの2倍から3倍くらいかかったかも…。

 

 たまたま、運転見合わせはあったものの、ごまウシが飼えるときは少しずつ回復したところでしたので、駅で待たされることはありませんでしたが、雨は、電車の敵ですね。

 

 今回の夕立は、雷は、下に落ちているものばかりではなく、空全体に広がっていくタイプの雷が目立ちました。暗闇でみえませんでしたが、こういうタイプの雷は、いわゆるスーパーセルと言われるような大きな積乱雲で見かけるものですね。

 竜巻と言った激しい気象現象が起こる可能性があるスーパーセルは、雨の降る範囲も広く、そして、激しいのが特徴ですね。風も強かったりしますが、風は穏やかでした。

 

 激しい天気の時は、ついつい、不安になりながら、不思議と興奮してしまうごまウシなのでした。

 

 

秋の夜長

 まだ9月に入る前ですが…秋の夜長についてのお話を…

 今朝の通勤の時の駅までの時間、だいぶ朝が暗くなってきたなと思いました。もちろん本日は曇りだったというのもあるのですが、車がヘッドライトをつけて、走っていました。

 

 夏のうれしさは、明るい光を見ながら出勤できることですね。冬になると、くらいうちに出勤することとなりますし、帰宅の時も暗いところを歩くことになるので、お仕事中に外回りをしない限り、太陽を受けた活動は全くできないこととなります。

 朝の日を見なくなった…とまでは言いませんが、朝日が、そろそろ自宅を出る時間には顔を出さない季節になり始めているのかな…と。

 

 日の出、日没の時間は、季節とは、2ヶ月ほどずれていることは、暦上でご存じかと思います。もう既に夏至から2ヶ月が過ぎています。あれだけ朝早く日が出ていたのも、そろそろ秋の基準である、秋分に近づいているわけです。中間地点は、6時に日の出で、18時に日没というタイミングですよね。もちろん厳密なお話ではなくてざっくりしたお話ですが、当然ながら、秋分がもう少しなので、そちらの時間帯に近づいているわけです。朝5時には既に日の出となっているような夏至の時期とは大きく異なり、出勤時間がようやく日の出の時期になるわけですよね。

 なんとなく寂しい思いになってしまいます。

 

 さて、秋の夜長…この言葉は、このような寂しくなるような思いとは全く逆の発想です。ポジティブな考え方ですよね。長くなった夜をどのようにして楽しもうか…と言うことが着眼点です。

 秋の夜長の読書なども一つのお話ですよね。

 自宅に帰ってからもまだ明るかったりすると、どちらか言えば、外活動をまだできるという発想になるわけですが、日没となれば、暗くなった外ではなくて、明るい建物の中で、消灯時間までゆったりと過ごすことができるというものですね。

 このようにして季節の移り変わりを楽しみながら、冬の寒さに備えていくというものですね。

 

 さて、これから本格的な秋の夜長に入ります。

 みなさんの夜の過ごし方はいかがでしょうか?

 

 今年は何をしようかなぁ…。