この疑問に対して、ほぼすべての方がNoといわれるのはもちろんかと思います。ただし、これがこのタイトルの通り第三者的視点に立っていた場合は簡単に言えるのですが、実際の状況の中でそれが言えるでしょうか?
この自分が正しいかどうかをいかに冷静に見極めることができるかが、やはりチームワークなどを引っ張っていく人のトレーニングポイントかもしれませんね。
自分が「こうだ」と考えて意見を述べた時にある方に、「いやちがう」といわれ、論議を交わしているときに、その方が、言われているお話が、まったく納得できず、受容できなかった場合、それでも自分が正しいと押し切るかそれと自分は正しくないかもと考えることを始めることができるか、こういった状況の時に皆さんどうでしょうか?
ごまウシも、このような状況で議論を交わすときに、なかなか、自分の考えを曲げるときに苦労をすることがあります。何しろ、猪突猛進型の思考がある部分もありますので、議論の相手が、十分納得できるようなお話ができていれば、いいのですが、自身が納得できていない場合は、なかなか、その点を自己を客観的に見ることは難しくなりますよね。
納得できるかどうかというところも、実は、主観的見地に基づいたもの。そのため、その納得自体が主観的な理解であって、客観性に乏しいものがあります。納得できないときに、状況理解につながるかどうかですが、その状況を見まわすことがどれくらいできるでしょうか。
自分自身が納得できない中で、自分が正しいと思っていることに対して、修正を加えたりする考えを導かないといけないとき、こういった状況は、やはり存在はしているとは思いますが、どうしたらよいでしょうか…?
これはとても難しいテーマと思いますが、その瞬間にすっと、自分の立ち位置を他人事のように見据える冷やかさが必要になったりしますね。その取り組み方そのものがとても難しいものとなりますが、冷ややかな目で見ると、自己の負担感なども一気に軽減し、そして、着実に都合の良い動きができたりすることも多かったりします。
日々の生活の中で、取り越し苦労が多いように感じている方には、ぜひ、自分を冷めた目で見るための自己を他人事のように見る視点を身に着けることがとても大切であると感じます。
ストレス社会。ストレスの原因をどうしても周りに求めてしまうところもありますが、実は勝手に自分でストレスを作り上げたり、強めてしまっていたりすることもあることは、日常的にはよくあるお話でもあります。
価値がんが違うのがそれぞれの個性ですので、その個性同士がぶつかるときには、当然このようなそれぞれが正しいと思う事柄をぶつけ合う姿勢というものが芽生えてくるものです。
実際のところは、どちらも正しいとは言い切れないことが多かったりします。正しい…なんて言うことは、神様しか言えないことでしょう。
自己に対する客観性…すました目で自分を見つめる時間を作ってみてはいかがでしょうか?
本日はごまウシの自己への戒めのような思いで
の記事となりました。