ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

3周年

 本日は、ごまウシの頭の体操が開設されて、3年が経過する日になりました。

 今までにも複数のブログを立ち上げてきたごまウシですが、これほど続いたのは初めてです。

 

 この3年を振り返ると、ほぼ日々欠かすことなく投稿し続け、ルーチンワークのようになってきたところで、はたと、最近投稿を止めてしまいました。

 

 話題がない・・というわけではなかったのですが、はたと書けなくなってしまいました。

 

 ブログの難しさは、誰かに「〇〇について触れてくれ」といわれることなく、話題を提示してお話していくことにあるのかなと思いました。

 最初のころは、職業柄疾患の話題を触れれば、果てしなくお話ができるものと思っていましたが、「今日はどの病気のお話をしよう」と思いを巡らしていくうちに書けなくなってしまったというところがありました。気づけば、医療的な話題がどんどんなくなり、お宅巡りのお話ばかりとなり、そして、インスタグラムの登場により、そちらに向いてしまったりと…。

 

 ブログに対する向き合い方をチェンジする時期に来たなと思いながら、切り替えられずにすぎてきましたが、今回、思い切って切り替えていこうと思います。

 

 日々の投稿をルーチンとする鍛練的な取り組み方よりは、ナチュラルに表出するコラム的な話題にでも…なんて思っています。

 

 文章はますます短くなりますが、ぜひ、これからのごまウシを見守っていただけますと幸いです。

 よろしくお願いいたします。

 

朝日と祠

 

 

具体的にお話をしましょう

 みなさんは、野菜を具体的に10個速やかに挙げられますか?

 これは、長谷川式簡易知能スケールという認知症の検査で登場する質問になります。実際のところ、認知症になり始めるところで、自ら出力できる語彙数の減少という事が発生します。

自ら出力できる語彙数が減少すると会話の中で具体的な話をするのが難しくなり、とにかく抽象的な会話になってしまいます。

 

 例えば…

 好きな食べ物は?

 

 と言う質問に対して、具体的な語彙の出力が出来なくなると

 「何でも食べる」

 などと言った回答になってしまうことが多くなります。

 

 家族で、最近発言が曖昧になってきたなぁ…?

 ってなってきたら要注意ですね。

 

 ちなみに、日頃から、具体的な語彙をたくさん出力できるようにトレーニングされている場合、具体性のない会話になるまでに時間差が発生するようになり、実質認知症の症状発現までに時間がかかるようになります。

 

 日頃の生活の中では、具体的な名詞などを使うようにすると、発症を遅らせることが出来るかもしれませんね。

 

 

技術鍛錬の日々

 ごまウシの職場には、たくさんの研修医がいます。上級医の指導の下、様々な知識や技術を身に付けている日々です。もちろん知識については、研修医のみなさんは、既に国家試験というもので獲得はしているのですが、ごまウシも昔を振り返ると実感をしたのですが、日常の診療にこの知識が直結して使える感じではないんです。目の前の患者さんと自分の知識とがつながらないという感じでしょうか。無理矢理繋げていくと、いつまでも答えにたどり着けなくて治療そのものがうまく進まない。言い換えると、診断はそこそこできるのだけど、治療というところにたどり着けないというのが適当な表現になるでしょうか。

 国家試験では全く身につかないものとしては、いわゆる実技になりますね。ごまウシの場合は、「口」が全てですので、手先を使った技術は存在しませんが、話法というものは、研修医の頃に比べれば、格段にレベルアップはしていると感じます。こんなごまウシでも20年以上この仕事をしていますので、確かに、まずまず口は達者になっているはずです。

 さて、以前にもご紹介したことがありますが、研修医の技術鍛錬のためのブースがさらにグレードアップをしていたので、写真に撮ってきました。

腹腔鏡ブース

 横からチラリと目に入ったときには、「Youtubeの撮影スタジオみたい…」などとなんとも言えぬイメージを持ちかけていましたが、カメラ越しに鉗子を使って治療を行う腹腔鏡の操作の練習に使っているブースになります。

練習場1

 基本的には、縫合をカメラ越しに行うと言うものですが、なかなか…大変そうです。かつては、画面がなかったので、直接見て練習していましたが、なんとなく左側に見える折り紙は、この鉗子を用いて頑張って織り込んだものです。

練習場2

 ごまウシもちょっと触りたくなりましたが、あくまでごまウシは、手は使わないのと、研修医ではないので、遠巻きに見るだけになりましたが、実際のところ、手先から離れたところでの操作を画面越しに行う感覚というのは、相当になれるのに時間がかかりそうなものですね。

 若手が育つ姿を微笑ましく眺めていられるのも、歳を重ねた結果として見ることのできる楽しみでしょうか…。

 

 

霧に包まれる市街地

 ごまウシの職場は、大きな川である木曽川のほとりにあるところです。冬場になると、頻繁に木曽川の蒸気が包む世界を見ることができます。蒸気というのは言い換えると濃霧と言われるものです。

 通勤電車はまさに霧の中を貫く感じです。

霧に包まれる市街地

 濃霧としては、まだまだなのですが、恐ろしいほどの濃い霧に包まれることがあります。おそらく、外気よりも木曽川の水温が高いのだろうと思うところがあるのですが、それが湯気となって、街を包むことになるのですが、霧が濃くなる状況は、なかなか予測難しい感じがしますね。

 気温が猛烈に下がり氷点下になると霧はあまり目立たなくなります。そして、気温が上がるともちろん霧は出なくなるのですが、今朝は比較的気温の高い雨上がりの朝でした。

 条件としては、雨上がりのような湿度の高いときかもしれませんね。湿度が高く、そして、気温は低いけど、5度前後の少し暖かめの朝に発生するのかな…?

 などと、思いを巡らせています。

 

 ただ、現実的には、かなりの視界不良となっているため、通勤の車の運転にはかなり危険を伴うと感じられるものがあります。

 通勤の運転はぼんやりしがちなときもあるかもしれませんが、ぜひ気を引き締めて事故に遭わないようにして下さいね。

 

 

石橋は渡ることに意味がある

 もちろん石橋と言えば、「石橋をたたいて渡る」ということわざになるわけですが、このことわざは、最終的に石橋を渡りきることをストーリーとしては語っていることになります。

 

 石橋をたたくの意味としては、立派な石橋であっても崩れてしまったりしないかどうか心配なので、気になって堅牢性を確認するためにたたき、それで確認して安心して渡るというものになります。心配性や神経質な方の事を揶揄するようなことわざではありますが、世の中の思考では、その考えを超越していることもあります。

 

 これが強迫と言われる思考になります。

 確認をして、一旦安心をするが、それと同時に新たに不安が発生し確認をすると言うことを繰り返してしまうのが強迫の土台にあります。

 

 具体的には…例えば、手洗い強迫については…

 

 手を洗って綺麗になった

   まだちょっと汚れているかな?

      もう少し洗わなきゃ…洗ってよかった…

         でもまだ洗い残しがあるかもしれない…

            もう1回洗おう…よし、綺麗になった。

                でも、ばい菌とか見えないところに残っているかも…

                     よし、これでいい。…

                         でも…

 

 といった感じで、ぐるぐると洗う→安心→不安→洗う→安心…

 回ってしまう思考が強迫になります。

 

 これでは、いつまでも石橋を渡ること自体ができません。

 ごまウシは一時期、このような状況のことを「石橋をたたき割る」と描写していましたが、実際のところは、石橋のたたいて堅牢性を確認し続けて、石橋に足を踏み出すことができなくて尻込みをしている状態と言えそうですね。

 

 この堂々巡りを解消する方法は、不安に打ち勝つ気合が必要になってきます。いわゆる根性論が必要になり、その根性が、度胸につながり、石橋を「えいっ!」と渡ることにつながります。

 

 先ほどの手洗い強迫の方は、時間はとてもかかりますが、最終的に洗い終わります。最後に「えいっ!」ってやっているわけです。ただし、それに沿う当時分をかけてしまっているので、生活に支障を来してしまっているわけです。

 

 強迫は、行動の強迫に限りません。なかなか難しいのは、観念強迫というのがあります。強迫のターゲットとなっているものが行動ではなく、概念的なことになっている場合、不安な思考がぐるぐると巡り巡ってしまうこととなります。

 

 日常生活の中で心配事や未解決の問題などについては、このような、不安のぐるぐる連鎖というのが発生しています。

 心配になったりすれば、誰でも臆病になり、石橋をたたき始めてしまいます。ただし、時間というのは前に進んでいくもの。石橋の手前で立ち往生をしていては、いつまでも取り残されてしまいます。

 最後には、「えいっ!」と踏み込むことが重要。

 橋が崩れるかも…

 そう、そうなったらなったときです。それに、石橋をたたいていても、崩れるときは崩れる。たたかないで堂々と渡ったって崩れるときは崩れる。実は結果は同じなんですよね。

 決まった結果に対して、見えないために、そちらに近づくことを恐れぐるぐる回っているのが強迫といってもいいかもしれません。

 

 強迫に対しては、最終目標は、妥協、そして、開き直りという事になります。

 最終的には根性論ですね。

 

 

日没が遅くなりました。

 朝の通勤時間は、相変わらず暗闇です…冬至になってから、日の出が早くなるのかと思えば、日の出については、そんな感じはありませんね。日の出時間…さらに遅くなっているような…。最近日の出前に職場に到着しているような…。

 

 ところが、日没は遅くなってきたのを実感しますね。

一週間ほど前の帰宅時間

 たまたまですが、同じくらいの時間に職場を出て歩いて駅に向かっているところです。このときは夕日が綺麗でしたので、写真を撮りました。

 そして、今週に入って同じ時間くらいに同じような場所を歩いたときの写真になります。

本日の同じくらいの時間

 夕日の綺麗さはまだまだ先立ったのですが、だいぶ明るい時間になったなと感じました。ただし、やはり日没後の帰宅になってしまっていますが…。

 

 まだ、冬至から一ヶ月ほどしか過ぎていませんので、日が延びるのはこれからですね。春分まであと二ヶ月。寒いひとときももうひと

 

 

辛抱ですね。

公共交通機関の苦しみ

 公共的位置づけのある交通機関は、いわゆる赤字であっても地域のニーズに応じていく必要があったりするというのは、確かなことですが、もちろん、このニーズにこたえているからには、地域の積極的な公共交通の活用があってのことと言えます。

 最近の地域のコミュニティ交通については、小型バス運営など民間交通会社と地域とのコラボレートで成立している交通機関がありますね。

 ごまウシは、コミュニティバスについてはなかなか利用する機会はありませんが、普段の通勤は電車ユーザーであるため、公共交通を積極的に活用している立場でもあります。

 

 ごまウシの利用している路線は、本数こそ頻繁ではないものの、情報でいえば、ある程度黒字を維持できていると聞いたことがあります。

 とはいえ、時に「大丈夫だろうか」と思ってしまうことがあります。

 そんな瞬間の乗車した状況を見ると、なるほど、やばいかも…なんて思ってしまうかもしれません。

 おそらく、首都圏、名古屋圏、京都・大阪圏など大都市部の電車ユーザーにとって見ると革命的な雰囲気かもしれません。

一応…平日の夜21時ごろです。

 いかがですか?寝そべって乗車も可能。しかも、大声で歌っても誰の迷惑にもならないと言えそうな車両にごまウシ1頭の乗車になります。

 ちなみに、種明かしというほどでもないのですが、終点間際で、終点は、改札口や乗り換えは前方にあるため、前方の車両には人がそれなりに乗車していますが…。

 

 独占できる車両もいいのですが、ちょっと不安になりますね。