ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

快適なものの心配になる雰囲気

 昨日、お気に入りのホテルの話題を振れすぎてしまったため、タイトルとは異なる結論になってしまいました。講演でもやらかしてしまう、脱線というものです。

 ホテルのお話の中で、快適な思いをしたお話として、2019年に襲った台風19号の時のホテルのお話をしました。このときは、ホテル側は当日宿泊のキャンセルをキャンセル料として請求しない対処をしていました。これもとても快適なお話ですよね。さらには、キャンセルが多かったため、ホテル内は閑散としていたことです。居心地がとても良いです。本日のホテルも比較的それに近い感じがします。ただ、2019年との違いは、2019年は、日本人はことごとく当日キャンセルだったようエスが、海外からお越しの外国の方は、キャンセルはできなかったでしょうから、外国人の方ばかりが残っていた感じでした。海外出張して海外のホテルに宿泊したような気分でしたよ。それでも快適。

 昨夜は、ホテル内で20時オーダーストップの19時50分入店するというやや非常識気味の中華料理のお店での食事でした。お客さん、私以外にひと組しかいません。過剰サービスというしかないほどのサポートを受けながら中華をいただきました。とにかくお茶の追加やお皿の引きなど二人がかりでやってもらえました。少し恥ずかしさを感じるほどです。

 

 2年前は気象上の非常事態でしたが、現在は、コロナ感染症の蔓延防止の直前のひととき。気象上の非常事態は、一瞬の話しではありましたが、コロナ感染症は、もう既に1年以上が経過し、現在も決して沈静化しているわけではありません。飲食店も同じですが、このいわゆる非常な状態がいつまで続くのか先の見通しが見えません。この状況だからこそ得られた、一人一人の客が心地よく感じられる、ゆったりしたスペースでのゆったりした接客。とても大切にしていただけているという気持ちを感じてぬくもりすら感じます。お店の人は、今朝の時点で私の部屋番号を覚えていてくれたくらいです。この快適さ…いつも受けたい…と思うところではありますが…

 しかし、実情は、このぬくもりとは真逆の状態が経営をする人たちにとって見れば降りかかっていることになるでしょう。ホテル業は、正確ではないかもしれませんが、小耳にはさんだお話では、お部屋の利用率が60%と言うところが採算ラインと聞いたことがあります(病院は病床利用率は最低でも80%でないとというお話ではありますが…)。果たして、私が愛用しているホテルは、お部屋の利用率は、この状況で60%以上をキープしているでしょうか?これでキープしていれば、建物のメンテナンスなど設備投資系の出費以外の点では、現状維持で経営を保てるはずだとは思いますが、まさか、60%をきっていたとしたら…宿泊料金の単価を上げる…しかし、このご時世では厳しいでしょうから…そうするとホテルの閉鎖…こればかりは認めたくないのですが…。大手企業ですので、対策はそれなりにひねってはいるでしょうけど。

 やはり、このままで大丈夫か心配になりますよね。私としては、引き続き、愛用をさせていただきたいと思いますが…ただ、乗り越えて、再び混雑しているホテルを見るのには若干抵抗を感じてしまうかもしれませんけど。

 

 結論としましては、現在のコロナ感染症を配慮した空間配置は、客の数が減少することにより、とても快適な環境を提供していただけていると感じます。しかしながら、果たしてこのままでホテルやお店は経営を保持できるとは考えにくい部分もありますし、さらに、この快適さに身を置いて慣れてしまうと、再び以前のような繁忙な状況になれば、当たり前と思えず相対的に不快に感じてしまうのではないかと言った、逆の心配までしてしまったりします。

 とにもかくにも、このバイオハザード…早く収束してもらわないと困りますね。

快適なんだけども…

 今日は土曜日の週末ではありますが、セミナーがあるため、東京へ移動する日となっていました。新幹線の最寄り駅は名古屋駅ですが、土曜日の朝7時前後の駅の雰囲気…土曜日でもあり、それほど変わりないかな…人の数はさほど多くないため、脅威を感じるほどではありません。そして、新幹線へ。あえてのぞみを選ばずひかりを選択。のぞみの状況は分かりませんが、ひかりは、先頭車両から、ガラガラで、私の乗車した車両も名古屋からは、2人しか乗らず。そして、浜松と静岡でパラパラと乗車されましたが、ガラガラが続き、東京駅まで…。場所は錦糸町であったので、東京駅在来線の場所を横断し、総武本線快速のホームに向けて移動…名古屋駅とそれほど変わらないかな…これはきっとお客さんは少ないに違いない…

 総武本線にて錦糸町へ移動、いつも見る混雑具合かな。いや、隣のグリーン車ガラガラだなぁ…錦糸町はすぐなので、贅沢はせず立ったまま移動し、下車。錦糸町はいつも通りかな…。

 ホテルに到着したのが、まだ10時前だったのですが、「お部屋あいております、ご予約のお部屋よりも広いお部屋をご用意しました。」ととてもうれしいお話が…。とにかく、東京の出張があれば、東京の会場がどこであろうが必ずと言って良いほど決めているこのホテルは、今までに経験のないとても良いお部屋を用意していただけました。

 

 錦糸町は、東京近辺にお住まいの方ならご存じかと思いますが、東京の下町の中では比較的大きな副都心のようなところになっていて、地下鉄半蔵門線が通っているのですが、その半蔵門線に乗ると、一駅で「押上」という駅に到着します。この押上は、あのスカイツリーの最寄り駅という事もあり、錦糸町からは、スカイツリーを思いっきり立派な全身像として眺めることができます。

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夜のスカイツリー

これは、夜にお部屋から撮った写真ですが、びっくりしますでしょ?

…「ところであなたは何しに錦糸町にいったのですか?」などと思わず聞かれてしまいそうですが、とてもステキな写真が撮れました。

 

 私はこのホテルで、これから二日間の巣ごもり生活となります。

 このホテルでの巣ごもりは、実は、今回に限ったお話ではありません。本物の巣ごもりを2年前に経験しました。2019年の台風19号東京直撃…覚えている方はいるかと思いますが、その台風で千葉県はとても大きな被害を受けました。ゴルフの打ちっぱなしのネットのようなものが住宅地に倒れかかってしまったのは、その時の出来事です。

 学会でその時は、滞在していたのですが、きちんと学会の刑事を見ていなかったことと、タイミングを逸したことにより、何もできないまま、周囲の電車が次々と止まり、人気がなくなり、大変な事態となりました。ホテルから外に出ても、お店が全て臨時休業になり、錦糸町がゴーストタウン化していました。半蔵門線は動いていたので、渋谷まで行けたかもしれませんがその発想は浮かばず(テレビでゴーストタウン化した渋谷が報道されていました)。ホテル巣ごもりとなりましたが…巣ごもりにしては、とてもとてもリッチな巣ごもりでした。夜はどこもいけないのでホテルのリッチなビュッフェディナーでカニの食べ放題でした。

 お部屋に戻ったときが暴風のピークでギーギーホテルがきしみ、窓から立派に見えているはずのスカイツリーが全く見えず…

 

 こんな感じで私はこのホテルがとても気に入っているため、東京に行くときは必ず予約を入れています。明日のブログにも登場しますが、このホテルが具体的にどのようなほてるかについては、いずれの時に触れたいと思います(事前に了承はとっておこうとは思いますが、今のアクセス度合いであれば了承もいらないかもしれません…)。

 みなさんの中で出張などで同じ地区に何度も行くときに行きつけのホテルなどはありますか?行きつけのホテルを用意しておくと案外メリットが多かったりします。お薦めいたします。

アクセス数200件を超えました。

 もうすぐ(このブログ載せるときは、1ヶ月目を過ぎた日)1ヶ月となるときについに200件のアクセスをいただくことができました。多いか少ないかはなんとも言えませんが、延べとしても200回ものアクセスをしていただけたことに感謝しかありません。

 アクセスの履歴をたどると、ちょっとわかりやすいなと思うところがあります。ネット上では全く宣伝はしておりませんので、グーグル様やヤフー様が調べて検索に載せてくれるようになりましたが、あとは、はてな様のところで登場しているくらいでしょう。お仕事上では、開始した日に仕事の仲間にちょこっと、友人に連絡。そして、講演を行ったときに若干宣伝、CATVのインタビューの時にちょっと宣伝。メーカーさんとお話をするときにちょっと宣伝…といった感じで、そのたび事にアクセスのスパイクが現れます。見てくれているんだなってうれしくなります。一番大きなスパイクは、1日で50件近くになりました。感謝感謝です。

 宣伝をしていなくても、ブログのタグなどが不特定の方に見つけてもらえるきっかけになってきているようで、毎日数件のアクセスをいただけるようになりました。

 

 実は当初このブログを立ち上げたときの目的は、一般の方向けの講演会を地域では行っているのですが、もっと活動範囲を広げたいのもあり、ブログを通して、私そのものの存在を認知していただけたらという思いで恥じました。ニックネームを使った活動で認知されるかと言えば、それはおそらくないでしょう。そのこともあり、機会(出会い)あるごとに、ブログ書き始めましたよと宣伝して、見てもらって、充実度を感じてもらって、リアルなつながりの中から、「次またお願いします」と言ってもらえるように…と言う目的と変わりつつあります。あと、ちょこっとアフィリエイト…でしょうか。1ヶ月で、お賽銭…くらいになったでしょうか…おそらくゼロだと思っていますが…1年間で、コーヒー1杯程度になればと思っていたりします。

 目的は若干不純なところはありますけど、乱文(誤字脱字も多いでしょうが)ならがも、内容的には、アクセスをしていただけた方に少しでもお土産になるようにと思って書いております。がっかりして帰ってもらうよりは、なんとなくきたけど、まあまあ…じゃない…って思ってもらえれば良いかと思ったりします。

 

 昨日は品が尽きたという話題のような事も触れましたが、決してそんなことはありません。日頃講演をしている内容はほとんど触れていませんので、それらの話題を振れつつ、次の1ヶ月は、もう少しプライベートな活動も触れていけたらと思います。

 

 改めまして、干支でもあり、雰囲気でもあるこのごまウシの頭の体操にどうぞ末永くお付き合いよろしくお願いいたします。

単調な日々は単調ではない

 そろそろネタが尽きてきたのか…と言われそうですが、単調な日々を過ごしていると、その単調さ故に、話題がなくなってしまうのですよね。このブログを始めて、今日書き上げて連続1ヶ月になるとき、そろそろ話題がつき始めました。

 しかし、単調な日々というのは本当に単調なのでしょうか?実際は単調な部分しか見えていないから単調に見えてしまうと言う事も考えられます。

 日々の生活を記録することに日記をつける方がおられます。1年、2年度頃か数閏年にわたって日々を記録続ける人たち。その日記をつける人たちが、日記に毎日同じ事を書いているでしょうか?それは決してない事なのです。

 

 単調という点だけを注目して、例えば、私のある日1日の活動を書きましょう。朝5時に起床します(意外と早起きなのです)。洗顔や着替え、朝食などを終えて、正確に5時54分に自宅を出ます。そして、6時7分に、一番後方車両の電車に乗り、34分にとある駅に到着、そこで乗り換え、ここでしばし、待ち時間。52分に電車が到着し、後方車両に乗り、出発。7時1分無事に最寄り駅到着し、徒歩約10分で、職場へ。タイムカードには、7時11分か12分の打刻がなされる。そして、自分のブースに到着し、着替えて、電子カルテへ。チェックの上、コーヒーを入れて、パソコンの電源を入れる。しばらく、ブログに限らずメールのチェック、そして、医療情報を仕入れるための文献チェックや書籍の確認をした後、9時に病棟回診へ。事前にチェックしてあった依頼のあった病棟を巡り、それぞれの病棟でナースとおしゃべりをしながら情報を共有し、該当患者を診察。だいたい午前中に巡回は終わり、お昼ランチの時間。午後は、比較的フリーであったため、文献をチェックする時間に過ごしていく。定刻になったため、着替えて、ブースをあとにし、17時36分の電車に乗る。乗り換えでちょっと待ち合わせをし、17時56分の乗り換えの電車に乗り、最終的に自宅に帰る。業務が日々変わったとしても、通勤の時間はとても単調です。

 しかし、実はこの単調の中には様々な、変化がありました。実は単調ではないのです。例えば、自宅に出たときから、変化はあります。同じくらいの時間にイヌの散歩をさせているご近所さんには、会えるときと会えないときとあります。同じ時間に出ているのに、コースが違うのでしょう。この日は確か、ご近所参じたく前にて、遭遇したと思います。また、電車でもそうです。ほぼ毎日同じ座席に座るのですが、多くの方が同じ座席に座って、同じ風景となりますが、だからこそ、違う人が乗っていると目立ちます。初めて乗ってきた人は全く気づかないでしょうけど、「あなた以外は、今電車の常連さんですよ」なんて、ささやいてみたくなります。乗り換えの時に電車を待っていた人は、あれ…今日は学生さん増えたかな…。なんて思う日も合ったりします。この学生さんの変化でとても顕著だったのが、時間は飛びますが、夕方の帰宅時間…この時期は、定期の新規申込と更新が一気に重なるときなので、駅は行列ができて混雑していました。そして、帰り乗り継ぎの電車…この電車では常連さんもいるのですが、お客さんが多くて、座れないくらいなので、常連さんとして記憶に残っている方と記憶にない方とが混じり合っています。…そこで、いつも常連で座席に座っている人が珍しく立っていたりすると、「あの人、意外と背が高いんだな…」なんて思ったり。

 日記というのは、こういう感じで日々、単調だと決めつけずに観察をすることで変化を見つけて記録に残すのだと思います。私は日記をつける習慣はありませんが、ブログをつけ始めて、この単調さを単調と片付けない気持ちの大切さをとても感じているところです。いろんな発見や変化に気づけるので、面白日々となりますよね。

 

 結論としては、単調としてしまうと見逃してしまう小さな発見がたくさんあります。単調だと思っていると見逃してしまうため、もったいない思いをしていますので、是非、単調と考えず、日々の生活は、リズムカルでも必ず変化があり、その変化が、様々な思考につながるものであると考えていただくと、充実感につながるのではないでしょうか。

 なんとなく、ブログを始めて一番最初の1ヶ月目の最後の日を占めるものとしては、良い〆ではないかと思うところであったりします。

通勤について思うところ

 私は現在電車を使った通勤をしております。職場内ではマイナーな立場となります。職場のある地理的状況が通勤のパターンを決めていると思います。職場によっては、駅までバスを出してくれている場合もあるでしょう。電車通勤、バス通勤、自動車通勤、そして徒歩通勤…まさか、飛行機通勤なんて言うのもあるかもしれませんが…。

 この通勤時間は仕事のために通勤しているのにもかかわらず、労働時間に設定されていないため、自分のための時間(?)と思いつつ、その一方で万が一の事故などは労災の対象になっていることもあるから、半分労働であり半分プライベートという感じでしょうか。とても曖昧な時間ですよね。

 自動車の通勤の方は、とても快適なDoor to door(駐車場から職場までが遠いというのは、今回議論に当てず…。)という便利さがありますが、移動中は、運転に集中しないといけないため、他のことはあまりできずですよね(かつて自動車通勤していたときは、英会話の勉強のため、英語を流していたのですが、全く身につかず…。)。あまりできない中でも、何かされている方おもおられるでしょう。

 いわゆる公共交通機関を使っている方は、いかがでしょうか?私は…最初は読書…頑張っていましたよ…。今は首が痛くなるようなうたた寝をしておりますが…う〜ん。もったいない…。

 通勤は、どうしても密になりやすいため、私みたいにうたた寝ができる状況であっても、すぐそばに人がいらっしゃったり。うたた寝どころか、座るなんて言う事がとてもできない方も多くいらっしゃるはずです。結果的には、私の感触では体力温存のための休憩時間…ともって行かざるをえなくなりました。

 こんな感じですので、みなさんどうですか??なんてアンケートをとりたくなります。きっと、みなさん、色々とアレンジしながら通勤をされているのではないかと思います。わたしがうたた寝しつつ周囲を伺うと多くは…スマホ…これが今一番多いでしょうか。次に新聞、書籍…あとは私と同じ…だったりします。電車好きな方は外を眺めている方もおられますね。

 

 通勤は、こんな感じで、私に限らず、密で時間を消費し、とてもストレスフルなものです。それを如何に心地よく、ストレスと感じないような、そして有意義な時間となるようにアレンジしているというのが、実際のところです。

 この通勤に対して、事業所のオーナーさん方に気をつけてもらう必要があることがあります。オーナーさんの中には通勤の経験がある方は別として、自営業から始まって世代をまたいでいたりして、通勤をさほど経験したことがない方がオーナーとして事業を切り盛りされている場合、この通勤に対する解釈がとても軽々しくなる場合があります。この軽々しい解釈は、何気ない言葉の中に、出てしまうことがあるので、とても気をつけていただく必要があります。もちろん悪気はないことは分かっていますが、従業員はとても傷ついてしまうことがあります。

 例えば、電車の遅延や事故渋滞などで遅刻してしまって事業の運営に若干でも影響が出てしまった場合…従業員は、冷や汗をかきながら必死に出勤します…遅刻はしたくてしているものではありません。間違っても頭ごなしに叱ったり、遅刻した分の減給などペナルティを科すなどと言ったことはすべきではありません。時間にカウントされなくても通勤という労働をしているわけですから。場合によっては、仕事時間の半分近くを通勤に費やしている方も希にはおられます。

 私も、一つ、通勤に関してお叱りを受けたことがあります。ここでは具体的には触れませんが(恥ずかしいので…)…お叱りを受けた内容は、とても適切ではあったのでそれは問題はなく、反省できるないようでは合ったのですが、その時に、オーナーさんから”通勤如きに…”という言葉がついていたことに、ショックを受けました。私はうたた寝通勤ですので、快適と言えば快適ですが、人混みの中で今現在はコロナ感染症の恐怖にもさらされているわけです。片道平均すると80分ほどの通勤。これを「如き」という軽々しい扱いを受けてしまったわけです。通勤なくして、労働はありません。通勤をなくすためにはすべての従業員を住み込みにしないといけません。そんな事業所は極めて希でしょう。

 

 今回のお話は、事業所のオーナーさんへ向けたお話になりましたが、是非、通勤というのは、従業員の方が、場合によっては、本業のお仕事よりもずっと辛い思いをして過ごしている時間の可能性があります。それも給料に反映されない時間です。この通勤について、寛容で温かい目線でねぎらっていただけると、従業員は、とても喜び、頑張ってお仕事に励んでくれると思います。苦労して出勤した結果、「よく来た、大変だったな」という言葉をいただくだけでも涙が出るほどうれしくなります。もちろん、毎日ですので、こんな言葉かけはされないと思いますが、こんな気持ちを持っていただけると、従業員の方は、オーナーさんのために頑張って働いてくれますよね。

イライラに対しては配慮するこころが役に立つ

 「せっかく、これをしてあげたのに、思ったような答えが返ってこなかったからイライラした…。」

 こんな経験はみなさんおもちではありませんか?気を遣って、人にやってあげたことや、自分としては、いいだろうと思ってやったことに対して、想定と違う反応や答えが返ってきたときに、がっかりしたり、あっけにとられたりして、結果としてイライラしてしまうこと…。どうでしょうか?

 こんな時にお薦めな考え方として、配慮するこころです。

 配慮するこころ…とても崇高で、次元の高いお話のように感じるかもしれませんが、さほど深いことを言っているわけではありません。それに、綺麗なことを言っているわけでもありません。とにかく配慮してみることなのです。

 

1. 配慮と気遣いの違い

 配慮することは、相手に対して気を遣うことかと考えてしまいがちなのですが、実は全く違います。最初のところに挙げた例などは、気遣いをしてしてあげたのに、意外な答えが返ってきたという事ですから、気遣いをしたという事ではあります。しかし、ここに配慮というのは含まれていません。配慮と気遣いは、両方行うことでとても理想的な行動となります。それぞれを分割することで、気遣いと配慮似違いがあることが分かってきます。

 配慮とは、考慮を分配することです。考え方を分けることです。決して思いやるとか真心とか、そのような美化した意味合いを含みません。

 一方、気遣いは、相手の人にこれをしてあげたら喜ぶだろうなぁ、心地よいだろうなぁ…などと言った行動を選ぶことですが(悪意をもった気遣いも反対の解釈できますが)、この気遣いは、あくまで主観的な意味合いが強く、自分が相手の立場ならば、○○だろうと思いながら行う行動のことを意味します。

 そのため、相手の想定外の振る舞いに対して、配慮ならば、意外性を感じた場合、相手の考慮に対して分配した考慮が不足している場合で、十分考慮していれば、想定通りとなるはずです。そのため、相手がどのような応答をしてもがっかりしたり、びっくりしたりするようなイライラにつながるような感情は湧き起こりません。

 ところが、相手がこう反応して欲しいと気を遣って振る舞ったときに、意外な応答をされたときは、「わざわざ」したのに違った応答をしていることにがっかりやショックを受け、なぜ?なんていう思いからイライラにつながる可能性があります。

 

2. 配慮によりイライラのきっかけを除去する

 相手の人の心を主観なく客観的に考慮を配ることを徹することにより、ある程度相手の応答は想定可能になってくると考えられます。例えば、自分ならば、なんとも思わないが、相手ならば、不快に感じるかもしれないと考慮される事柄については、必然的にそのような姿勢をしなければならないとき、相手が不快な態度をされても「想定内」となります。だから、自分の考えている応答とは違っても、「やっぱりそうだよね」と合点しやすく、意外性がなくなるため、イライラ事態が発生しないこととなります。

 配慮が不足しているまま気遣いをすれば、気を遣うことで期待される応答がしてもらえる場合にはいいけど、違った場合には、わざわざ能動的に考えて行ったのに…なぜ?と言う意外性が生まれ、がっかりやイライラと言ったマイナスの気持ちのトリガーとなります。

 お互いが気持ちの良いお付き合いをするためには、なかなか現実は難しいものの、相手の思考について考慮をすると言う配慮を行った上で、その配慮からえられた考察に合う気持ちで相手に対応をすると気持ちの良いお付き合いの仕方になると考えられます。

 

 結論からしますと、対人関係でイライラしたりするようなときは、客観的に相手を考察する配慮することが不足している可能性があります。そのため、相手の考え方の傾向や癖等を考慮した上で自分の振るまいが投げかけられたら、どうだろうかと配慮してあれば、想定外の応答は少なくなるでしょうから、対人関係のイライラは生じないこととなります。

 そこに、さらに気遣いを付け加えると良好な人間関係が構築できることとなります。とにかく、相手の思考パターンを考慮した上で、相手の良好な応答を導けるように気を遣うわけですからね。

 決して間違っても、配慮をしつつ、悪意を持った気遣いをしないようにしましょう。これをすると、こちらは想定通りなのでイライラもしないのに、相手にはイライラさせることができてしまいますので…。

AIは人間の歴史を塗り替えることができるか?

 AIは一体何をしてくれるのでしょう?そもそもAIとはなんでしょうか?日頃あふれつつあるこのAI。もちろん英語ではArtificial Intelligenceと言いますし、そのまま日本語に訳せば、人工知能と言いますよね。このAIに関しては、IT関連企業に限らず、電子機器の伝統的な会社でもあるIBMなどの大企業でも様々な研究開発をされていますので、詳細についての正確な情報は、私が語ることよりも、多く溢れかえっているとは思います。

 このAIが脅威と言われているのは、今までの人類の英知を塗り替えようとしていることが一つでしょう。これは医療の世界でも、垣間見ることができます。医療の世界では、もちろん、将来の希望であったり期待であったりする部分もありますが、私たち、医師にとってみると、仕事を奪われてしまうのではないかと言った漠然とした不安に駆られる部分もあります。

 

 昨年は私事ではありますが、無謀にも、自分でAIそのものの開発ができるだろうかと考え、Pythonというプログラミング言語について少し学ぼうとしたことがあります。もちろん、現在はその書籍は漬物石のような状態で積まれておりますが、機会があれば、また…と考えていたりします。Pythonは特殊なプログラムというわけではなく、プログラマーからすると面白みがないと言われるようなとても単調なプログラム言語と言われているものですが、その代わり、初心者には触れやすいものと耳にしたため触れました。

 このようにAIはそもそもは人間が組み込んだプログラム言語に基づいて、データ処理をする考とをしているに過ぎません。しかし、このプログラムを、どんどん積み上げて、大量の命令系統を作り上げていくと、立派なAIと言うものができあがってきます。

 正確な話しではないかもしれませんが、例えば、IBMにはDr.WatsonというAIプログラムが存在しますが、このDr.Watsonは最近姿を現したものではありません。このWatsonというプログラム自体は、MicrosoftWindowsの中に入り込んでいて、私が見たことある中では、Windows NT 4 Workstation(1997年発売)には姿を見せており、同時期にIBMで独自に販売をしていた、OS/2 Warp 4というシステムにも入り込んでいました。

 言い換えれば、IBMのAIシステムであるDr.Watsonはすでに最低25年もの間プロのプログラマー達により開発されて発展してきたものです。私のような初心者がPythonを学びながら立派なAIが立ち上がるなんて言うのは相当無謀なことではあることは明らかではありますが、AIは決して最近突然現れたものではなく、コンピュータが一般家庭に普及し始めた頃から、背後で地道に進化を遂げていたプログラムの塊であると言えます。AIも人類の英知をここ30年近く集め続けたものであることは確かなことでもあります。

 

 このAIが脅威であると言われているひとつの理由は、人間には到底できないビッグデータをバイアスのない形で処理をすることができる点でしょうか。

 医学の世界で言えば、例えば、アルツハイマー認知症の画像診断について、頭部MRIについて限定してお話をさせていただきますと、私たちの知識としては、アルツハイマー認知症の特徴は、様々な学術的な病理解剖の情報や、論文などの知識を総括すると、脳の部位でも側頭葉内側部と言われている領域が脳全体の萎縮に比べて、特別に目立って萎縮していることが特徴であるという事があります。その特徴を日常の診療の中で写真を見ながら、そのク特徴がないかどうかを「あるよね?あるよね?…いや、ないかな?ないかな?」なんていう気持ちで見て、その感触を検査結果の説明として行うといういかにもバイアスのかかりそうな雰囲気があります。この感覚的な「なんとなく側頭葉内側部がやせているよね?」という診断がもう少し冷静に分析されたのが、MRI画像のコンピュータ解析である”VSRAD”というものがあります。この解析は、標準的な各年齢層の脳の構造や形を取り込んだ上で、この統計学的平均的な画像から、全体の脳はどれくらいの萎縮度があり、さらに、側頭葉内側部は特異的にどのくらいの萎縮率があるかを計算し、最終的に全体の萎縮度と関心領域の萎縮度とを比較して数値化することで、私たちが「なんとなく、痩せているよね?」って言っていたのが、「○○という萎縮度が出ていますので、痩せていますよね」という説明に発展しています。

 どうですか?納得度が上がりましたよね。これは、人間とコンピュータのコラボレートによる最先端の診断技術と言えますが、実は、ここにはAIという技術を使ったわけではありません。AIは最もとと奇抜な、もっと基本的な発想から、診断をすすめていきます。これは、人間が今まで積み上げてきた常識というものを無視するところから始まります。私たちの知識である、側頭葉内側部が特異的に痩せてきますという知識に基づき、標準と比べるというコンピュータ処理を与えたという人間のバイアスが多く含まれた処理です。AIはそのような情報を提供した上で処理をするのではありません。詳しくは、私の知るところではありませんが、AIはとにかくビッグデータに最小限の情報を与えた上で、全ての画像を読み込み処理を進めていくものです。AIに提供するデータは、あらゆる頭部MRI画像情報と強いて言えば、最終診断の病名をリンクさせたものをとにかく、データとして与えて、コンピュータに勝手に関連性などを探してもらって、関連性を把握してもらうという事をさせます。この結果生まれた関連性から、目の前の患者さんのMRIを見たところで、大量のMRI画像の中での特徴から見出された最終診断との相関を見つけ出して診断を施すものです。

 人間が与えた最小限の情報(これもバイアスかもしれませんが)だけで、全ての情報を電子的に処理をした結果の特性だけをふまえて、目の前の画像に対して解析するという、人間の頭では決してできない処理を使って答えを出します。

 人間の英知で統計学的に側頭葉内側部が萎縮しているのがアルツハイマーであるという知識をAIは画像だけの情報から近い結論を編み出し、とても正確に個体を出してきます。この正解率は、人間の英知よりも上回っているほどの読み込みをしてくるようなことがカナダの大学では見出されていたりします。

 

 このように、人間が編み出した英知というバイアスの呪縛の中でしか、考え出したりすることができない知識に対して、最低限のバイアスだけの提供で、平等にデータ処理をした結果として、見出した知識がAI機能と言えます。この差が人間のブレを取り除いた極めて正確な結果をもたらすことになっています。人間は、様々な事象に対して、深い考察を深めることはできますが、大量のデータを一目で見ることはできません。そのため、考察の結果で見出した視点に基づいて限られたデータに絞り込んでいくという作業を進めて現在の結論を出しています。コンピュータは、考察は人間が与えたプログラムレベルしかできませんが、一目で大量のデータを見ることができます。これが、考察のブレなどを伴わない結果をもたらすと言えます。30年ほど前はAIのプログラム内容は、洗練されたものではなかったものの、それが重積され、考察力が成長したため、現在脅威となっていると言えましょう。

 しかしながら、AIも実はプログラミングの中に人間のバイアスが入り込んでいます。このバイアスが思わぬ方向に結論を出してしまうことがあります。私の思うところではありますが、現在の手軽なAIであるアレクサやグーグルホーム、Siriといったデバイス同士を会話させていると、気づかないところでとんでもない非常識な展開につながってしまったなんて言うお話がありますが、これが、プログラミングの中に入り込んだ人間のバイアスではないかと思ったりします。

 

 結論としては、AIはプログラマー達が数十年にわたって鍛え上げた人間の英知を土台として、ビッグデータという人間が処理できないデータを一目で見て結論を出すのに対して、人間は、考察を深めることにより、ビッグデータから絞り込みを行い、限られたデータの中の関連性から結論を出すという事をしています。この違いが、正確さや最終結論に差を作り出してきているものと考えられます。これが、いずれ融合されることにより、最大公約数的な正確な答えを導き出せるようになると考えられますが、その答えを導き出すのは、…やはりAIなのでしょう…怖いながら、楽しみにな未来ですね。