ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

公共交通機関の苦しみ

 公共的位置づけのある交通機関は、いわゆる赤字であっても地域のニーズに応じていく必要があったりするというのは、確かなことですが、もちろん、このニーズにこたえているからには、地域の積極的な公共交通の活用があってのことと言えます。

 最近の地域のコミュニティ交通については、小型バス運営など民間交通会社と地域とのコラボレートで成立している交通機関がありますね。

 ごまウシは、コミュニティバスについてはなかなか利用する機会はありませんが、普段の通勤は電車ユーザーであるため、公共交通を積極的に活用している立場でもあります。

 

 ごまウシの利用している路線は、本数こそ頻繁ではないものの、情報でいえば、ある程度黒字を維持できていると聞いたことがあります。

 とはいえ、時に「大丈夫だろうか」と思ってしまうことがあります。

 そんな瞬間の乗車した状況を見ると、なるほど、やばいかも…なんて思ってしまうかもしれません。

 おそらく、首都圏、名古屋圏、京都・大阪圏など大都市部の電車ユーザーにとって見ると革命的な雰囲気かもしれません。

一応…平日の夜21時ごろです。

 いかがですか?寝そべって乗車も可能。しかも、大声で歌っても誰の迷惑にもならないと言えそうな車両にごまウシ1頭の乗車になります。

 ちなみに、種明かしというほどでもないのですが、終点間際で、終点は、改札口や乗り換えは前方にあるため、前方の車両には人がそれなりに乗車していますが…。

 

 独占できる車両もいいのですが、ちょっと不安になりますね。

 

 

ネガティブをポジティブに変える

 ネガティブと言えば、マイナス表現と言うことは言うまでもないことですが、当然反対のポジティブはプラス表現となりますね。タイトルのことは、マイナスをプラスに変えるという事なので、数学的には、「二乗するのか?」という感じではありますが、思考の面では、そういうことなのかもしれませんね。…「??」とみなさん、クエスチョンマークが並んだところだと思いますが、ネガティブの思考をポジティブな思考に変えるという事は、練習しないと、この「??」が並ぶことになりますね。

 

 本日は火曜日(記事を書いているのは月曜日)ですが、一週間のお仕事を続けるに当たり…「日曜日まであと5日もある」という表現で捉えると、まだまだ長い仕事の日々が続くという事になりますが、一方で、「あと5日で日曜日」と表現すると、ポジティブな表現はどこにもないにもかかわらず、「あともうちょっと」と言う感覚になり、同じ5日間であっても、気持ちが気楽になりますよね。

 さらに積極的な表現にすれば、「あと5日だけ頑張れば日曜日」と表現すれば、さらに前向きになれます。

 

 わざとらしいと感じる方もいるかもしれませんが、無理矢理に表現をポジティブにしている場合には、このわざとらしさを感じて、ネガティブな内心が増強してしまうことがあります。ポジティブ表現の練習をして、日頃から、ポジティブな表現を言えるようにしておくと、自然と、この表現が不自然さなく表出することが出来るようになってきます。

 このように練習すればするほど、解釈として、自然と前向きな解釈が出来るようになります。

 

 強引にポジティブにしたところで、何も変わらないのは確かに事実ですが、逆に変わらないので、わざわざネガティブな解釈で、どよ〜んとする必要もありませんよね。

 

 同じ内容であっても、ネガティブ表現をポジティブに変えるだけで、全ての事柄が明るい結果となります。

 

「疲れたなぁ…」→「よく頑張ったなぁ…」

「これは、難しくて面倒だなぁ…」→「これは、手応えがあってやりがいがあるなぁ…」

 

 という感じで…あらゆる事柄の表現を変えてみることはひとつの醍醐味として追求してもよいと思います。

 もちろん…状況は何一つ変わりませんけどね。でも気持ちは変わりますよね。

 ネガティブな表現を否定的に解釈を変えるとポジティブになる。すなわち、マイナス×マイナス=プラス。と言うことになりますね。すなわち、マイナスの二乗はプラスと言うことになります。

 いかがですか?「??」は「?」くらいに減りましたか?

 

 

火祭りオンパレード

 ごまウシは、14日はたくさんの神社巡りをしようと考えていたのですが、未明にふくらはぎをつってしまい、朝からふくらはぎの筋肉痛に苦しめられたため、定番の5社をゆっくり巡るだけにとどめました。

 

 お邪魔してみたところ、随所で火祭りが開催されていました。

 神社巡りを始めておおよそ3年ほどになるのですが、タイミングなんでしょうか、火祭りに遭遇することはなかったのですが、14日から15日にかけては、全国津々浦々の神社仏閣では、火祭りが開催されているようでした。

 左義長と言われる日で、正月飾りなどのお焚き上げをする日だそうです。左義長と言う名前で言われている地域も多いのですが、「どんどん焼き」と行った名前で言われているところかどうです。

左義長手力雄神社

 イベントの日ですので神社仏閣は賑やかしくなり、ごまウシとしてはちょっと苦手感が強まってしまいますが、賑やかな雰囲気もいいですね。

左義長の燃え上がり

 寒い日でしたが、温もりが伝わってきました。

 

 なお、本日は、火の神様でもある秋葉神社の例祭だったりします。そのため、秋葉神社においてのお祀りも重なり、賑やかしさがさらに益しています。

 

 神社の行事の日程を確認しながら、祭事に参加するのも神社巡りの一つの楽しみになるかもしれません。

 

 

お手伝いは、人をダメにする

 お手伝いは、困ったときのサポートとして、善意ある行動としてごまウシもとっさにする事があります。もちろん、ごまウシはそこまで徳を積んでいるわけではないため、気付かないことも多いのですが、世の中には、お手伝いを自分の事はともかく頑張ってやってくれる方も多くおられますよね。

 

 お手伝いをするという事は、とてもすばらしいことではありますが、一方でお手伝いは人をダメにしてしまう可能性というものを内包していることもあります。

 

 お手伝いをしていただくと、とても助かるのですが、お手伝いが日常的にあった場合、そのお手伝いがいつの間にか「当然」と言うことになっていくことがあります。逆にお手伝いがなかった場合に、いつもお手伝いをしてくれる方に対して「なんで今日は助けてくれないの?」と要求に近い感情がわいてしまうことがありますよね。

 ここで分かることは、お手伝いは「恒常的」に行ってはいけない事になります。あくまで、お手伝いは、臨時の助っ人であって、常のサポートではないという事になります。

 また、さらに言えば、恒常的にお手伝いをしてしまうと、お手伝いを受ける側は、「やらなくても、助けてくれる」という感覚になるので、最初は、できなくて苦労をしていて、できるように努力をしていたのに、お手伝いが恒常的に入ることで、できるようになろうとする努力がなくなってしまうことがあります。

 

 このような流れから、認知症や知的障害、発達障害の方々への対応の時のお手伝いについては、特に注意をしておく必要があります。

 残念ながら、能力的に自力では不可能なため、常に助けてあげる必要があるものは、ごまウシは、「お手伝い」と言わずに「支援」と表現を使いますが、必要不可欠なサポートを支援するのであって、できることについては、やむを得ずの時を除けば、基本的にはお手伝いを敢えてしてあげないという事になります。

 例えば、認知症の方で、季節感が障害されて、季節にあった服装ができない方に対して、支援をするのは、季節にあった服を並べておくというところにあるかと思いますが、間違っても、着る順番や着方に対してのお手伝いは、可能な限り行わないことになります。

 能力的にできるのに、着せてあげたり、順番どおりに並べてあげたりして手配をすると、当の本人はとても気持ちよくお着替えはできるのですが、持っているはずの能力を発揮することなく着替えを完了してしまうため、その能力が徐々に退化してしまうこととなります。

 

 お手伝いをやり過ぎてしまうと、そういう点では、お手伝いを受ける側の方の能力を代理で執行してしまい、結果的にはその能力を吸い取ってしまうこととなります。まさに、人をダメにしてしまうこととなります。しかも、そうなってしまうと、お手伝いした内容が恒常的にその方のできない事柄になってしまうため、常時支援を必要としてしまうため、お手伝いをしてあげた側は、これから先もお手伝いをし続けなければ、本人が崩壊してしまうと言うお手伝い必然性が高まってしまうなんて言う事態になります。

 

 お手伝いは、臨時の特別なお助けであり、恒常的なものではないという事を意味していて、恒常的なお手伝いはもはやお手伝いと言わずに「支援」となっているという事には気をつけておく必要がありますね。

 

 

本音の世界

 本日は、医療や介護、そして障害者施設などで時々話題となる事柄について触れてみたいと思います。

 とあるスタッフからのお話がありましたが、これは、一事業所だけでなく複数の施設から聞いた愚痴の一つにこのような事がありました。

 

「あの人、悪意の塊みたいな人で、すぐに、悪口を言うんだよね」

 

 障害者施設のスタッフのお話としては、利用者が、職員に対して暴言を放って困らせているという事でした。

 また、他の事業所では、介護施設で、職員への暴言とともに面会に来ていた他の利用者の家族に対して「いつまでいるんだ、はよ帰れ!」と言った悪口を言ったりすると言うことでした。

 

 さて…この悪意って一体なんでしょう?

 スタッフとしては、入所者や利用者に対して陰性感情を持っていては、上手な関わりがもてなくなってしまうため、この「悪意」が真意であるかどうかはしっかり解釈をしておかなければ、問題になると言えます。

 

 くどいですが…この悪意…なんでしょう?

 

 ごまウシの意見としては、悪意は実のところ極めて高度な技術が必要と考えられるものと言えます。悪意のある行動は色々なパターンはあるものの、基本的には、悪意の対象者に対して潰れたり蹴落としたりすると言ったことが目的とするため、上手に相手を捜査をして蹴落とさなければ、悪意の目的を実現することはありません。

 

 さて、施設での利用者や入所者のこのような暴言は果たして「悪意」なんでしょうか?

 

 ここまでお話をすると「悪意」なんて言うものはないのは明らかですね。

 そうすると一体これは…?

 この答えは、「本音」なんです。思ったままのことをそのままためらいなく語っていると言ったところでしょう。

 

 後半で触れた入所者の言動は、まさに思ったままのことをそのまま発言したと言っていいでしょう。入所者からすると、他人の関係者が本人の感じる長い時間ずっと近くにいた場合、鬱陶しいと思ったことでしょう。それをそのままの表現で発言してしまえば、先述のような発言になることでしょう。

 

 認知症のように認知機能が低下した状態であったり、精神障害に関連した認知機能が低下した状態の時には、いわゆる遠慮するような配慮を働かせることが困難となり、思ったり感じたりすることはそのまま言葉として発せられてしまうことが増えてしまう状況になります。

 すなわち、表裏というような状況がなくなり、思ったままそのまま語られてしまう「本音」の世界になってしまいます。

 

 悪意のような巧妙の手法から発せられた暴言ではなく、思ったことを思ったままためらいなく語られてしまったことによる暴言となります。

 

 「困らせようとしてわざとこのような態度をしているんだ」とか、「貶めようとしている」などといった高度なスキルで暴言を放っているのではなく、思ったことを思ったまま語っていると考えれば、これらの暴言などに対する対処は、高度な悪意に基づいた言動への対処方法ではなく、本音で語られてしまった暴言としての対処でよいことになりますので、案外単純なものとなると言えます。

 

 世の中に「悪意」と言うことはたくさんありますが、時には、本音の直球が投げられていることがあるので、常々悪く膾炙することがよいわけではないという事を踏まえていくとよいと思います。

 

 

アロマはなめてはいけない

 ちまたではアロマセラピーなんて言う言葉があります。アロマセラピストについては、現時点では、あくまで民間資格であって、国家資格ではありません。そして、アロマセラピーはあくまで、誰でも出来て、そして、ちょっとしたお店のアクセサリー的サービスとして活用されていたりします。

 しかし、アロマをなめてかかってはいけません。ヨーロッパではアロマセラピーは国によってはきちんとした資格保有者によって行われる治療とされているところがあります。むしろ、アジア圏で本格的に行われている漢方薬治療(海外ではherb therapy)よりも、アロマセラピーの方が効力が強いと解釈されている部分があります。

 

 実際のところ、アロマセラピーのアロマ素材は、ヨーロッパでは服用するものも存在するくらい使用方法もかなり異なります。

 そして、漢方薬と異なり、アロマセラピーの方が濃縮度の高い物質を使うことがあるのです。

 

 そして、みなさんも耳にしたことがありますが、アロマセラピーの時に用いるものは「アロマオイル」と行っていますよね。そう、オイルなんです。オイルとは言い換えると、脂溶性物質となります。

 脂溶性物質は、脂に溶けやすいものでもあるのですが、細胞膜の成分であるリン脂質を通り抜ける力がかなり強いものとなります。逆に水溶性物質は、細胞内への取り込みは、かなり難しくなっていたりします。言い換えると、水溶性物質は、細胞膜の昨日により選択的な取り込みをしていくのですが、脂溶性物質は細胞膜を勝手に透過してしまうものであったりします。

 脂溶性物質は、細胞膜を透過するわけですので、細胞膜の塊である、角質も結構平気に通り抜けてしまったりするため、皮膚の深部に影響を与えることとなります。また、血液中に入り込んだ場合、脳内に入りこうこともあります。脳の血管は、血管の壁の周りにさらに壁となっている細胞があるので、水溶性物質のコントロールはしっかり出来ているのですが、脂溶性物質は、やはり容易に通り抜けてしまったりします。すなわち、脂溶性物質は、脳神経系に影響を与えてしまう可能性が高いと言えます。

 脂溶性物質で代表的なものとしては、アルコールがあります。それ以外には有機溶剤(シンナー)など。思いっきり脳への影響を与えていることが分かるかと思います。

 

 ここまでお話をすると、アロマオイルは脳への影響が少なからずあるという事は容易に想像つくでしょう。アロマオイルと炊いて香りを楽しんでいるときは、鼻粘膜から、アロマオイルは少量吸収され、そのまま前頭葉に向けて、流れていきます。一部は、側頭葉へ移行し、扁桃体という部位に影響を与えることがあります。

 

 扁桃体は、不安や恐怖を司るという所でもあるため、アロマオイルがその扁桃体に影響を与えると不安や恐怖に変化をもたらすことにつながります。これがアロマがリラクゼーション効果となるという意味合いにつながっていると考えられます。

 

 以上のことを踏まえると、アロマセラピーはかなり心身に影響を与える可能性があるという事が分かってくるのではないかと思います。人工的なアロマも多いですが、多くの文献に共通して掲載されている効能効果に基づいて、天然物アロマを適切に活用するのは、ある意味日々の生活を円滑にするのにはとても有用なものとなる可能性が高いと言えます。

 

 ぜひ参考にしてみてくださいね。

 

 

成人とは

 先日は、ハッピーマンデーとしての成人の日がありました。ごまウシは、その日は仕事をしていたという事もあり、祝日の感覚はありませんでした。しかし、後日になり…そう言えば、その前日の日曜日が随分と神社が混雑をしていたという事から、気付きました。成人の日は、成人式としてのお出かけだけでなく、新成人の参拝というのもありましたね。

 

 現在は、選挙権など18歳に下げられ、区切りの20歳の成人というのが曖昧なものとはなってきました。

 さて、精神医学の世界では、精神的な成人は18歳なのでしょうか?

 これはもちろんNoと言うこととなります。実際の成人として認めてよい年齢は25歳と言われています。それまでは、まだまだ、成長途上という解釈をしております。

 

 ただ、この線引きというのはもちろん個人差もあり、さらに言えば、線引きするような概念ではないとは言えますよね。日々の生活で人生は成長を遂げていくものですので、25歳で成人したと言っても、精神的にはさらなる成長を遂げていくもの。そして、最終的には80歳頃になると、悟りを抱けるようになると言われていたりします。

 

 悟りというのは、驚きかもしれませんが、80歳を超えた多くの方が、周囲への感謝の言葉を頻繁に言われるようになり、日々の生きていることに感謝をすると言った言動が増えてきます。もちろん、個人差はありますけどね。

 

 悟りを開くためには、成人を超えてさらに60年の人生の鍛錬が必要…。悟りというものはとても高度なものだと感じてしまいますね。

 

 ごまウシは日々悟りを追求し、精進してまいろうと…イメージトレーニングをしているところではあります。