ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

セミの命は意外と長いと思われていた

 最近はセミの鳴き声で目を覚ますことも増えてきましたけど、みなさんのお住まいの場所ではモーニングコールをしてくれるセミはどんなセミでしょうか?

 山岳地帯や関東、東北地方では、「ヒグラシ」でしょうか?鳴き始める時間…ちょっと早すぎるような気がする日の出直前の4時台から5時頃でしょうか。一方で、西日本全般的には、「クマゼミ」がかなりの大音量でモーニングコールをしてくれます。時間としては、日の出後あたりの6時頃なので、ちょうどいいと言えばちょうど良いかな。それにしてはうるさすぎる…。

 昼間は、全国的には「アブラゼミ」というセミが、じりじりと鳴き続けて、暑さを実感させてくれます。まさに油炒めの音と言われているものです。そして、山岳地帯および東日本では、風流さの代表格である「ミンミンゼミ」がアブラゼミに混じって遠くから聞こえてくる感じで鳴いてくれますよね。「ミンミンゼミ」はうちわが似合いそうな雰囲気、「アブラゼミ」は照り返しの熱気をイメージする感じ。また、数と存在感は減少しますが、「ニイニイゼミ」と言う小型なセミが昼下がりに鳴いていることがあります。

 北海道と沖縄地方については、私自身詳しくは知らないところではありますが、本州においては、以上の5種類がメインどころのセミとなるでしょう。ちなみに沖縄県は、「琉球アブラゼミ」を代表として、だいぶ種類が違うらしいと言う事は耳にしたことがあります。また、この5種類以外にも、全国的には、「チッチゼミ」や夏ではない時期になく「ハルゼミ」そして秋に近くなると鳴き始める「ツクツクボウシ」などがあります。また、私は見たこともないのですが、「エゾゼミ」というセミもいるとは耳にします。

 詳しく調べると、このような大まかな種類以外にも細かくたくさんいるようですが、これだけのセミを知っていれば、全国どこに行っても困ることはないでしょう。

 さて、このセミたちは夏場に現れて、あっという間に賑やかな時間を駆け巡り、そして、いなくなってしまうと言う事はみなさんが知っていることと思います。そして、夏の終わりには浴び正しい数のセミの死骸がありたちの餌食となっている姿を見ることでしょう。セミは鳴くことのできる成虫となるととても寿命が短いというのが小学校の時に学んだことではないでしょうか。1週間、1ヶ月も生き続けるものはいるだろうか…と言った程度の寿命です。

 ところが成虫となる前の幼虫時代はどれくらいの期間でしょう?私は小さい頃、特にアブラゼミについて、7年間土の中で過ごしていると聞いた記憶があります。調べてみると、「昔はそう言われていた」と言うことが分かりました。「今は違うのか!」と言う事ですが、調べるとどうもそこまで土の中で長居しているわけではないようです。昔は、セミは、7年前に命を授かったものだから、7年前の街の環境を反映しているんだって思っていましたが、どうやら、もっと最近の過去の環境を反映しているようです。ただ、未だにセミの幼虫の飼育は難しいようで定まったデータはないようですが、長くて4〜5年程度で早いと1年ほどで…と言うことだそうです。しかも、どのセミも同じ年数ではなくて、かなりブレがあるようで、1年で成長してしまった物から5年くらいかかる物まで…バラバラとのこと。これは驚くことで、人が、例えば、あるひとは20年で成人するのに対して、別のあるひとは、100年でやっと成人するみたいに大きく差があるみたいな物です。

 世界に目を向けてみると、セミの一生について面白い傾向があり、長さを示していることがあります。既に時期は終わっていますが、17年ごとにセミが大量発生するというアメリカのニュースをまさに今年耳にしたことはありませんか?既に時期は終わってしまったようですが、アメリカでは17年に1回、セミが大量発生するという事が話題になっています。今年がまさにその年で、5月末から6月にかけてピークであったようです。言い換えると、正確に17年の土の生活を経て成虫となっているようです。研究によるとその他に13年ゼミもいて、「素数ゼミ」などと数学と繋げて遺伝学的な考察を深めている研究まであったりします。

 

 セミは、地上では、ひと月も生きられないのですが土の中では実際は数年という期間をしっかり過ごしており、他の昆虫たちに比べれば随分と命が長いのです。ただ、昔言われていたほど7年間も生きていると言うほど長いわけではなかったというのは最近の治験ですが、世の中には17年ゼミと言ったようなセミもいるので、長生きであることには変わりありません。

 

 

 

 

徘徊は、五里霧中の世界

 日常の診療の中では、徘徊患者さんをよく見かけるわけですが、実際に街中を徘徊しているご老人を目にしたことはありません。先日は外来で家族から、幹線道路の中央分離帯を歩いているところを発見して、連れ戻したと報告いただきました。どれくらいの時間中央分離帯を歩いていたのか不明ですが、とにかく発見されたという事でホッと一安心ですが…ふと…発見までの間にかなりの数の車がわきを通り過ぎていただろうと面輪得るところもあるのですが…警察に通報されることは決してなかったと言うことでした…。

 中央分離帯を歩いている高齢者を発見したらすぐ通報されるものと思っていましたが…意外と通報されないものなのですね。どのドライバーもスマホや携帯を保有しているとは思いますが…そういう時代なのかな…と思いつつ、「あなたは通報するの?」と質問されると、まごつきそうです。やはり…中央分離帯に高齢者は非常事態ですので、是非他の人が通報しているとか配慮せず遠慮なく通報してください。「忙しい…」「急いでいるから…」「通報してからが面倒だから…」まあまあ、そうおっしゃらず、命かかっているかもしれないのでよろしくお願いいたします。

 徘徊は、なぜ発生するのでしょう?そのためには、認知症の症状についての分析をしていく必要があります。

 認知症は、改めて症状について触れてみますと、おおざっぱに言えば、今までに身に付けた生活をする上での技術が壊れて言ってしまう事となります。徘徊に関連している事柄としては、代表的な症状としては記憶障害がまず一つ関係してきます。次に、場所の見当識の障害というのがあります。場所の見当識というのは、病院に来られていても病院と理解できなかったり、さらには、記憶障害も絡んできますが、案内されてついてきて、建物のどこに来たかどうかは、全く理解できないというものが出てきます。場所の見当識障害は、古い記憶のものであっても、混乱してしまうことがあります。日常的に使い慣れている場所であっても迷ってしまうことがあったりします。自宅なのにトイレの場所が分からなくて探し回ったりするのはそういった理由からです。

 徘徊は、これらの症状が、組み合わさって、発声してきます。初期の段階では、いわゆるショッピングセンターで迷子になると言ったようなことから始まる感じでしょうか。もちろん、言ったことのないショッピングセンターであれば、家族との約束を忘れてしまえば、すぐに迷子になってしまうことでしょう。しかし、日頃行き慣れているショッピングセンターでも自分で行っておきながら迷子になることがあります。もちろんこの場合は、最終的にはそのまま外に出て場所を把握して帰ってくることができるのですが、お買い物の目的を達成せずに帰ってくる場合が多いと言えます。

 慣れているショッピングセンターでも迷うというのは、どういった理由なのかというと、記憶に定着しているショッピングセンターのマップがきちんと系統的に納められているのであればいいのですが、それが、バラされたパズルのように崩されてしまうことがあります。見慣れたショッピングセンターのエスカレータの場所、エレビターの場所、フードコートの場所、スーバー部門の場所などが、ばらばらと記憶の中の系統的なものが壊れてしまうと見たことがある場所なのに、この隣が何か分からなくなったりするのです。これが近所の風景まで及んでしまえば、道路標識とか建物のデザインなど見たことがあるものばかりなのに、それぞれがつながらないため、どちらがどちらか分からないようになってしまうと言うわけです。まさに、周りに見覚えのあるものであふれているのに霞に隠れて、何が何だか分からないといった状態になります。

 まとめると、徘徊は、何かしらの思いつきから始まると言えます。「あ。○○を買ってこなきゃ」なんて思って、とっさに家を飛び出したところ「あれ…何のために出かけたっけ?」となり、次のステップとして、「仕方がないから帰るか…」と言うことで周りを見ると、見たことがあるのに、自分の家がどちらにあったかどうか分からなくなり、迷走状態となり、あらぬ方向に歩いて行ってしまうこととなります。

 記憶も霞にかくれ、頭の中の道路マップも霞にかくれ、まさに五里霧中なんです。

 きっと、徘徊しているときは、必死な表情で、さらにはとても強い不安に駆られた表情で、キョロキョロしている姿がそこにあるでしょう。とても不安な気持ちでいっぱいだと思います。そっと話しかけてあげて、助けてあげるとその方はきっとホッとするでしょう。

 

 

油断大敵

 みなさん、こんばんわ。本日は、まさにリアルタイムにブログを書き綴っております。下書きはあるのですが、うっかりしていました。毎朝、まず投稿という事を続けてきたわけですが、本日…なんと、忘れてしまっていたのです。

 現在20時過ぎですが、まだ、1日1投稿については実現可能な状態なので、せっかくなので、下書きは後日に置いておいて、リアルタイムで書こうと思いました。

 今日は、あの、例の神社巡りをしておりましたが、今日は、かなり暑かったのもあり、自販機でのお茶の購入が多く、5本くらい飲み干してしまいました。もちろん一気飲みではありませんよ。にもかかわらず、出発前にトイレに行ってから、おうちに帰ってくるまでトイレに行かず…水分はしっかりとっているつもりではあったのですが…。これだけ水分をとっても脱水に近い状態と言うことになるのかなと考えたりしました。

 しかし、これだけのお茶を飲むとおなかがチャプチャプ…本当に音が聞こえるんですよ。揺れてちょっと気持ち悪い…。しかし、それでものどが渇く…。さすがに胃に収まりきらない…そんなことを思ってしまいました。

 今日は、決して猛暑日ではありませんでした。午前中は、雲が都合良く太陽を隠し、日傘をさほど差さなくてもいい時間も多かったのですが、それでも、夏の暑さというのは恐ろしいものがあります。私の勤めている救急のドクターが熱中症の話題について、患者さんに説明をしているところをこそっと盗み聞きしたお話ではありますが、水のしたたるほどの水をしみこませたバスタオルには、およそ2Lの水を蓄えることができると言うことだそうです。これを、炎天下に干すと、約40分でから空に乾いてしまうと言う事です。もちろん、バスタオルを干すのと体が空汗で水分が蒸発するのとでは状況はだいぶ違うのですが、体温を上げないために気化熱を利用している体温調節の汗をかくことはバスタオルの炎天下干しと似ているところでもあります。

 本日私が飲んだお茶の量は、確かに600ml×5=3Lと言うことではありますが、これでも決して過剰ではないという事になります。しかし、残念ながら、人間の体は、ゴムホースのように飲んだものが即刻汗とつながるわけではないため、胃袋にしばらく保管されるため、これがどうしてもちょっとしんどいんですよね。これには一つ、神社巡りにおける重油な問題がありました。あまり手荷物を持たないことをモットーとしているのですが、自販機でお茶を購入すると、持ち歩くとかなり邪魔になってしまうことです。さらに、自販機によっては、ペットボトルの回収ボックスがなかったりするため、理想的には、買った自販機のそばのペットボトル回収ボックスにそのまま捨てるのが良いと言えますが、そのためには、そこで、いわゆる一気飲み…5分程度のほどよい休憩にはなりますが、それでも一気飲みになってしまいます…その後歩くたびに、たぷたぷ…と…なんとも滑稽なお話ではありますが、仕方がありません。

 ちなみに、一気飲み、決して健康には良くありませんので、あまり同じようにマネをすることはお薦めしません。一気に水分をとると、腎臓の処理が間に合わず、電解質のバランスが崩れてしまいますので…600mlは一応…許容範囲かな…と自分で言い聞かせておりますが…。

 

 結論ですが…熱中症のためには、しっかり水分をとる必要がありますが、その水分量は、案外大量になるという事を覚悟しておいてください。そして、日々の習慣、気の緩みがうっかりにつながることもあるので、お休みであっても、規則正しい、生活をすることをお薦めいたします。

 さ…ほかごとしながら、お茶を飲みつつ、テレビを見て、ババロア…の番組やっていましたが、デニーズに食べに行きたくなりました…いやいや…今はリンガーハット…私は一体何の番組を見ているのでしょう…。40分ほどで、投稿につながる見込みです。

 それでは、また明日。

 

 

Free Wi-Fiにご注意を

 もちろん、このことはみなさんご存じかと思いながらも、最近、私自身がこの危険性を実体験するような事を体験したため、この点の話題を振れたいと思います。

 私も、最近までフリーのWiFiと言うものはそこまで普及しているとは知りませんでした。しかし、喫茶店やカフェ、飲食店だけに限らず、様々な故郷施設、そして、電車の中までWiFiが存在しています。フリーは接続したら、ログイン画面が出てきて、会員登録等をすれば自由に使えるようになるものです。直近では、ドトールコーヒーのフリーを利用させていただいたように記憶しています。それもZoom会議(聞く専門)に参加したように記憶しています。

 ドトールコーヒーに入店するとドトールコーヒーが提供しているWiFiはとてもわかりやすい名前(ID)で接続先として検索すると見つけられます。実際は、ドトールコーヒーの敷地内に限らず、その周辺でも検索で見つけることができます。言い換えると、ドトールコーヒーにいなくても、そのWiFiは利用できるという事になります。全く反対のこともあります。例えば、ドトールコーヒーのお店の隣にスターバックスコーヒーがあったとします(通常カフェが2店舗並んでいることはないでしょうが…)。ドトールのお店の中にいて、スターバックスWiFiを見つけることができることもあるでしょう。

 さて、この話題を土台にして、私が最近行っていたことをお話しします。実は、最近自宅のWiFiルーターが故障してしまい、大きなデータファイルが送受信できなくなってしまったのです。設定をいろいろといじっても分からなかったため、新しいルーターを購入することとなりました。到着したルーターに本来は、それぞれの機械に存在する機能でコピー機能があるのですが、それを使わずに、一つ一つ手動で設定していく中で分かったことがあります。WiFiの名前を設定するわけですが、当然、前のルーターと同じ環境にするわけですが、名前を同じにして、同時にそのルーターを動かしたとき、WiFi検索をすると、同じ名前が二つ並ぶのではなく、一つしか登場しませんでした(二つ登場する可能性もありそうですが)。いずれにしても、検索で見つけたWiFiは古いルーターのものか新しいルーターのものかは全く区別がつかない状態でした。接続をしてから調べると違いは分かるのですが、それまでは通常では分かりません。

 言い換えると、今回はっきり言えることは、WiFiのIDは自由に設定できますが、お店などに存在しているWiFiと同じ名前にしてしまうと、区別がつかなくなります。これを利用すると、悪意を持ってお店近くにそのようなWiFIを設置し、お店の利用者にこの偽物のWiFiに接続させ、個人情報などを抜き取ってしまったりすることができてしまうと言う事になります。もちろん接続してからは様々な違和感があるとは思いますが、その違和感をそのままにして、個人情報の入力などを求められるような画面が出てきたときに素直に入力などをしてしまえば、完全に抜き取られてしまいます。巧妙になりすますことはできるとは思いますが、やはり、普段の接続とは違う雰囲気が必ずあるはずです。フリーのWiFiにおいては接続してからはきちんとしたインターネット回線かどうかが確認できるまでは、個人情報を出力することを避けることが重要と言えます。

 

 結論になりますが、フリーのWiFiはとても便利なものではありますが、偽物のWiFiが隠れていることも全くないとは言えないところもあるため、接続したときにいつもと違う画面が現れたり、インターネットに接続できていなかったりしている場合には、悪意のあるダミーに接続してしまっている場合もありますので、個人情報などの入力には最大限用心する必要があります。

 

 

希死念慮とは何者?

 精神科の診療を行っていると、ほぼ必ずと言ってもいいほど遭遇するのが「死んでしまいたい」と言った発現です。いわゆる希死念慮というものです。突然このような言葉を聞いてしまうと、びっくりして動揺してしまうところがあります。死ぬというのは、簡単なお話ではありませんから、突然出て凝れば、びっくりするのも無理はありません。さらに、精神科の診療でなくても希死念慮についての訴えがあります。私の活動のもう一つの分野で歩かんわけあの領域では、良く耳にする訴えとしてあります。

 さて、この「死にたい」願望である希死念慮ですが、この希死念慮というものを掘り下げて分析をする事は普段の生活ではほとんどないかと思います。この希死念慮に対して冷静に対処するためにはその分析が必要となります。

 まず、「死」というものはどういう存在かというところから見てみます。「死」とは、生き物が必ず最後に体験する一生に1回だけの体験であり、その経験は命の終了を意味します。さらに、命が終了という事なので、生き物は本能的に死を回避する行動を生きていく中では種の保存とともに最大の優先課題となります。そのため、この「死」を希望し、求めることは、生物学的には、矛盾した願望という事になり、何かしら病的な心理状態および恣意的な心理状態が示されているわけです。さらに言えば、本来は願望するものではないため、願望するという事は非常識極まりない発想であるため、その「破天荒な思考が沸いてしまう」ほどの気分であるという事を示しているとも言えます。

 以上の考察から、希死念慮については、実は大きく2種類の意味がこめられていることが分かってきます。一つが、「病的に本気に死を望む」という状態です。そして、もう一つは、「死を望むほどの」深刻な気持ちであると言うことです。すなわち、希死念慮と言っても、一方で本気に望んでいて、一方では、望んでいないということを示しています。

 病的に死を望んでいる場合は、精神科医療では、医療保護入院(それでも避けられないことがありますが)など医療の保護を図り、病的な状態を治療し、実際の行動化を避けるための積極的な介入が必要となります。

 ところが、望んでいない場合は、積極的介入は過剰医療になり、場合によっては、「希死念慮」という言葉に無意味に振り回されてしまうことがあります。この望んでいない希死念慮に対して振り回されると、実際は、その訴えをしている方をさらに情緒不安定にしてしまうことがあります。

 「望んでいる希死念慮」は、対応はとにかく守って治療することですが、「望んでいない寄進念慮」は破天荒な発想をある意味「比喩」として解釈する必要があり、希死念慮と言う事柄に本当の意味があるわけではないことが専らとなります。この分析が日頃の希死念慮に対して向き合っている精神科医の仕事と言ってもよいと思います。

 さてこの「望んでいない希死念慮」の分析ですが言い換えると、破局的な状況を求めたくなるほど苦しいと言うことを示しているわけですが、この苦しみが何かという事を分析していく事が重要となります。苦しみの内容を分析していくことにより、対応方法は、大きく変わっていることとなります。

 例えば、がん緩和ケアにおいて「死にたい」と言われた場合、その苦しみは、「これから先の治療に対する恐怖」「現在の痛みなどの苦痛」「癌という診断を受けたショック」「病気が早期に見つけられなかったことに対する悲観」などなど多岐にわたりますが、この苦しみを発見し、その苦しみを理解し、共感するという事が、問題の解決に一気に進めることができます。一方で、精神科医療の中では、このような深刻な話題だけではなく、「苦しい」事柄に対する不適切な比喩をしていることによる振り回し言動である場合もあります。例えば、恋人とケンカをしたときに、「私の思いが分かってくれない」という苦しみから希死念慮を訴えたりすることもあります。このような場合には、苦しい事へのたとえとしてとても不適切なたとえを用いていることを厳しく諭し、気持ちの伝え方に対する指導を行う必要があったりすることもあります。希死念慮希死念慮でも重さはピンキリであることがこのように分かります。

 

 結論ですが、希死念慮というのは、病的な本気で考えている願望の場合と、破天荒な発想を「比喩」している場合とがあり、「比喩」の場合には、希死念慮の裏に隠れている思いについて分析をし、それを掘り起こして、そのことに対して適切な対応をする事が重要であると言えます。

 

 

一般的な睡眠薬と安定剤について

 精神科の診療の中では、日常的に睡眠薬や安定剤の処方を行っております。さらにこれらの薬剤は、精神科にとどまらず、様々な診療科においても、プライマリーケアと言われる、日常の一般診療でも処方されることがあります。私たち医師のお仕事は専ら、せっかくお越しいただいた、患者さんの困っているところに対して何らかの解決のための答えを出したいという思いを持っています。

 さて、睡眠薬および安定剤と言われる薬剤は、ほとんどが分類上「ベンゾジアゼピン系薬剤」というグループに含まれる薬剤で、これらの薬剤は、脳神経系の中でもGABA受容体と言われる神経の受け皿に結合して、脳神経系をブレーキかける形で作用します。また、睡眠薬の中には、ベンゾジアゼピンとは構造は異なるものの同様にGABA受容体に作用する睡眠薬が存在します。これらの薬剤について、様々な憶測が流れているため、この点について触れたいと思います。ただし、最近の睡眠薬の中には、メラトニン受容体作動薬やオレキシン受容体拮抗薬といった全く概念の異なる巣民約が登場していますが、これらは、作用が全く異なるため、今回の話題からは除くこととします。

 GABA受容体に作用する薬剤は、このGABA受容体に結合することで、GABA系神経と言われる神経が刺激されることになります。GABA神経系は、脳全体に広く分布している神経系で、全般的な影響を与える事となります。新しい睡眠薬では、この作用を減らしているとは主張するものの、やはり結果的には、全般的なGABA神経系に作用していることには変わりありません。

 GABA神経系は、基本的には、その他の脳神経系の活動をブレーキかける作用を持っています。これが結果的には「鎮静」という作用をもたらすため、精神的には、眠たくなったり、興奮性が抑えられたりします。眠たくなることで睡眠薬としての役割を果たし、興奮性を抑えることにより、イライラや不安などの症状を抑える安定剤としての役割を果たしています。

 また、力みを緩める事にも作用することから、これを筋弛緩作用と言いますが、この結果として筋緊張性の肩こりや腰痛などの痛みをほぐすこととなり、整形外科領域においては、痛み止めの一つとして活用されていることがあります。

 さらに、極めて専門的な使用の仕方としては、抑制系神経の作用であるため、てんかんなどの発作を起こしたときに、この痙攣発作をベンゾジアゼピンの注射剤で抑えるなどといった救急医療での使い方も存在したりします。

 こういった様々な、抑制する事を目的とした使用方法のあるGABA系薬剤のなかでベンゾジアゼピン系薬剤は、1960年代に世の中に登場しており、1980年代には積極的に開発され、種類が劇的に増えて60年もの歴史を経た薬剤です。そのため、様々なことが調べられており、学ぶところもたくさん得られています。しかし、このGABA作用の効果が、様々な点において活用されることと、効果を感じるときには、リラックスできることから「気持ちが良い」こともあり、使用感も良いことから、多用され、長期使用される傾向があります。

 効果がはっきりしており、使用感も良いという理由から、先述の通り多用されているため、弊害については、最近まで目をつむられている傾向が目立ち、過剰に使用していたことの弊害が、最近になり話題になってきています。

 弊害について触れてみます。まずは、鎮静がかかることによる弊害としては、注意力や集中力の低下が薬効そのものとしてあります。もちろん、これが緊張をほぐしたり、イライラをほぐしたりするわけですが、自動車の運転などには、当然悪影響を与えることは間違いありません。そして、物覚えについても記憶回路も押さえ込んでしまいますので、低下します。もちろん、反対に薬効として、焦りやイライラなどで集中できないときに安定剤を使用してリラックスすることで注意力がむしろ向上し、記憶力が良くなるなどといった話題もありますが、ある意味紙一重のことと言えます。

 実際のところ、安定剤や睡眠薬服用後の行動を覚えていないことでびっくりした方の報告があるので、記憶障害等が生じやすいことは確かなようです。

 さらに、緊張などをほぐしてくれるのは良いのですが、自制心までブレーキをかけてしまうため、脱抑制と言って切れやすくなってしまうこともあります。コロナで悪者扱いされているお酒と同じような作用で、飲酒すると、豪快な行動をしてしまう傾向が強まるのと同様です。

 次に、効果が「気持ちよい」と触れたとおり、また使いたくなる心境になる依存性が存在していることがあります。そのため、長期使用はやめにくくなる特徴もあり、さらには、聞きにくくなる傾向もあるため、長期使用では、どんどん使用量が増えてしまう傾向があります。この使用量の増加に対して、精神科診療の反省点ではありますが、保険診療ではかつて、単独の薬剤には使用上限があったものの、複数については制限がなかったため、様座な複数の安定剤を重ねて処方することでさらなる増量を図っていた経緯があります。そして、やっかいなことに、効果に対して天井効果と言って、一定以上は効果が頭打ちになってしまうこともあり、それに気づかなければ果てしなく増量してしまう傾向がありました。

 また、依存性とともに、急に中止したりすると反跳現象として、反動で今まで抑えていたものが激しく出てしまうこともあります。

 最後に、筋弛緩作用や鎮静作用は、転倒や睡眠時無呼吸など筋弛緩に伴ったトラブルとともに、高齢者においては、夢と現実の区別のつかないせん妄という状態を導いてしまうことがあります。

 様々な文献においてこれらの問題が報告されている上に、さらには、長期使用の弊害についても様々な方向の報告があり、適切使用が歌われています。

 

 以上のように、安定剤や睡眠薬は、メリハリのある効果があり、使用感も良いため、患者さんの困りごとの解決にはつながりやすいため、相談すると比較的簡単に処方されてしまう傾向があります(デメリットが存在していても医師は相談されると,答えたくなる)。医師側から、使用を控えるように指導することはなかなか難しい現状もあり、患者側から、使用を希望することをブレーキかけていただくことをお勧めしたいと思います。

 安定剤や睡眠薬の本来の理想的な使い方は、基本的には、薬に頼らない解決方法を模索した上で、どうしてもやむを得ないときに祥を考え、なおかつ、少量で、短期間、一時的使用にとどめることが大原則になります。また安定剤は、あくまで鎮静剤ですので、悩み事などの根本解決をしているわけではありません、一時的な問題に対する保留を下に過ぎませんので、あくまで補助薬としての認識が必要でしょう。

 安定剤や睡眠薬に過度な期待を持たないようにみなさん気をつけてください。

 

 

定期券圏外神々のお宅訪問。Vol.8

 今回の神々のお宅訪問は、社格の高いとされる一宮をお邪魔してきました。JR東海道本線および名鉄名古屋本線が並行して走る路線に尾張一宮という駅があります。人口45万弱の中規模都市ではありますが、一宮という地名は、この表記以外に一の宮、一之宮など様々な表記がありますが、最初に書きましたとおり、律令制度の中で定められた國の中で最も社格の高い神社をそのように位置づけたものですので、実際は全国津々浦々に存在します。最も社格の高いと言うことで実際は壱國一社と言うことになりますが、まれに二つ以上存在することもあり、尾張國においては、お邪魔させていただいた、真清田神社と大神神社が一宮と位置づけられていたようです。

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真清田神社

 今回、事前に確認をしなかったので、尾張一宮に到着して、びっくりしてしまったのですが、七夕祭りの真っ最中でした。新型コロナの流行に伴って、多くのイベントがオンラインとなり、飾り付けがいつもならば数日のはずが、7月いっぱい飾られているという、長期間のお祭りとなっており、真清田神座の門前の商店街では賑やかしく飾り付けがなされており、人々で溢れかえっていました。密を避けてきた私としては、うかつだったと思いつつも、素敵な七夕祭りを見ることができましたので良かったと思っています。感染防御対策はしっかりしてきたはずなので大丈夫だと思いつつ、やはり事前にイベントごとがないかどうかは確認しておくべきだったかなと反省しました。

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本殿

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商店街

 一宮の賑やかな真清田神社および静かなたたずまいの大神神社をあとにして、そのまま南に歩いて行くと、裸祭りで毎年賑やかしく賑わっている国府宮をお邪魔しました。

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大神神社

 国府宮は、裸祭りの時にはとてもたくさんの人が集まりますが、お祭りの時期ではないため、普段の静かな雰囲気を醸し出していました。

 巡った神社の数は、多くはありませんでしたが、御朱印はしっかり二つの神社でいただきました。大神神社は残念ながら宮司さんにお会いすることができずに御朱印はいただけませんでしたが、今までにないほどの距離を歩きました。ちなみに、真清田神社、大神神社国府宮との間の移動は、自動車でしたら⑩分程度でしょうか…?しかし、歩きますと…3時間弱かかったような。

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御朱印

 30度を超える高温の時の外歩きですので、熱中症対策はとても重要となりますが、随所に自動販売機が存在するため、給水に関しては、何一つ困ることはありませんでしたが、お手洗いがないことが悩みの種でしょうか…。

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歩行距離

 みなさんも夏場の外歩きは、日焼けだけでなく熱中症には充分気をつけてください。