ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

身体管理と精神管理との感覚の相違

 とある方の、診察で、精神科とその他の診療科との感覚の違いというものに遭遇しました。

 身体を管理する診療科は全て共通していることではないかと思いますが、症状を解消することに徹することが主たるテーマとなりますよね。

 所が精神の場合は、その症状といかにうまく付き合うか、克服するかという所に注目するような方向が目立ちます。

 

 例えば、自律神経失調症の症状があり、内科に受診したとします。内科の先生は、症状緩和のために、薬物療法を行いつつ、早くよくなることに徹してくれます。しかし、これが面足るの影響が多いという事で私のほうに相談をいただくことになるのですが、私のほうでは、本人と話し合いながら、この症状の根元となる、精神構造の分析家から始め、本人が、その症状と心理的な背景との関連性を見出す分析を行ってもらうことから始まり、関連性を気づいたときに、このときの心境の分析をさらに深め、そして、心境の分析の中で過剰な解釈や極端なゆがんだ考え方などを見つけ出し、その事柄への修正を加えていく作業を行っていきます。

 薬物療法を…となると、症状をとるために神経症のお薬などを使っていく訳なのですけど、時には、精神科の薬物療法の消極的な人なんかは、薬物療法をあまり心地よく思わなかったり、時にはやたらと眠たくなり、薬物療法が生活の支障になったりすることもあります。

 そんなときには、症状はともかくとして、精神療法のみで、向き合う事も行ったりします。そうすると、内科から見ると、「治療していない」ようにみえてしまったりします。

 

 この治療スタンスの違いにより、お互いの誤解を招いてしまうこともありますが、一方で、取り組み方の時間的感覚の違いにより、誤解をお互い招いてしまうことがあります。

 

 内科の場合は、やはり症状に対しては物理的な治療があって当然のことで、それが存在しないととても不自然な感覚になります。

 時間的概念で言えば、目の前の症状は、できるだけ速やかに消し去りたいために、症状に対して治療効果のある薬剤を速やかに処方します。

 一方で精神の場合は、月単位で本人のペースに合わせてじっくり向かいますので、その時に物理的な薬物が存在しないこともあり、さらには、数ヶ月とか長いスパンで治療のプランを立てたりすることがあります。この物理的時間的概念の違いが、「変だ」といった感覚に陥り安う所でもあります。

 

 そんなときには、やはり、コロナ渦においてもやはり、診療担当医同士のface to faceの話し合いが一番効果的かと思ったりします。

 

 本日は、そんな出来事を実感した日でもありました。

 この投稿は、日曜日にありますが、これを書き終えたごまウシは、すっと日曜日モードに突入するのでした。今週は、なんとなく長かったなぁ…

 

 

新しい病院での当直

 昨日は、新しい場所での当直業務がありました。業務的にはさほど切迫していないという事で受け入れた当直業務ですが、実のところ、それまでは、この場所での当直は、移転前の病院が、当直を兼務していたため、当直医はいなかったわけですが、移転したことにより、医師不在となるため、当直が始まったわけです。

 

 このような状態での当直は既に元旦から始まっていたわけですが、業務は平和であったのですが、事前に準備しておいた事柄などにおいてのトラブルが炸裂しました。

 

 まずは、私もいけなかったのですが、移転前に、当直の際に使用するもの(当直グッズ)を紙袋に詰めて置いておいたのですが、それが、なくなってしまい、バラバラになった状態で、事務所に保管されている状態となっていました。

 

 手渡されたのはシャチハタ印缶入りのペンケースのみで、あとは、聴診器が他の場所から見つかり、紙袋自体がその後に見つかるという状態でしたが、紙袋の中に入っていたインクとタオル以外は、ことごとくなくなっており、ヘアブラシ、歯ブラシ、歯磨き粉などはどこかに行ってしまっていました。

 

 とても広い空間の当直室に驚きを感じていましたが、あまりに広すぎて落ち着きがなくなってしまう環境でした。うらやましい状況です…。

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当直室

…でも、やっぱり落ち着かないでしょ。

 もちろん、もともとは個々は当直室ではなかったというのは言うまでもないことですが…。

 

 本日はこんな当直明けのため、眠たい眠たい…しかし忙しい…午前中でした。

 

 

認知症予防講演会

 オミクロン株が世の中を賑わしている合間を縫って、認知症予防教室での登壇を続けているわけですが…。さて、活動制限がいつ始まるか…第6波の増加の勢いの激しさに恐怖すら感じているところです。

 さて、認知症予防教室は、同時並行で5カ所くらいで進めているところではありますが、いずれにしても、年越して最初の予防教室なのとちょっと時間があったので…。

 

 仲間と一緒に講演会場の近くの神社に初詣。

 通常は、単独でお参りをしているのを仲間とともに訪問したわけですので、軍団訪問…と言いつつ二人でしたが…。どこかの事業所が社員連れて初詣をする姿が、東京の神社などの報道で見かけることがありましたが、こんな田舎ではまず見ないでしょう。

 並んで、末社、摂社、脇社もすべて二礼、二拍手、一礼と。

 一人で巡るのとはまた違った気持ちの引き締まる思いでした。

 

 そんな引き締まった気持ちをこころにもって、本日も予防教室。

 今日は、1月5日、ウィキペディアチェックして解説。

 

 1904年天声人語始まる

 1941年宮崎駿様生誕

 1971年高田万由子様生誕

 1973年櫻井淳子様生誕

 

そして、

 2005年準惑星エリスの発見

 

 認知症予防教室であるにもかかわらず、ついついエリスについて余計なお話をしてしまいました。この準惑星の発見がとてもすばらしかったのですが、このエリスのような存在が今まで惑星と言われていた冥王星の立ち位置が危ぶまれ、そして、最終的に準惑星という概念が定義され、惑星から降格されるというかわいそうな事件につながりました。

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エリス(?)

 参加者のみなさんは冥王星が惑星から外されてしまっていることはご存じありませんでした。驚きのお話となりました。

 

 相変わらずですが、認知症の病気のお話をすることはしているのですが、脱線する、飾り付けの多いお話になってしまいました。エリスに始まり、セドナ、ケレスなどなど、宇宙のロマンを繋げた、認知症予防教室は、おそらく全国どこ探してもないだろう…などと、過剰なうぬぼれを覚える今日この頃でした。

 

惑星の輝き

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電子カルテの弊害

 せんじつ、当直時にとある方の看取りをさせていただきました。

 「精神科医が看取り?」などといわれそうですが、意外と多いんですよ。

 精神科病院に入院され、臨終を迎えられる方の中には、身寄りのない方もおられます。とても寂しい看取りもありますが、諸事情あり致し方ありませんが、それでも最期は、みな同じです。厳粛な気持ちで看取りを行っております。

 

 その時に、最後に行う医師の仕事が、カルテ上の退院の処置とともに、死亡診断書の発行ということになりますが、主治医でなければ、その方がどのような形で最期を迎えられたかを知るためには、医師の記載した診療録を参照することとなります。死亡診断書については、看護記録やリハビリの記録などは参考にはできず、必ず、医師の診療録及びその時の診断が診断書の情報源となります。

 しかしながら…電子カルテによる事情なのでしょうか…主治医の記録が見当たらない…。時々、検査データの貼り付けはあるものの、肝心な記載が…さらに言えば、たまに見つかる主治医の記載は、以前の記載のコピーペーストでほぼ内容に変化がないものが並ぶ…。

 

 病棟の看護師に、この方がどのような治療を受けていたかを確認するも、主治医が病棟に来ないのでわかりません…と。

 

 もちろん、死亡診断書は臨終を診た担当医が記載することには変わりはないため、書き上げましたが…

 

 身寄りがないうえに主治医も登場しないまま、最期を迎えられる…寂しいものです。

 

 電子カルテは、確かにとても便利です。手書きと違って、先ほどのお話の通り、以前のカルテ記載を再度起こして、そこに追記することも可能となります。また検索機能もあるため、過去に書いた内容を参照することもできるため、まとめたりするのにはとても便利です。それと、きちんと読める字で書いてあること。

 さらには、パソコンから指示が出せるため、病棟から離れた場所にいても、点滴の指示などが参照でき、さらに、レントゲンなどの画像を見ることもできたりします。

 

 この便利な事柄を「悪用」すると、このような事態に陥ります。

 大学時代の同期の友達が、電子カルテを利用し、病棟に行かずに、看護師からの高騰情報を参考にして、指示を発動させた若い医師が危うく事故を起こすところだったと、厳しく指導したことがあるという経験談をきいたことがあります。

 精神科の医療においては、特に看取り関係では確かに、そのようなリスクというのは限りなく少なくなりますが、しかしながら…リスクではなく、やはりぬくもりというものが大切なのではないかと思います。

 

 電子カルテの弊害は、これから先もおそらく、同じ内容であっても再び、思いついたかのように語るような気がします。便利な一方でぬくもりを失うこれからの医療…どちらへ向かっていくのでしょうか?

 

 

ごまウシの先々の妄想

 先々の夢というものを考えながらぼんやりするのが私は好きだったりするのですが、ぼんやり物思いにふけることが出来るような贅沢な時間の使い方をしたいと思うことがあります。

 ぼんやりの物思いをするための条件としては、当然ながら日常生活の雑念が目の前に存在しないことです。そんな条件を考えているとやはり、旅行をするときでしょうか。

 旅行というのは必ずしも、楽しみの旅行とは限りません。いわゆる出張なども含めてのことです。

 通勤の移動時間は…残念短すぎるのと…やはり、目の前のことで、頭がぐるぐるですね。

 

 昨年は、前半では、この物思いにふける条件がいくつかあったような気がしました。贅沢な時間の使い方ですが、気持ちをリフレッシュするためには必要かなと思ったりします。

 今年は、もしかしたら、全然そのような時間がとれないかもしれないけど、この物思いにふける時間を作れたとしたら、今度は思いついたことをメモに残してみようと思ったりします。以前のブログの中には、自分ノートを作ることを提唱したことがありましたが、実際、なかなか持ち歩けなくて、出来ない事が多くなり、最近はお留守状態となってしまいました。

 

 自分ノートは、こういうときに活躍するものですが、持ち歩きになかなかうまくいかなかった反省点から、これからは…自分メモ…と言うものを考えてみようかと思いました。書いたメモのあとの取り扱いが重要になりますが、その取り扱いを考えておく必要がありますね。ゴミになってはもったいないので。

 

 何気なく沸き起こるアイデアは、のちのちに必ず役に立つだろうと思います。

 

 さて、ごまウシの最近の物思いは…と言えば、妄想のように、壮大なものが広がりつつあります。この妄想が、実現するかどうか…これはやってみないとわかりませんが…。

 

 でも、この物思いにふける時間…人生の肥やしになりそう

 もったいないと思わず、潤沢に時間を使いたいものですね。

 

…なんて当直しつつ思うひとときでした。(当直の物思いもなかなかよいです)

 

 

濃霧の初出勤

 新年に入り、早くもお休みが終わり、出勤をしなければならないときが来てしまいました。いつまでも布団の中でごろごろしていたいところですが、ごまウシが本物のウシになりかねない…それに、もう干支の丑も終わったので、シャキッとしなければなりません。

 

 さて、本日の出勤は、この地域のこの時期ならではの自然現象を見ながらの通勤となりました。

 

 前日に、雨などで地面が湿気を帯び、そして、夜間に風が吹かずに湿気をため込んだ翌日、日の出とともに、一気に霧が立ち込めます。通勤電車は、遠くに見える白い霧の塊に、頭突きするかのように飛び込んでいき、飛び込んでからは、50m先が見えるかどうかの濃霧の中を走ることとなります。

 

 幻想的ですが…でもやっぱり通勤だからね…周りを眺めているわけにもいかず…。

 だた出勤後に目に映る雲海はなかなかのものです。雲海という表現が妥当かどうかですが、霧の海ですね。

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雲海

 ある意味では自然の恵みですが、この霧が最終的にどこに行くのか…。知らない間に姿を消してしまうのもきりです。

 今日は天気がよさそう…。霧は空気のよどみを地面に落としてくれるのか、霧の腫れた後は空気がとてもきれいです…。

 

 

初詣

 混雑していることと、寒いことなどを理由として、初詣はなかなか行けませんでしたが、思い切ってお出かけしました。

 しかし、本日は、まだ2日ですので、混雑は激しく、大きな神社へお邪魔するのは遠慮することとなりました。新年と言うことで、全ての空気が変わった感じになりますが、実際のところ、連続性の面では大きく変化したわけではないのですが、不思議と、空気が切り替わったような感じで引き締まった気持ちになります。

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岐阜稲荷大神

 こちらの神社は、日頃登山道のような道を上ってお邪魔していた稲荷神社の本殿の方で、本殿は、また場所が違うところにあるため、山からはなかなかお邪魔できませんでした。神社の麓からお邪魔すると本殿はすぐなのですが、裏山から臨むとだいぶ遠方になってしまいます。

 久しぶりにお邪魔したので御朱印を頂きました。

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御朱印

 以前頂いたのは昨年の夏でしたが、雰囲気が大きく変わりました。

 

 最後に本日の〆として、最寄りの神社の御朱印頂きました。大判です。

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神社御朱印

 神々のお宅巡りのタイトルではありませんが、今年も引き締めて頑張ろうと思った日でした。