とある方の、診察で、精神科とその他の診療科との感覚の違いというものに遭遇しました。
身体を管理する診療科は全て共通していることではないかと思いますが、症状を解消することに徹することが主たるテーマとなりますよね。
所が精神の場合は、その症状といかにうまく付き合うか、克服するかという所に注目するような方向が目立ちます。
例えば、自律神経失調症の症状があり、内科に受診したとします。内科の先生は、症状緩和のために、薬物療法を行いつつ、早くよくなることに徹してくれます。しかし、これが面足るの影響が多いという事で私のほうに相談をいただくことになるのですが、私のほうでは、本人と話し合いながら、この症状の根元となる、精神構造の分析家から始め、本人が、その症状と心理的な背景との関連性を見出す分析を行ってもらうことから始まり、関連性を気づいたときに、このときの心境の分析をさらに深め、そして、心境の分析の中で過剰な解釈や極端なゆがんだ考え方などを見つけ出し、その事柄への修正を加えていく作業を行っていきます。
薬物療法を…となると、症状をとるために神経症のお薬などを使っていく訳なのですけど、時には、精神科の薬物療法の消極的な人なんかは、薬物療法をあまり心地よく思わなかったり、時にはやたらと眠たくなり、薬物療法が生活の支障になったりすることもあります。
そんなときには、症状はともかくとして、精神療法のみで、向き合う事も行ったりします。そうすると、内科から見ると、「治療していない」ようにみえてしまったりします。
この治療スタンスの違いにより、お互いの誤解を招いてしまうこともありますが、一方で、取り組み方の時間的感覚の違いにより、誤解をお互い招いてしまうことがあります。
内科の場合は、やはり症状に対しては物理的な治療があって当然のことで、それが存在しないととても不自然な感覚になります。
時間的概念で言えば、目の前の症状は、できるだけ速やかに消し去りたいために、症状に対して治療効果のある薬剤を速やかに処方します。
一方で精神の場合は、月単位で本人のペースに合わせてじっくり向かいますので、その時に物理的な薬物が存在しないこともあり、さらには、数ヶ月とか長いスパンで治療のプランを立てたりすることがあります。この物理的時間的概念の違いが、「変だ」といった感覚に陥り安う所でもあります。
そんなときには、やはり、コロナ渦においてもやはり、診療担当医同士のface to faceの話し合いが一番効果的かと思ったりします。
本日は、そんな出来事を実感した日でもありました。
この投稿は、日曜日にありますが、これを書き終えたごまウシは、すっと日曜日モードに突入するのでした。今週は、なんとなく長かったなぁ…