ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

森林浴と認知症予防

 昨日までの星の話しからガラッと変わりまして、地球に下りてきて森林浴についてのお話をさせていただきます。森林浴と言っても、森林に突然入って、雰囲気を味わうというシンプルなお話ではありません。森林浴をするためには、まずは入山することから始まります。すなわち、歩くという運動が伴うという事です。運動をしながら、緑に包まれた明るい色に包まれる視覚的な楽しみとともに、草木から空気に溶け出す、様々な揮発性天然有機物の香りを吸うというのが、森林浴の姿と言えます。

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森林浴

 みなさんは、ちょっとしたハイキングとか、最近したことはありませんか?私は先日から登場しているとおり、ハイキングではありませんが、神々のお宅巡りをしておりますので、写真のような森林の中へ足を運んでいます。森林に入ったときに、様々な感覚が研ぎ澄まされるような気持ちになったような感覚を覚えた方はおられたかと思います。

 私たち日本人にはあまりなじみがない医学分野にAromatherapyと言うものがあります。アロマはあくまで医療ではなくてリラクゼーションなどの装飾だったりインテリアだったり、別の分野での世界と感じているかもしれませんが、ヨーロッパでは、立派な伝統医学として、君臨しています。日本や中国に存在している東洋医学と同じような位置づけにあります。

 突然のアロマのお話でびっくりされたかもしれませんが、このアロマである香りの素は、脂溶性物質と言われるものです。脂溶性物質は、空気中を漂い、鼻腔に付着して、直接嗅神経を刺激することで、香りを認知します。この嗅神経は、鼻腔に直接露出する珍しい神経で、外部から最も脳に近い距離にあるところでもあります。ヨーロッパの伝統医学として、この脂溶性物質が、脳にかなりの影響を与えるという事を追求されています。ところが東洋医学と同じで、様々な混合物が中心となっているため、いわゆる医学的エビデンスを構築することに苦労をしている現状があります。アロマは特に人口的に合成された物質では、刺激が強すぎるようで、不快感やぜんそくなどのアレルギー反応が出てしまったりと、純物質でのとらブルが多いため、専ら画天然物質から抽出されたもので検討されるため、常に同じものという均一性がなく、直されエビデンス構築に困難さを導いております。全く東洋医学の天然生薬についての検討の難しさと同じですね。

 さて、話しは戻りますが、森林浴においては、この天然のアロマに溢れかえっています。森林の中で溢れかえっているアロマの中には、脳神経系にとって活性をあげたりするものがあるというお話もあります(もっともっと明瞭なエビデンスがあれば、物質の名前から科学的機序などの説明ができそうですが…なかなか…)。もちろん、有害なアロマも森林の中には混じっているかもしれません。毒キノコがあるように全てが大丈夫というわけではありませんが…それはそれで置いておいて…。認知症予防学会では、この森林浴につい多くの時間を注いで注目しておりました。研究をする立場ではないため、結果を出してもらえることを期待しているわけではありますが、認知症の予防につながればと祈るばかりです。

 森林浴については、先ほどで触れましたとおり、視覚情報で得られる癒やしも加わり、さらに、体を動かすというエクセサイズによる効果もあるでしょう。

 とてもとても回りくどいお話をし続けていますが、五感をフル活用して体を動かすことは、脳生理学的にはとても良いことで活性化させるきっかけになります。アロマのお話もしましたが、それだけでなく、自然と溶け込んだ生活は、やはり健康には必要なことなのです。認知症予防学会という専門学会が大きく取り扱う前に本能的に森林浴の良さについてはみなさんの感覚にはあるのではないかと思いつつ、現代人の生活の中では、この森林浴が欠乏している現実と、さらには、今まで森林については多くの林業家がメンテナンスしてきたのが現在崩壊しかけている現実問題にもやはり向き合っていく必要もあるのではないかと思うところであります。

 

 結論です。そう、森林浴は、いいんです!

 

 

星の大きさと距離

 さて、昨日は、七夕のこともあり、VegaとAltairについてのお話をさせていただきました。地球からそれぞれが25光年、15光年という距離にありました。宇宙規模で言えばとてもご近所さんのこの二つの星ですが、ご近所さんなので、地球からは際だって目立って明るく見えています。私は、星空は好きでよく見たり、星を調べたりしますが、星座については、ほとんど分からないと言ったちぐはぐなところですが、宇宙の壮大さは、とてもロマンを感じます。

 明るい星で近くにある星達は、もしかしたら、将来直接観測機を届けることができるかもしれないという事も今は言われているものですが、残念ながら現実的な星は、もっともと近くの星であるα-Centauriの星系でしょう。距離にして4.3光年です。ちなみに1光年は、ひかりが1年かけて進む距離ですが、kmの単位ではうまく説明できませんが、1秒間でひかりは、地球を7回り半するという事が小学校の理科の教科書には書いてあったと思います。1秒で7回り半です。1分間であればおおざっぱには450周です。さらに1時間で約27000周、1日は七十万周、そして、1年となるとこれに365を書ければ、約2億5千万周となります。α-Centauriまでは、おおよそこの4倍なので、10億周地球を回るくらいの距離があると言えます。

 地球10億周分の距離を常識の範囲内で移動できる有人飛行船はもちろん存在しません。しかし、最近では、太陽風を使って加速させるタコのような宇宙船(宇宙船と言っても数センチ四方の箱に帆を伸ばしたもの)が開発され、これであれば、25年ほどで到達すると言う事だそうです。確かに現実的に可能ですよね。ただし、まだ打ち上げられていません…私からすると早くしてもらわないと、生きているうちに隣の星を直接観察できない…。となりますので是非是非はやく実行してほしいものです(ちなみに、通信に片道4年かかる訳なので往復だけで8年の通信時間がかかるので、宇宙船が到着してすぐに写真を送り届けたとしても約30年後になります。通信して、観察ポイントの指示などを出したりすることをすれば、そのたびに8年かかります。もう、身が持ちませんね…。

 このα-Centauri星系には,最も地球に近いProxima Centauriという赤色矮星という小さな星と、太陽とほぼ同じ大きさの二つの星であるα-Centauri AおよびBの3連星を形成しており、南半球で目立つ形で見ることができるそうです。前年ながら日本では見ることはできません。

 日本でよく見えるとても近い星は、おおいぬ座に所属しているSirius(AとBの連星)でしょう。8光年とAltairよりもずっと近い距離に、Altairとほぼ同じ大きさの温度の高めの星として存在しているため、とても目立つ存在で、全天で最も明るい星という事になります(太陽や月など太陽系の星は覗く)。太陽よりも大きいので決して小さい星ではありませんが、明るく見えているのは、近いからと言う事になります。おおいぬ座という冬の星座を登場させましたので、明るい星の中で同じように有名な冬の星座にある星は、オリオン座にあるRigelとBetelgeuseの二つがあります。この二つの星は、とにかくスペックが今まで挙げてきた星達とは次元が違います。昨日登場したDenebとナジようなハイスペックな星達です。

 Rigelは太陽より23倍もの重さを持ち、とても高温で燃焼している若い星で、青色超巨星と言われている星で、860光年も離れているのにとても明るく輝いています。太陽よりも最大27万倍もの明るさを持つという化け物です。この青色超巨星が歳をとると、どんどん膨らんでいき、最終的に赤色超巨星となります。このように歳をとった赤色超巨星がBetelgeuseとなります。重さで言えば、Rigelより小さい太陽の16倍ほどではありますが、膨れ上がっているため、形もいびつにこぶを持っていたりするおかしな星になってしまっていますが、半径は太陽の760倍近くに膨れ上がっているため、550光年離れていてもとても明るく見えます。

 現在は、天体観測技術が飛躍的に進歩をしているため、地球から星までの距離、星自体の大きさや半径、明るさの強さ、その変動など様々な情報が得られているため、このような壮大なお話になりますが、昔は、星は平面図にしか展開できず、奥行きは全く分からなかったはずです。しかし、古代の人たちは肉眼で多く時間星空を観察していたのでしょう。星の名前は、昔から言われているものばかり。

 私たちの頭上には、これだけ壮大な世界が広がっているのです。やはり、人間の細やかな活動に、カリカリしたり落ち込んだりするようなことがあっても、夜空を眺めると、とても些細なことに感じることができるでしょう。そう、本当に些細なことなのです。イライラすることも辛いことも、悲しいことも、壮大な夜空を見て、些細なものとして、片付けてしまうこともストレス発散の一つとして重要でしょう。

 最後に、星のスペック比較を画像にしてみました。

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Betelgeuse

 昨日も登場したUniversal Sandboxですが、Betelgeuse、Rigel、Sirius、そしてSunと4つ並べてみたのですが、規模の差が大きすぎて、Betelgeuseの橙色の巨星とRigelがそれに比べてちっぽけな蒼い星として見えます。

 この画像を拡大してみると…

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Sirius and Sun

Rigelの手前にぽつんと、蒼い豆粒星のSirius、さらにちっぽけなSunが白く輝いています。あまりにも規模の壮大さにここに地球を描くことは到底無理と言えます。

 とにかく、宇宙はでかい!

 

七夕のイベント

 友達からのお知らせでハッと気づきましたが、書いている今日は7月6日ですが、明日は七夕なんですね。みなさん、短冊にお願い事を書きましたか?お願い事を考えたら、短冊は、100枚遭っても足りませんね…。欲張りな私は、短冊の使用制限をかけられてしまいそうですが…。

 この七夕のお話は、彦星様と織り姫星様が天の川をはさんで離ればなれになっているという遠距離恋愛のお話でしたね。そして、1年に1回、川を渡って出会って愛を誓い合うのでしたね(愛を誓い合ったかどうかは、正しかったかどうか分かりませんが)。

 これからは、リアルなお話をしたいと思います。まずは、それぞれの星のポジションとスペックを説明をしていきましょう。織り姫星Vegaは太陽より、2.6倍ほどの重さがあり、重さもさることながら動きについても、女性らしくなく、とてつもない速さで自転しており、赤道がちょっと膨れ上がったような潰れたボールのような形をしているようです。あまりに自転が早いため、もう少し早いとこの星は壊れてしまうと言う事らしいです。地球からは約25光年離れているのですが、宇宙の規模からすると、本のご近所さんと言ったところに位置しています。

 一方で彦星Altairは実際は、Vegaよりも一回り小さくて、太陽の1.8倍程度の重さの星で、Vegaと同じように猛烈なスピードで自転しており、赤道部分が広がる形をしているようです。女性であるVegaの方が大柄なんですよね。地球からは、Vegaよりは少し近くて15光年ほどで、さらにご近所さんという事になります。Altairの方が地球に近いのですが、サイズが一回り小さいこともあり、結果的には、ほぼ同じ明るさながら若干Altairの邦画くらいと言う形になります。

 どちらも太陽よりも倍くらいの大きさと大きなサイズの星ではありますが、地球から見ると、ちょうど天の川銀河の両岸くらいに目立って光っており、七夕の時期によく見えるため、ロマンチックなお話に発展しているわけですが、実際のところ、VegaとAltairとは、お互いが15光年ほど離れているという事で、ご近所さんであるけども、物理的にはお互いひかりで15年もかかるほどの距離の差があるというとても遠距離の恋愛を繰り広げているわけです。

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Universal Sandbox2

 ちなみにこの画像は、Universal Sandboxという宇宙シミュレーションで、天の川の両岸遭うように手前にVega対岸にAltairと配置してみた図です。そして、私からのささやかな配慮で、Vega、Altairの間の距離は、とても近く設定してあり、0.5AU(天文単位といって1AUが太陽と地球の平均距離を指しています)と言う近い距離には位置してあります。実際この距離に星を配置すると、お互いが猛烈なスピードでランデブーをし始めるか衝突するかでお互いを潰し合ってしまうことになります。あくまで夢のイメージという事にしておいてください。

 素敵な七夕の物語ですが、現実的には、とてもとても射通し遠距離恋愛の物語であることが分かりますよね。また、この壮大な宇宙の物語を見ていると、地球の上で起こっている人間同士の諍いなんて言うのは,塵にもならないほどのちっぽけなものと感じてしまいますよね。

 

 最後に補足ですが、星座で夏の大三角と言われるのは、このVegaとAltairに加えてDenebと言う星が加わりますが、このDenebのスペックは、桁違いに巨大なものとなります。なんと、太陽の質量の15倍を超える猛烈に大きな星で、明るさとしては、太陽の5万倍の明るさという事で、1800光年も離れているのに、VegaやAltairとほぼ同じ明るさとなっています。あまりに遠い世界での話しのため、星空を見るだけでは、この巨大な差については、全く気づけません。やはり、地球の営みはとても小さなものですね。

 

 

終活専門家が認知症予防活動

 終活専門家といえば、もちろん葬儀屋さんです。葬儀屋さんは、終活の一つの流れとして、葬儀をどのように執り行うかを専門としているわけですが、生きているときから会員登録をして、その準備を進めることが今どきの葬儀屋さんの流れかと思います。

 このような葬儀屋さんの活動の中から、葬儀屋さんの一定の割合の職員さんが、ご高齢の方と接するうちに、高齢者の生活の質について考えてくれるようになってきてくれたということが、最近の世情にあるのではないかと思います。それが、葬儀屋さんが取り組もうとしている認知症予防の活動といえるでしょう。

 先日参加をしていた認知症予防学会の会場に葬儀屋さんが来られていたわけではありませんが、地域の活動の中では、会場を葬儀屋さんのセレモニーホールを貸してくれたりするところがあります。会場として借りる点については、葬儀とは関係はないのですが、参加者の気持ちはどうか…その点はいろいろと複雑なところがあるかと思いますが、明らかにセレモニーホールは、公民館と異なり、空調関係などの環境は行き届いていることは確かです。そのような快適な場所でそのような認知症予防の講演や活動ができることは大変助かるといえます。

 葬儀屋さん、さらには、葬儀に関連しているお寺さんも認知症予防についての活動をされているところがありますが、やはり、日常お付き合いのある方が認知症になってしまったり、体力を消耗して寝たきりになってしまったりするということが、目の前で起こっていくわけなので、確かに、最終的にはお客様ということでしょうが、情としては忍びないところもあると思います。やはりせっかくの付き合いのある方ですので、できることなら、元気な高齢者として活動し、最後にピンシャンころりという形でお客様になっていただきたい…そういう思いでいらっしゃるのではないかと…私が勝手に推測しているところではあります。

 終活専門家の認知症予防活動は、そういう点では、目の前の会員様が…という目で見ていただいているところがあり、ボランティアである一方で、接客のビジネスとしての視点もあり、熱心さは、数段高いものがあり、私たちとしてはとても心強いものがあります。人の死に多く接してこられていることもあり、死生観についてもよく考えられていることもあり、この認知症という病気やそれ以外にも私たちが関与しているがんという疾患もそうですが、これらの病気とどうやって心地よく上手にお付き合いするかということを真剣に考えてくれます。

 時々、行政の高齢者の支援のための活動に、葬儀会社が広告を載せていたりすることをどの地域でも最近は見かけるようになったのではないかと思いますが、時には不謹慎だと思う方もおられるかもしれませんが、葬儀屋さんという職種はともかくとして、当事者としては、案外一般的に想像されている以上に気持ちを込めて、支援をしていただいていることは確かなのです。将来のお客様というよりは、将来に家族とともに終活支援をしていくというぬくもりのある理念がそこにはあるように考えられます。

 私も最近までは、コラボレートすることなど全く想像もしていませんでしたが、これからは、やはり、治癒困難な病と向き合う限り、最期のお迎えをする業種の方との接点も、大切であり、「最期」という一般的にはタブーとされている分野にあえて飛び込んでいる方々のぬくもりを受け取りながら、一緒に高齢者の元気な姿を応援していけたらと思います。

 

 結論ではありますが、葬儀屋さんなど、終活に取り組まれている方々とコラボレートした、認知症予防活動や緩和ケア、終末期医療の支援について、今後取り組めたらと思っております。賛同される方からのメッセージお待ちしております。

 

 

長期化するうつとの戦い

 うつ病は精神科領域の病気の中では最も知れ渡っているものではないでしょうか。神経学的なメカニズムについても、まだ仮説と言われている部分もあるものの、だいぶ解明されており、多くの抗うつ薬が開発されています。しかしながら、現在もなお、長期化するうつが存在することは事実であり、この長いお付き合いがその方の人生に大きく影を落としてしまっていることも確かであり、精神科医としては、このような慢性化するうつをなんとか治療しきりたいという気持ちを持っているほぼ共通認識かと思います。

 まずは、その前に、うつとは何かという事を見てみる必要があるでしょう。うつは、診断基準としては、抑うつ気分、意欲を含めた「欲」の低下などがありますが、大切なこととしては、発症すると言うからには、以前にはなかった症状という事になりますので、もともとから抑うつ的な考え方を持っている方とかは除外されます。新たに発生した症状としてこれらの症状が出現し、これが2週間以上継続することをうつ病と診断しています。

 このうつ症状については、様々なきっかけで発生することがありますが、そのうつ症状が出現するための原因となるようなきっかけがあるような場合は外因性のうつと表現を使うことがあります。一方で、何らきっかけなどが見いだせないまま突然うつ状態になるような、脳内の神経系のトラブルが純粋な原因と考えられるうつである内因性うつと言われるような範疇になります。ただ、現実的には、外因性の要素と内因性の要素が入り交じった状態がうつ病と言えます。

 さらに、このうつ状態について、神経学的な話題を振れれば、神経と神経とのやりとりをしている物質の中でセロトニンという物質が存在しますが、そのセロトニンが減少し、神経伝達が妨げられることにより神経活動が低下し、その低下が、うつ状態を呈する形をとります。

 内因性の要素は、神経系のセロトニンを充分保有できない状況にある方が、欠乏して、うつ状態を呈するものですが、外因性の要素は、セロトニン系神経の過剰使用に伴い、セロトニンが相対的に不足する現象です。内因性の要素をもつ方には、このセロトニン系の神経が最初からゆとりがないため、セロトニン系神経の負荷にはかなり弱いという事となります。

 治療としては、このセロトニン系神経の復活を果たせるようにするためにセロトニンを補充し、神経機能の正常化を図ることが基本とされており、そのための抗うつ薬の処方がされているわけです。しかし、セロトニン系神経の過剰使用が継続している場合には、この過剰使用を軽減するためにも、精神療法を用いて、生活習慣の中での精神活動の補正を行うことが重要とされています。

 さて、このようなおおざっぱな機序の説明から見えてくる長期化するうつについては、言い換えれば、慢性的なセロトニン不足状態を意味していると言えます。その可能性が高い条件と言えば、もともとセロトニン神経系が弱いという内因性の要素をおもちの方が、日常生活面でセロトニンを過剰消費しやすい生活をしていることがたし合わさると、常時セロトニンが不足した状態が継続し、回復できないという事になります。もちろん多くの方がうつ病としての通院治療を受けられているわけですので抗うつ薬の処方などで、内因性のセロトニンの量の回復を図るための取り組みはされているのですが、それでも不足した状態が慢性的に続いてしまっているという事になります。

 この長期化するうつには実際のところある種の悪循環というものがあると考えられています。内因的要素については、これは外部からどれだけアプローチをかけても一定の限界があり、外因性の要素の改善を図る対策が必要となります。最初にうつ病の診断に抑うつ気分というものを触れましたが、うつ状態ですと、考え方が必然的に否定的、悲観的になっているため、この考え方そのものが不安や焦りなどを導いてしまうため、この不安や焦りがセロトニン神経系に対して負荷をかけてしまい、結果的にセロトニンの過剰消費につながります。

 この考え方の変化が短期的な場合は、もともとの考え方に戻すことはさほど難しくないのですが、この抑うつ気分を年単位で持続させてしまうと、もともとの考え方や悲観的思考以外の楽観的思考や前向きな思考などが想定できなくなってしまい、不必要に悲観的思考が継続してしまうこととなります。

 長期化したうつに対する対策は、長期療養について身に付けてしまった後ろ向きな思考回路を抜本的に修復していくことがとても重要になると考えられます。

 現在のうつ病診療では、どうしても、この考え方のくせに対して抜本的な修正を加えることが難しいと言えます。日常生活を送りながら、抜本的に考え方を変えるのは、さすがに難しいでしょう。

 理想的には…思考を変えるために、別世界に入り込んで思考を修正し、修正した思考が習慣化するまでその別世界で過ごして復帰することが良いのかもしれません。ただ、そこまで別世界に生活の軸をおくと、物理的な生活習慣自体も変わってしまうため、難しいのかもしれません。

 

 結論ですが、長期化するうつには、考え方のくせに変化を生じ、セロトニン神経系を過剰使用するような考え方の習慣がついてしまい、この結果として慢性的なセロトニンか乗しよう状態が続いているため、改善がなかなかできないと言えます。

 うつ病となった場合には、できる限り早く、この思考回路を修正し、元来のスタイルに復帰することがやはり望ましいでしょう。

 

 

 

事業を展開することの難しさ

 私には未経験のことではありますが、昔から付き合いのある方と事業パートナーを組んで新しい事業展開をしようとすることで時々打ち合わせをしているのですが、事業展開というのはとても難しいと実感しております。

 事業パートナーの方は、ある意味では既に実業家としての位置づけの存在であり、事業を開くというのは、私の見ている限り、新しく、趣味を始めるような感じの気楽な感じで行われているように感じられます。もちろん、だからこそ今までもたくさんの事業展開ができたのだろうと思いますが、医師という職業人であり、かつ雇われている立場というサラリーマンの私には、やはり感覚的には、ついて行けないところがあるのかもしれません。

 ただ、事業の話題を持ちかけられ、やってみようと考え、了解をしたのは私自身であるため、事業を実際に展開できればと思います。私が関与することとなった理由としては、高度医療機器管理責任者という立場の人を必要とする事業であるため、医師免許の応用活用としてのこの高度医療機器管理責任者としての役割を果たすという事ととなったわけです。

 なお、パートナーの方は、このブログの愛読者でもあるため、このようなことを書いているのを見て、またコメントももらえるものかと思いつつ、最近聞いたところ、「あ…最近見てないわ、はっはっはっ」って。ちょっとがっかり…。それはそれとして、事業を展開するに当たって、楽しく展開できればと思う思いも共有できているかなと感じるところではありますが…なかなか、意見や考え方が共有できないんですよね…。

 事業展開については、パートナーがプロフェッショナルとしてできるにもかかわらず、その事業のある意味管理責任者を事業展開素人の私が担うという、矛盾した構成で取り組むこともあり、展開に難航しているといった方が良いかもしれません。

 さて、ここまで書いてきて、一体何で困っているのかというのは全く分からないかと思いますので、これから、少し具体的に書いてみたいと思います。実は書きながら、何か答えがないものかと言うのを考えるために、ブログを利用してしまっているのもありますが…。

 事業展開における発想は、基本的には、事業で成功するかどうかと言うのは、先見性の目と言えます。今回の事業についてもパートナーの先見性の目による発想が起源となっています。その原動力にお誘いを受けて載っかっているのが私という事になります。もちろん、事業展開そのものに、無関係な歴史を持つ私は、それだけで事業に同調するつもりはなかったのですが、その事業展開で収益を上げた先に介護施設などの事業展開に繋げたいという思いがあったため、将来的なことも考え、協力することになったのです。正直なところ、事業展開は異職種でもあり、素人の塊であるため、足を引っ張るだけで迷惑の塊だろうと思ったりするところがあります。精神科医としてのアドバイザーが活用できるのは、展開した事業が傾いたりしたときの従業員への同様波及の回避方法や最低感に向けた、考え方の整理整頓などではあるもののまっさらな事業展開については、慎重論と豪快論とのせめぎ合い程度しか検討できないため、なかなか難しいところがあります。

 このような素人な私がプロフェッショナルなパートナーに口を出すことは釈迦に説法と言っても良いようなものではありますが、管理責任者という立場をとるならば、やはり理念を設けたいというところから、パートナーと事業を進めるに当たっての理念の共有を図りたいところで議論を進めているのですが、パートナーとしては、事業展開のための手続きなどを早く進めたいという考えが強く、理念の共有ができることなく、具体的な動きが始まろうとするため、私が立ち往生してしまうと言う事を繰り返してしまっています。

 事業を展開するためには、展開するための手続きなどの準備に時間をかけている暇がないこともあり、また、下準備が時間かかれば、実際に展開するまでにさらに時間を要するために、展開してからのことについては、あとで方向修正したりするという考え方があるようですが、どうしても、展開後のイメージがわかない中で進めていくというのは、私としては、とても不安でどうしようもないという事もあり、たじろぐと、余計共有できない…などと言ったことで押し問答をしてしまっているところです。

 事業には確かに理念が必要だと思われます。理念なしに事業展開をすれば、それは決して長続きするものではないと思われます。もちろん短期的な事業なら、それで良いのでしょうけど、長期的な事柄も考えた上での動きであれば、なお一層慎重にしたいものです。多くの事業を展開している方のコメントなどを見ると、事業は開いてみてから失敗しそうなら、さっと引くという姿勢を含めて、ダイナミックに動くことが重要であると耳にする事があります。これは、成功体験や失敗体験を繰り返した方が言える言葉でもあり、私のような素人が言える言葉ではないと言えます。パートナーとの押し問答は、これからも続くことでしょう。

 読者であるはずのパートナー…もちろん、この文章も読んでくれているはず…まさか、忘れたなんて言わせるわけにはいきませんが…。引き続き、ゴタゴタすることでしょう。

 

 結論ですが、事業展開という取り組みは、とにかく展開してから、その後の方向修正をダイナミックに行うことになりますが、これができるかどうかで事業は発展するかどうかが決まるのでしょうけど、その方向修正をダイナミックに行える自信がない場合には、私のように、事業展開をする前に立ち往生するのではないかと思えました。とにかく、何事も学び、経験して、判断をしたら素早く動くことが重要なんだとつくづく感じました。

 

 

定期券圏外神々のお宅訪問。Vol.6

 今回は、ちょっとだけ立ち寄る形ではありますが、神々のお宅訪問のスタート地点に立ち返ってみました。一応…経過報告といった感じでしょうか。御朱印は今回の巡りではいただくつもりはありませんでしたが、念のため、御朱印帳は持ち歩きました。

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金神社鳥居

 既に、スタートの日に撮った写真でもこの鳥居は登場しておりますが、前回が晴れ間の鳥居でしたが、本日はあいにくの天気ですが、この鳥居の写真を撮ったあとから、猛烈な雨が降り出し大変でした。

 「こがね」神社といい漢字で表記すれば、「金」です。お願い事に下心満載…と言いたいところですが、もちろん、それも含めて、お願い事をしても良いのが神社ですので、お願い事の内容はともかくとして、この鳥居を再びくぐりお邪魔をさせていただきました。

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稲荷神社

金神社と棟続きという形で、稲荷神社が隣にあります。ここのお稲荷さんには、連なった鳥居はありませんが、きちんとキツネさんがいらっしゃいます。このお稲荷さんの建物の横にさらに鳥居があり、裏に道が続き、7つの摂社、末社がならんでいます。

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金神社摂社

 金神社は、地域の氏神様を後ろに祀ってある形をとっているため、全部で9カ所のお参りをすることとなります。以前にも触れさせていただいた通り正しいかどうかは分かりませんが、私のお参りの仕方として、最後に本殿をお参り親しめるという形をとっていますので、後ろに回って、各社をお参りした上で、お稲荷さんのお参りをして、最後に本殿をお参りする形をとりました。

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金神社本殿

 直前まで、祈祷が行われていましたが、やはり立派です。

 朝にお邪魔をしましたが、今日は特別行事があったわけではありませんが、参拝客がとても多く、参拝に行列が少しできかけていました。

 

 さて、周囲から、神社巡りばかりせず本業でもいかが?などと言われつつある今日この頃ではありますが、言い趣味を見つけてしまった感じで、ついに雨の日にまで巡るようになってしまいました。温かい目で見守りいただければ、幸いです。

 

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