幻視という症状は、もちろん認知症だけに現れる症状ではありませんが、幻視の症状を認める認知症の疾患は確かに存在します。
認知症診療の世界や介護の世界の中で「幻視」の話題が出てくるとしたら、先ずは、「レビー小体型認知症」と言うことになるでしょう。幻視の症状だけでレビー小体型認知症と診断してしまうドクターもいてしまうくらい有名な症状ではありますが、アルツハイマー型認知症においても幻視はないわけではありません。ただ、幻視の機序については、基本的には同じではありますが、さほど多くありませんが幻覚妄想を主たる症状として認めている統合失調症における幻視とは少々機序は異なるらしいような事を文献で読んだことがあります。
今回の幻視のお話しは、レビー小体型認知症を代表として認める、認知症の世界における幻視についてお話をしたいと思います。
まず根本的なお話しとして、人や物を「見た」と認識するのは、そこにものがあるから見えるというのが常識かと思いますが、この常識は、目からの視覚情報があって伴うものという原則を考えてしまいがちなところがあります。しかしながら、失明して視覚情報を得ることができなくなってした方においても、「見える」という症状は存在すると言われています。残念ながらごまウシは盲者の方に直接その「見える」について詳しく伺ったことはありませんが、「見える」という概念がなくなるわけではありません。不思議ですよね。見えないのに見えるわけです。そこが、見るという事がスマホのカメラ機能などとは異なる部分になります。
スマホやデジタルカメラなどにおける見えるという機序については、おおざっぱに言えば以下のような機序になります。
現場の光景をレンズを通して光が光感知のチップに暴露される
↓
光の波長などの情報をチップが集積し、その情報をマイクロプロセッサーに伝達
↓
マイクロプロセッサーがその情報を処理して、画像ファイルとして作成
↓
作成したファイルを附属しているディスプレイに表示して見たこととなる
生き物の場合は、いかがでしょうか?
現場の光景を角膜、レンズなどを通して、網膜へ投影し視細胞に光を暴露する
↓
光に興奮した視細胞情報が視神経を経由して後頭葉へ情報伝播される
↓
後頭葉で情報を過去の様々な視覚情報と照合し、情報に意味を与える
↓
後頭葉から意味を与えられた情報を側頭葉、前頭葉に提供し「見た」と認知
このような流れとなりますが、認知症など神経疾患に罹患すると、実のところ後頭葉での情報処理にバグが発生するようになります。そうすると、このバグは、目からの情報に対して誤った情報の意味を与えてしまったり、視覚情報が提示されているわけでもないのに視覚情報が届いたとして、過去の視覚情報などに基づいた照合処理などをして意味を与えてしまうようなことが発生し、その結果として「見た」という認識を与えてしまうことが発生します。
この結果として、その場に存在しない、視覚情報を経由しない情報に基づいた解釈などが認知されてしまうこととなり、「見えないはずの何か」が見えたと認識されるに至ります。
ごまウシは詳しくは分かりませんが、いわゆる心霊現象は、このような後頭葉の誤作動が主体なのかもしれませんが、あるいは、超常的なものの存在を容認した場合においては、視覚情報として霊体は存在しているのではなく、直接後頭葉の神経細胞にその存在は刺激を与えている可能性もあるかもしれません。
ただ、この結果で誤作動で「見えた」という認識は、目で見た視覚情報との照合などの処理を経由していないにもかかわらず、同様の結論を側頭葉から前頭葉にかけて伝達をしてしまうため、目で見た情報と後頭葉で発生した情報とは区別することができなくなります。これが幻視の機序のようです。このため、幻視は、その方にとってみると、紛れもなく「見えた」という事実であり、存在していなくても見えているのは間違いないわけです。
介護の世界では、幻視について、「あるわけない」「見えない」などとついつい頭ごなしに否定してしまうことがありますが、幻視は、確実に見えているものなので、周囲の人に否定されると、「信用されていない」「嘘つき扱いされている」といった気持ちにさせてしまうこととなります。
認知症の世界における幻視は、リアルに見えている幻であり、それを周りがいくら見ることができないからと言って、その存在がないという否定をすることは決してできないと言うことは、この誤作動が脳として区別することができないと言う実情から来ていると言えます。そのため、幻視については、決して真っ向から否定することなく、許される範囲で受容してあげる必要があると言えます。「見えている」ことに対して「見えない」という説得をすることは何ら意味をなさないことは明らかです。うまくいけば、お互いの認識の違いについて理解しああ得ることはできるかもしれませんが…なかなか…