緩和ケアにおける治療介入の時もそうですが、高齢者の長期入院患者に対する治療においてもそうですが、ときどき、タイトルのようなことを思うことがあったりします。
緩和ケアにおいては、がん治療という事でもあるため、治療自体にかなりの苦痛があるのは明白なところでもあり、本人としては、やはりできれば治療などは受けたくない気持ちが強くなるのはとてもわかりやすいところがあります。
高齢者の治療においては、治療の意味を十分理解できていないまま治療が進んでいたりすることがあります。
このような状況の中で、治療の方向性をご家族に確認をしている部分がどうしてもあったりします。そうすると、様々な意見により治療の方向性が左右することがあります。
「本人の意向に委ねて無理をしないように」
「よくなるならば、本人がいやだと言ってもなんとか説得して欲しい」
「どうしても長生きして欲しいので最大の治療をお願いします」
家族としては本人のことを考えてこのような意見を言われていることは確かなのですが、時には、思いが強すぎておかしな方向に考えが向いてしまっていることがあります。実際に当事者である家族がどのように考えているかどうかと言うのは、確かに分かりません。もちろん、ごまウシ自身の身内での治療の経過の中で、自身がどのように思ったかという事も含めて、考え方は、いろいろとあるでしょう。
究極の「どうぞお好きに…」という放り投げ的な思考から「私がよいと思ったものが全て」という自己満足の世界まで…。
「あなたにとってこの治療がよい」という言葉が一番綺麗に感じるところもあるのですが、この考え方であっても、この考え方は一歩間違えると、この意見に否定的な言葉を出せば、それは全て「わるいこと」になってしまいかねなかったり。
治療というものは誰のために行われるものなのだろうか?と言う疑問を持つようになります。
もちろん、ほとんどの人が「治療を受ける本人のため」と言うことになるのですが、サポーターである家族の意見に一切耳を傾けないのはいけないでしょう。もちろん、本人のためであるけど、家族が思う「本人のため」というのが本当に本人のためかと言えばそうでもなかったりしますよね。
直接そのような状況になったとき、どうしても、色々と今までの人生における当事者との関わりを思い返しながら、方向性を考えることとなるため、情が高まり、冷静さがなくなってしまうことも多いもの。その点では、どのように冷静に…向き合えるか…と言うところに治療は誰のために存在するのか…と言う疑問に対して、一歩引いて向き合ってみることも重要となりましょう。