標準治療について、これまで触れてきましたが、確かに、全国津々浦々で医学的に最も安全で確実な治療をどの病院でもうけられるという時代になっているのが今の医学の進歩ではあります。標準治療とは、そういうものです。オリジナルな治療は、ハイリスク、ハイリターンと言ってもよいかもしれませんが、時には、リスク以外何もない場合であったりすることがあります。ここでは具体的な事は触れませんが、民間療法と言われるものの中には、誤った情報に基づいて独自に切り開いた解釈で施される物もあったりしますので。標準治療は、そのような誤りはそぎ落とされ、誰が解釈を施しても同じになるようにしてあるものです。
そして、保険診療がその標準治療に基づいた取り組みであることも、何ら矛盾はないと言えますね。現在の保険診療は信頼のできる確実な治療を評価するものと言えば当たり前というものです。
さて、今回、この標準治療というものがもたらした課題というものを触れてみたいと思います。
前回の記事に載せましたが、現在の入院医療は特に標準治療に基づいたDPCという疾患ごとで入院費が決まるような入院を包括して1日の診療報酬を決めた制度となっています。病院がその日1日にどれくらいの医療コストをかけても1日いくらの報酬となるかが最初から決まっている制度です。そして、その診療報酬は、標準的な入院期間で最大の報酬となり、一定期間を過ぎていくと徐々に減額されていくため、効率の悪い診療を行ったり余分なことをしていると、病院が赤字に転落するというものです。医療効率を上げる意味ではとてもすばらしい物ではあります。
しかし、この結果として生じてきているものが、最近の病院は…というコメントに出てきそうな出来事が発生してきていると思います。いくつかあげてみようと思います。
1.かなり強引な退院を導いてくる。
2.入院前の外来でやたらと検査を求められる。
3.淡々とした入院になっている。
おそらく、この3つが最近の入院で患者さんが感じる思いではないかと思います。1については、早く退院したいと思う方には問題ないのですが、少しゆっくり入院して、おうちに帰るのは確実によくなってからと考えている方には厳しいものがあるかと思います。主治医から「治療は終わりましたので退院してください」という一言で退院がすすめられてしまいます。患者側から「あともうちょっと元気になってから…」と要望を出しても、「それは自宅療養でお願いします」と言う言葉でスパッと切られてしまうこともあるでしょう。
診療報酬上一定期間以上入院が長くなると報酬が減額されるため、どうしても退院がせかされる場合があります。これが、主治医からの説明に露骨に反映をしてしまうわけです。ある意味、社会的な意味での眺めの入院が許されなくなってきたという事です。
2については、DPCに基づいた入院は、1日のコストが包括的な報酬で決まっているため、検査などコストをかけてしまうと、結果的に利益が値べりしてしまうため、外来の間にできるだけの検査をしてしまって、外来の診療報酬で検査代をとってしまって、入院では必要最低限の検査などにとどめて、コストを抑えることで利益を上げるという考え方です。そのため、計画的な予定入院では入院前にやたらと検査をされてしまいます。以前であれば、入院してからの検査だったのが、全て外来に回っていたりします。
そして、最後に3があります。これは、入院期間や治療のコストが決められてしまったために、効率性をできる限りあげないといけないため、治療の流れについても、厳格な「パス」というものが作られるようになりました。そのパスに基づいて、入院治療を粛々と進めることが多くなり、疾患ごとにパンフレットや資料が用意され、そして、検査もそうですが、資料が用意され、その資料に署名などの同意を得て先に進めるような、淡々と治療をすすめていくような流れになってしまっています。まさに、ロボットのような、コンピュータ処理をされているような動きになってしまっているため、淡々としてしまうことが増えます。
標準治療は確かに必要と考えられる部分もあり、入院期間の効率化も一定必要とは思います。しかし、現在の入院治療は、極めて事務的な方向にシフトしているため、残念ながら、「ぬくもり」と言うものが減退しているように感じられます。「ぬくもり」とともに、個別性も減退しており、流れるような入院を受け、流れるように退院していくような、作業的な雰囲気になってしまっている部分が多くなっています。
ごまウシとしては、診療科の立場もありますが、この事務的になりがちな、診療の流れに、温もりを…と考え、日々取り組んではおります。
日々の流れに温もりを…入院だけではない部分もありますね。日々の生活においても、温もりがあるような流れがあるとよいですね。