ごまウシも日々の活動でもそうですが、「下支え」と言う考え方で動いているわけですが、下支えなのにもかかわらず、アピールは欠かさず無意識にも行っているように思えます。振り返ると、あれもそうだ、これもそうだ…。という感じでアピールしまくっていますね。
このブログはアピールの塊と言えそうですね。独り言ならば、Wordあたりで保管すればいいと思ったりします。
もし、このアピールを完全に排除した場合、生活ができるでしょうか…?
答えとしては、不可能といった方が良いでしょう。生きるために必要な本能的なものと考えられる部分がありますね。
ごまウシの活動の場合のアピール活動は、以下のようなものがありそうです。
・講演活動そのもの
・コンサルタントやアドバイザリーをしていますとプロフィールに書いていること自体
・インスタグラムを始めたこと
・日記をつけたなんて公言したこと
・下支えをしていると公言したこと
他にもいろいろとありますが、このようなアピールを完全に排除した場合、どうなるでしょうか…と考えると末恐ろしいですね。しかし、これが人のためになり、結果的に周囲にプラスのであれば、これを「完璧な陰徳」と言うべきものなのですが、生活をするためには、陰徳だけでは成り立ちません。アピールしなければ、お仕事において業績は評価されません。誰かが見つけてもらうまで静かにしていると、見つけてもらえるまでは、全く評価されないこととなるため、必ず「業務報告」という形でアピールをしなければなりませんね。
人間の生活だから、アピールが必要なんだというのはこのように理解につながりますが、実は、生き物としてはこのアピールは常に存在しているので、やはり本能と言えるものでしょう。なので、アピールは必要なものとして認めるべきものと言えるところかと思います。
色々な色のお花は、虫たちへのアピールとなり、受粉という活動に繋げ、種の保存につながるというものですね。孔雀の羽を広げる様ももちろん。
結果的に、人間がこのアピールを美しいと感じて飾っていく。そして、植物にとってみると人間が力を注いで種の保存に協力してくれるわけですので、アピールはとても大切ですね。
お花が綺麗に咲いているのはもちろん人間のためではありませんが、それでも、すばらしいアピールですね。