ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

心身相関

 ごまウシの普段の仕事では、日頃の外務にあるような認知症関連のことだけでなく、身体症状とメンタルとの間のような診療を行ったりします。そういう方の多くが、色々な病院やクリニックを巡り、その体調不良について調べてもらっても、何も問題がないと言われ続けて、最終的ごまウシの働いている病院に到達し、そこで、ごまウシに相談が投げられるというパターンがあります。

 もちろん、ごまウシがどこの病院のドクターよりすばらしい診療ができていると言った過信があるわけではありませんが、あれもダメ、これもダメって選択枠を絞られてきているだけに、取り組めることが絞られてきており、その点ではピンポイントで診療の方向性を定められるという点では、難しいながらも、取り組みやすいという所があります。

 ただし、取り組みやすいからと言ってうまくいくわけではありませんが…。

 

 ごまウシのところに来られるという事は、身体的には現在の医療検査技術の中での検索で以上を見いだせなかったという事を土台にしてこられていることになるため、メンタル的要素が極めて強いことになりますので、その思考回路を見つけ出して、対策を講じることに集中することができます。そのプロセスのようなお話しをちょっと触れてみたいと思います。

 

 まずは、心身相関としての特徴がありますのでその点を触れてみたいと思います。

 とにかく症状に困っているんだという事について、その症状を説明させると、いかに困っているかという事が強調される点が特徴にありますが、「誇張」と解釈するのは不適切で、「こだわっている」と解釈することに重要性があると言えます。すなわち、症状にこだわっているのであって、症状で「身体が」げんなりしているとは限らないことです。

 先ずは、そのこだわりの呪縛に駆られているところを見つけることが重要と言えます。そのこだわりは、日常生活の中では、大きな影響を与えてしまい、生活に支障が出ていることは紛れもない事実ではありますが、時に、そのこだわりの呪縛から解き放たれていることがあります。

 例えば、そのような症状を訴えられているときのお話しを傾聴しているときの姿は、時に「生き生き」としている場合があります。すなわち、お話しをされているときは、その症状へのこだわりが妨害され、説明することにエネルギーが注がれていることを意味します。そのような場合には、「診察室に入ると症状がなくなるんです」などと言った感想を言われたり、また、お話をすることでこだわりの妨害をし、それでメンタル的な解放を獲得する時間を得ることで、「診察を受けるととても楽になるのです」などと感想を言われることがあります。

 また、さらにこだわりの呪縛から解放されている時を発見することがその方自身で確認できるようになれば、しめたものです。例えば、スーパーで買い物をしている時は、あまり症状がないと言うお話しであれば、掘り下げると、買い物をしているときは買い物に集中していて症状がぽっかり抜けている瞬間であったりするといった事であったりします。

 

 このように、メンタル的に症状にこだわることで、物理的には、症状自体は過去のものであったりあったとしても困るほどでない状況であっても、強調されている事態に陥り生活に支障を来し、思ったことができなくなっている場合があります。

 ごまウシのプロセスとしては、その状況に気付いてもらい、日々の生活の中で、こだわっていない時間に心地よく過ごせている時間が存在していることを自分で見出し、自分で感じてもらうという事が重要になってきます。

 そうすることにより、現在の症状はこだわらなければ、このくらいであるという前提が見出せるようになるため、症状が強いときには、こだわりの呪縛から解き放たれるような行動を敢えて行ってもらい、それで症状が軽減するのであれば、心が作り出した症状として解釈を施すと、症状が軽減することが多くあります。

 

 もちろん、症状を消していくプロセスは、単純なものばかりではありませんが、みなさんの身近な方に困っている方がおられましたら、そのような分析とアドバイスをしてみると症状が少しでも軽減する可能性があることが分かってもらえると思いますので、お試し下さい。

 もちろん、最終的には専門家にご相談が一番ですが。