ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

メンタルでものびる人

 タイトルどおりではありませんが、こんな感じの話題を振れるようなセミナーを行いました。このところ認知症のお話ばかりしているごまウシとしては、久しぶりの精神一般のお話になりました。

 とある事業所での支援するときの悩み事として、話題に出てきたテーマでした。

 

 活動への参加について積極的に支援しようとしていても、「メンタルの調子が悪いので休みます」と言われてしまって、どうにもこうにも支援できない。どうしたものか…

 

 と言うお話しでした。

 メンタルの問題を抱えて苦労している方は、最近ではメンタルクリニックなど支援するところの敷居が下がってきたこともあり、比較的障壁なしに利用ができるようになりました。その点はごまウシもとてもすばらしいことだと思いますが、時にはそれが逃げ場所になってしまって、自身の前に進む道からそれて逃げ込んでしまう場所になってしまう事があります。

 

 それがまさに、このテーマとなります。

 

 「メンタルが調子悪い」

 と言う言葉は、「体調が悪い」と異なり、だいぶ抽象的なものとなってしまいます。この点は日頃診療を行っているごまウシにとっても指標として評価するのは難しく、悪でも自己評価になるところがあります。身体の場合であれば、熱があるとか、炎症があるとか数値で表記できる部分がありますが…。

 

 「メンタルの調子が悪い」事でお休みする場合、もちろん、苦労されているからこそ、そのようなことになってしまうと言うのは紛れもない事実ではありますが、果たして、いつもそうでしょうか?

 これは、「メンタルが調子悪い」と発言した方が内省してもらって考えてもらう必要のある事柄であったりします。客観的には、この点がどういう意味合いで発生したものかという事を推し量ることは相当難しいからです。

 

 ごまウシの主観的感触で、「メンタルが調子悪い」と言うことでお仕事をお休みすることは今のところありませんが、やろうとしている用事などを省くなんて言うことはないわけではありません。その時に、「メンタルが調子悪い」が最終的な理由であっても、その裏側には、違った心境があります。

 

 ひとつは、気持ちとして、どうしても用事をこなす気持ちになれず、無理が利かない心境にあることです。この場合は、てこでも動かない感触でやろうとすることを断念することになります。裏側では、やろうと思っていても気持ちがついていかないという事で挫折感に包まれる部分があります。

 もう一つは、「めんどくさい」「やる気がない」という気持ちが前面に出ることでいわゆるオサボりする心境で行動しない場合があります。この場合は、時には背徳感に駆られることがありますが、一方でおサボりで来たことをラッキーと思ったりします。

 

 細かく分けると、もっとあるかもしれませんが、ざっくりと二つでしょう。もちろん、ごまウシは、「メンタルが…」と言って行動への影響を語ることはありませんが、心の中で自分の行動を規定するときの正当化するものとして自分の頭の中で語っていることがあります。

 

 タイトルにある通り、メンタルを課題としている方々にとってとても大切なことは、やはり、今のメンタルの課題から、少しでもはやく、卒業するあるいは上手にお付き合いをして前に進むことかと思います。このままでいいと思う方はそれほど多くないのではないでしょうか。そのように前に進まないといけない考えているにもかかわらず、前に進まない状態が続いている方の多くに、ごまウシがあげた「メンタルが調子悪い」理由の背景がおサボり的思考で働いている場合があります。

 

 おサボりは誰でもあります。ただし、そのおサボりを正当化すれば、成長するきっかけを放棄することとなるため、成長が難しくなります。ただし、頑張りすぎてメンタルにダメージを受けてしまう方もおられるわけですので、どこで踏ん張りどこで力を抜くのかというのはなかなか難しいところです。

 ただ、のびるためには、「メンタル」を盾にしたお休み理由は、抽象的な分だけ、利用するのは避けて置いた方が良いと言えるでしょう。支援する側も、見えないものを理由にされるため、支援の手を引いてしまうことになります。

 気持ち的にどうしても乗り出せないときには、素直にそれを認める事とともにどうしてそのように乗り出せないかの理由を探ることが大切になります。「そもそも出来ないと思ったから」「他の考えごとが多く集中できない」と行ったこともあったりその他にも様々な理由があるでしょう。そういった理由を明白に抱くことで、お休みをするにしても、有意義なお休みが取れることになります。

 

 最後に、「メンタル」を理由にしてお休みをされている中にある「おサボり的思考」が大きなウェイトを占めている場合、もちろん、のびる機会を失っているのももちろんですが、支援者は、その思考を全く気づけないわけではないため、「おサボり的思考」が主体になっている場合には、正直に支援者にそのことを堂々と「おサボり的思考」が存在することをお伝えし、その気持ちを払拭するためにはどうしたらいいのかという事を議論してみたりするのがよいかもしれません。

 のびたいと思うならば、その気持ちに素直に認めて恥ずかしくても相談する事が大切。のびたいと思わないのであれば、むしろ、その支援者の前から退くくらいの気持ちでいてもよいかもしれません。「メンタル」という言葉は、お叱りを受けるかもしれませんが、逃げ場所の確保のために存在しているものでは決していないということは確かでしょう。

 

 なんとなく、誤解を招きそうな気がしましたが、ちょっと頑張って書いてみました。