ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

うそも方便ですが…

 この言葉は、うそをつくことについての擁護する意味での表現になるかと、ごまウシは認識していますが、あくまで、最終的に実害のないものであり、結果的に事が円満に進んでいい方向に向かうための手法のひとつという意味合いがあると思われます。

 

 ただし、基本的には、うそというのは、言われた側においては、欺かれることでもあり、放便とは言われていても、原則的には、常識的にはよろしくないものとして、解釈すべきものかと思われます。

 

 ごまウシはうそをつかないのか…?

 すいません、うそはついたことはあります。この結果としてご迷惑をおかけしたことがあるのかと言えば…なんとなくですが、未だに覚えていますが、自分にしっぺ返しになって帰ってきたような記憶があります。

 

 ごまウシの昔の体験…。笑い話になりそうですが、当時としては、かなり深刻に悩んでいたように覚えています。だからこそ未だに覚えているんですよね。

 

 ごまウシが、ついたうそは、小学校の時に、あの当時は、インフルエンザの予防接種は、学校で一斉に打っていた時代でした。直前に、問診票を先生からいただき、そして、家に帰って、母親に書いてもらって熱を測って、当日に持って行くというものでした。

 やはりさすがに、相当に昔のお話なため、記憶の曖昧なことはありますが、確か、忘れていたのか面倒だったのか…どっちかだったと思いますが、母親に渡すことなく、そのまま学校に行き、予防接種については、「体調が悪いから、今回辞めておく」のようなことを言ったのか、問診票がなかったので打てなかったのか…どっちかだったと思いますが、結果的に打たなかったんです。

 当然ながら、小学生のインフルエンザ接種は、2回うちなので、次がやってくるわけですが、それは、きちんと打ちました。しかし、それが1回目だったので、次に時期をおいて、また打つことになったわけですが、母親としては、2回打ったこととして理解をしていたのもありますし、先生としても、最初に打たなかったことについて、親が知っているものという認識であっただろうという事はごまウシとしては、想像していたわけですので、先生が、次の接種について、お母さんに電話をするなどと言われたときに、どう言っていいわけしようやら、どうしようやら…恐ろしく悩み、苦しんだ覚えがあります。

 もちろん結果としては、うそついて打たなかったなどと言う事など咎められることもなく、普通に保健室で、無事に接種が終わり、怒られることもなく、普通に終わったわけですが…

 何らかの形でうそをつき、接種をサボったことが、結果的に、恐ろしい苦しみを招いたという事を今でも覚えています。

 今となっては、うそをついたいきさつすら、曖昧で、たいしたことでもないと言うことが分かるのですが、当時のうそに対する苦しみ方は、尋常ではなかったことだけは覚えています。

 

 うその活用方法の中で、最もいけない事は、やはり、うそをついて、責任を転嫁することではないでしょうか。ごまウシは、最近、あからさまにうそをつかれて、責任を転嫁された経験があります。うそをついた当の本人は、ごまウシに責任を投げつけてうまくいったと思っているようにも感じられますが、ごまウシからすれば、ばれているという事になるのですが、その結果として、ごまウシは叱られる、批判されると言うこととなりました。

 

 もちろん、当の本人がうそをついた理由は、「自分で処理できない」事柄を他者に投げることで、なんとか、その場をしのぎたい思いがあったのは、手に取るように分かります。ごまウシとしても、これを追求することがいい結果をもたらすことにはつながらないことは十二分に分かっているため、うそは、そのままうそとして、通り過ぎてもらおうと思っています。

 処理できないことに遭遇し、かなり悩んだであろう事については、「悩んでくれてありがとう、ご苦労様」という言葉を投げかけたくなるのですが、うそにより、それができなくなってしまいました。そして、ごまウシは、いけないウシ

 

 

になりました。それはそれでいいのですが、うそは、放便といって正当化できるものと、できないものがあるので、事の流れを綺麗にするためとは言え、原則、つかないことがよいのは確かですね。

 

 みなさん、うそというのは、かなり高度な配慮と計画性がないとたいしたことでなくても、それが、次の発展につながり、場合によっては、うそで穴埋めをし、さらに追い込まれることになる可能性が出てきますので、くれぐれも取り扱いには、細心の注意が必要と思われます。