ごまウシの昭和の思い出は、まともに記憶として残っているとしても10年ほどでしょうか。生まれたばかりの時や幼稚園くらいの時までさかのぼるのはだいぶ難しいところかなと思います。
ごまウシの記憶の中での昭和の一番古いときの思い出としては、当時の時代に目に貼ってきているものは、既にカラーテレビの時代でしたが、居間ではあり得ないのですが、テレビの所にいってチャンネルを「まわる」ととをしなければ、チャンネルを変えることは出来ませんでした。もちろん地デジではありませんよ。アナログです。そして、チャンネルの中には、1チャンネルから12チャンネルまでのつまみと、もう一つUと言うマークの入ったつまみがありました。UとはもちろんVHFに対するUHFですが、分かる方はだいぶわずかになっているのではないでしょうか。Uには、13から62まで番号が振ってあるのですが、ラジオの調節つまみみたいに、回るものでした。チャンネルを合わせるのにやや苦労した覚えがあります。
友達のおうちに行くと、大きなブラウン管もですが、それがゴージャスな焦げ茶の飾り付けがなされており、ひとつの家具として、鎮座していました。テレビの上には人形が飾ってあったり、していました。
居間の薄型テレビでは考えられないと思いますが、テレビの上には、それこそ棚が置けるくらいの奥行きのあるスペースがあって、飾り付けをしているところがほとんどだったと思います。
そして、思い返す所では、子供の遊びという事になりますが、小学校に入って3年生くらいまでは、外遊びばかりで、家の中で遊ぶなんて言う事は、何も出来なかったような覚えがあります。小学校3年生で引っ越しをして持ち家となりましたが、その時期に現れたのがテレビゲームです。いわゆるアーケードゲームというものがおうちでできる時代となり、ブロック崩しをみんなで楽しいだ覚えがありますが、その次に登場したのがファミコンです。ここから、友達の家に居座ることが始まりました。いけない小学生でした。
さて、次に中学校に入ります。昭和は中学校で終わってしまいますが、最後の3年間は中学生となって過ごしました。ごまウシの中学の卒業年度は、昭和64年度卒なんですよね。年バレしてしまいますが、中学校時代がとにかく昭和の〆となりました。
今の時代と比べるならば、電子機器になりますが、この時代はポケベルの時代よりちょっと前になります。なので、中学生がモバイルデバイスを持ち歩くことはあり得ませんでした。友達と約束をするときは専ら対面での約束。そして、電話については、友達に寄りますが、自分の部屋に子機を持ち込んで…あるいは、家族のいる居間で堂々とお話をすると言う形で約束をしたりしました。
音楽は、まだレコードプレーヤーの時代で、CDプレイヤーが登場し始めたばかりでまだ、銀色のディスクはとても珍しい存在でした。でも、音楽関係であれば、あれはありましたよ。ウォークマンです。もちろん、中に入れるのはカセットテープですよ。MDなんて言うナウいものはなかったのです。そのナウいMDですら、現在は製造中止となり、時代は大きく変わりましたね。平成に入るとMDの前に、CDを持ち歩くポータブルCDプレーヤのウォークマンみたいなものがでましたね。
さて、思い出の最後に、レコードプレーヤーで思いだしたことがあります。小が肯定学年、あるいは幼稚園くらいの時に、親に買ってもらった絵本などの付録に、なんとレコードがついていたんですよね。黒い板のようなものではなくて、なんと透明な柔らかいポリエチレン(?)のようなものがついていて、それを切り取って再生して楽しんだ思い出があります。昔話がついていたり、最新のアニメ音楽や童謡など。レコードはアナログの溝の摩擦の音で音を出すものでしたので、いわゆるでこぼこの印刷をする形で製造できてしまうので、柔らかいカバーの本でも中に忍ばせることが出来たというむしろ居間では出来ないような事が付録として行われていました。
振り返ると、昭和は昭和で新しい技術が登場して、劇的に時代が変化していたなって思います。次に平成について語るかどうか…これは、ごまウシの気分次第でしょうか…。