ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

思い返す昭和-1

 このブログを書いている日は昭和の日です。昨日のブログを書いた直後に書いております。

 昭和が終わってから平成が31年間続き、そして今年は令和4年。言い換えると昭和が終わって34年が過ぎようとしている事になります。

 ブログも含めて、ネット社会は特にそうでしょうけど、利用している方々の年代層はおそらく過半数以上が平成以降の生まれの方ではないでしょうか。あるいは、昭和生まれであっても、小さくてほとんど記憶にないくらいの方々(40歳未満くらいまで…かな)が多いのではないかと思います。(決して調べたわけではありません)

 

 平成以降の記憶の方々に、年老いたごまウシが、昭和について語ってみたいと思います。もちろん、ごまウシよりもずっと先輩の方々もネットを使われております。ごまウシより先輩の方々は、ごまウシが知らない、最近ではない昔の東京オリンピックのお話や大阪万博のお話などなど、どこかで語っていらっしゃる方がおられると思います。昭和の日を契機に昭和を少しでも知ってもらえるといいと思いますので、ぜひググってみて下さい。

 

 さて、ごまウシが語るのは、昭和最後の年昭和64年が平成元年へと移行する直前のお話をしていこうと思います。

 このお話をすると、コインマニアとかが興奮するかと思いますが、みなさん、昭和64年の10円玉や100円玉といったものを目にしたことはありますか?小銭はだいぶ平成のものに入れ替わっておりますが、昭和64年の小銭は見つかりましたか?

昭和の小銭

 ごまウシの財布の中には、昭和の小銭は、これだけありました。まだ結構あるんだなと思いながら、令和の小銭にちょっと違和感を感じてしまったのも自分自身びっくりしてしまいました。また、銅銭である10円玉が昭和であっても、まだ光沢が残っているものもあるという事に新たな驚きを感じたりしました。

 

 さて話は戻しますが、昭和64年は実は、1月7日までしかありません。小銭を作る造幣局がどのように稼働していたかは厳密には知りませんが、お役所…ですので、正月から3日間は、動いていないでしょうから4日から7日までの3日間だけ昭和64年の小銭を作っていたことになります。ただし、調べると7日は、土曜日ですので、造幣局が動いていたかどうかについては不明です。ちなみに、昭和の時代は、土曜日も午前中学校がありました。週休2日はもっと後の時代のお話になります。

 

 この昭和64年のレア度は今回の話題ではありませんが、昭和63年12月から平成元年に入るまでの1日、1日が、この昭和の日に昭和天皇を思い浮かべると登場してきます。

 昭和天皇は、膵癌だったと思いますが、がんで亡くなられたんですが、最後の12月から7日までの間、宮内庁病院の医師団が必死に治療に当たっていたのがニュース速報という形で報道され続けました。「天皇陛下が下血されました」こんなニュース速報が、毎日のように流れ、ニュースでもその報道がされていました。

 当時ごまウシは、中学3年生で高校受験に向けてその当時としては必死に勉強をしていたと思いますが、居間でつけてあるテレビの音からニュース速報の音が頻繁になっていたのを覚えています。そして、7日、朝起きたら、全部のチャンネルが特番になっていたのに驚いていたような記憶があります。その時学んだ言葉が「崩御」です。

 そう、天皇陛下が亡くなられると言ってはいけないのです。崩御されたと言わないといけないのです。逝去でもないのです。この特殊な言葉を知ったのですが、それから以降もちろんこの言葉は、使われることがなく現在に至っております(とてもよいことです)。

 

 昭和天皇に対する思い出としては、既にかなりの年齢になられたお姿しか記憶にはありませんが、少し猫背気味となりながらも、白髭で優しそうに微笑みながら、手を振られていた姿くらいしかありませんが、とにかく、あの穏やかな昭和天皇が、この昭和63年12月から翌64年1月まで、壮烈な闘病生活をされていたという事は印象として残っています。

 

 さて、次は、昭和から平成にかけての小学校、中学校のその時代らしい思い出について語ってみたいと思います。