ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

知らぬが仏

 ごまウシの診療は、以前より申し上げているとおり認知症の診断と治療およびケアと言ったところになるのですが、診断という所においては、よく悩まされることがあります。

 

 認知症の診断というのは、世の中では極めて簡単に診断されてしまっている傾向があることが気がかりでなりません。認知症という言葉そのもの決して軽いものではありません。軽くない理由としては以下のような理由があるからです。

 

1.認知症は不治の病である(完治させる薬はなし)

2.言葉は変わってもイメージは「痴呆症」と同じである。

3.将来の生活破綻を予告する疾患である。

4.現時点での医学的見地からは悪化し続けて、決して改善しない疾患である。

 

 そのため、ごまウシは、「末期がんの告知」と同じような気持ちで、診断については慎重に行うようにしております。

 ただし、深刻な上記の4項目は説明しつつも、諦めないで戦いを挑んで欲しいことを常々お伝えするようにしています。4項目目の事項については、確かに進行は避けられないのですが、進行のスピードを落とすこと自体は、エビデンスでは綺麗に証明されていない部分ではあるものの、事例としては、多く報告されている部分でもあり、諦めてしまうことだけは避けて欲しいところで、そのあたりのお話を積極的にするようにしています。

 

 深刻なことですが、先ほどの通り、進行をできる限り遅らせることをテーマとして考えるため、治療ではなく生活指導を積極的に行うようにしています。その点では、早期発見、早期診断というのはとても重要になってきます。

 

 その早期発見、早期診断という動きの中には、生活が完全に自立していて、いわゆる認知症の診断基準は決して満たすことのない社会機能障害のない方で、例えば、ちょっと忘れっぽいな…と言う程度で、加齢なのか認知なのか…と言ったことを検討するような場に遭遇することがあります。

 

 しかし、こんなお話がありました。このような方で、仮に「認知症可能性が高い」と言う診断に至ってしまった場合です。ぼそっと家族から、このような言葉が出てきました。「認知症を診断されてしまったら、自動車の運転はやめないといけないのですか?」というものです。

 確かに、忘れることは多いが、反射神経、注意力、明白な見当識障害がなく、加齢に伴った運転技能上の反射的行動がとりにくくなっているにしても、まず間違いなく問題のない安全運転が出来る状況にまだ保たれている場合どうでしょう?

 

 合法的に、免許を取得し、運転法規をきちんと遵守でき、技能的にも運転が出来る状態にあるにもかかわらず、ちょっとだけ気になったとして病院に受診をしてしまったために、運転をやめさせられた…。

 運転をやめさせられたその方は、活動が一気に減少し、認知症そのものを顕在化させ、進行を早めてしまった…なんていう結果になってしまうかもしれません。

 その場合は、早期診断が、健康寿命を縮めてしまった結果になります。

 

 もちろん、運転が危険となると判断される場合は、公安委員会の言われるとおりの免許返上が適切と考えられます。

 

 進行していれば、間違いなく公安委員会の言われたとおりの処置を執るべきですが…ごくごく早期で、細かく調べれば調べるほど証拠が集まり、極早期の認知症として診断につながってしまう場合…早期に認知症に仕立て上げてしまうわけです。

 

 進行予防策を早期からとりたいという考えがあるのに、診断により認知症として生活を強いられることになる…。

 

 早く対応して、進行を遅らせる対策をとろうと考えているごまウシのポリシーに矛盾が発生した瞬間です。早期に先々を予知するのはいいのですが、予知ではなく、診断は早期に道を決めてしまうと言うものでもあり、自由度を奪ってしまいます。

 どうしたらいいものか、未だごまウシの頭の中にも、周りのスタッフなどにも答えは存在しない悩み事です。

 その方にとってみたら、知らぬが仏…の方が幸せなのでしょうか…

 

 

 さて、みなさんは、どうお考えになりますでしょうか?