ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

SNSと対人関係

 最近の交流は、LineなどのSNSなどを経由したものが増えてきています。活字のコミュニケーションと言えば、私の感覚で言えば、電子メールになりますが、さらに一昔前になると手紙という事となります。手紙では、お互いが情報を交換するのに、1週間以上はかかったのではないかと思います。月に1通のやりとりでもかなり頻繁に交換していることになるでしょう。それが電子メールになると、1日に何通か交換することも現実的になります。

 しかしSNSになると、まさにリアルタイムにやりとりをすることとなるため、集中すれば、尾張鳴く1日中やりとりができてしまうものです。

 なお、SNSについては、Social Network Serviceと言う言葉の略ではありますが、ツイッターなどの公に発信して、その情報を共有したりするサービスではありますが、Lineなどの1:1に近い関係でのコミュニケーションサービスは、このSNSに含まれるかどうかと言えば、定義が不明瞭であるためはっきりしないところがあるのですが、LineなどのコミュニケーションサービスもSNSに含まれるようです。

 SNSはリアルタイムのコミュニケーションとなっているため、ほぼ、昔の電話並の扱いになってきていると言えます。さらには、面と向かってお話をしたりする事の代用になりつつあります。

 このように時代とともにコミュニケーションの手段が変化をしているのですが、お互いのわかり合える力量については、普遍的なものがあると言われています。現在は正確な情報として良いかどうか分かりませんが、学生時代の心理学の講義で耳にしたことは、「お互いのことを理解し合えるのは、一卵性双生児であっても20%も理解していないであろう」というものでした。いろいろと話し合ってわかり合えたと思っていても、なんと、お互いの理解は、10%も満たないという事です。そういう点では、あうんの呼吸、以心伝心、暗黙の了解なんていう言葉は、奇跡的なことを意味していると言っても過言ではありません。さらに、面と向かって話し合った場合と違い、文字から得られる理解については、さらに格段に低下してしまうと言うものでした。

 面と向かってお話をしたときにお互いが理解し合える情報としては、言葉はもちろんのことですが、言葉に含まれるイントネーションや強弱、スピード、トーンと言ったものにはじまり、その言葉を発せられた相手の表情、表情でも、眼光から口の動き、視線の位置、頭の向き、さらには、体の位置、向き、話すときの体の揺れ具合まで…多種多様の情報が付加されて、その中で理解し合うことがどんなに親密であっても10%だと言うことです。

 これが、活字だけのSNSであった場合はどうでしょう?かなりの情報量が欠落してしまうこととなります。そのため、SNSで密にどれだけコミュニケーションをしていてもお互いの理解量は、1%を越えるかどうかと言ったところまで減ってしまいます。

 しかし、SNSは文字データがそのまま、残されるため、読み返しなどもできるため、理解が深まったような錯覚に駆られることがあります。言語的な理解が深まっても、お互いの理解にはあまりつながらないようです。

 お互いの理解には、non-verbal communicationがかなりの割合を占めていると言われています。昨今のコロナに関連したWeb会議もそうですが、面と向かってお話をすることができなくなっている現状の中で、お互いの理解は、どれくらい低下していることでしょう。しかし、活字などのデータが残るため、理解が高まったような錯覚に駆られ、お互いが、理解をしあった度合いを過大評価するようになってきていると思われます。

 このお互いの過度な理解度の期待が、意外な誤解を生むことがあります。どれだけ親しくても、逆に疎遠であっても、文字だけから得られる理解は、差はほとんどなく、親しさの理解力の深まりは、先ほど触れたnon verbal(非言語)な部分で深められているという事が言えます。

 お互いに、誤解をしていると感じたときには、一歩引いた上で、どれほどの情報を交換した上での理解かを吟味した上で、non-verbalな部分がどれくらい含まれているかで理解の量を考えて行く必要があるでしょう。鹿も、いくらお互い理解し合えていても、決して20%を越えることはないという事も加味する必要があるでしょう。