ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

介護抵抗が発生する原因 ---2---

 昨日は、介護抵抗について利用者側の問題を検討してきました。次は、介護者側の原因というものを考えて行きながら総括してみましょう。

 

3.介護者が原因となる場合

 これは介護者が一番注意をしないといけないことを列挙することとなりますが、介護を受ける側の心情を加味しながら対応しないと介護者が原因となった介護抵抗につながることになります。モラル的に問題のある度合いの高いものから触れていきます。

 まずは、態度が横柄であったり、粗暴であったりする場合。この場合はどんな場合であっても、みなが不愉快になりますよね。介護を受ける側も人間ですので、物品のような扱いをされては、不愉快です。この横柄な態度や粗暴な態度は、諸事情はあるでしょうが、先ずは介護という仕事の根本を理解していない場合、人をお世話をする事が好きではないのに仕事をしている、気持ちにゆとりがなくてイライラしているなどそれ以外にも様々な理由が考えられます。介護のお仕事は、本来ならば、やはり、人のお世話をすることが好きな方にしていただきたいところです。看護も医師の仕事も同じですね。人を相手とするお仕事においては、人へのお世話をすることが楽しいと感じたりやりがいと感じたりすることで、真心こもったケアができるものと考えられます。それがイライラとなったり、横柄であったり、粗暴で会ったりすると言うことは、あり得ないことですよね。ただ、現実は、お仕事を好みで選べない実情もあるでしょうから、「私はちょっと…人のお世話は苦手…」という方もおられるでしょう。しかし、それは、お仕事をしている限り正当な理由ではありません。そう、ボランティアではなく、お仕事として報酬を受けているわけですからね。ボランティアであれば、人のお世話が苦手ならば、しなければ良いわけですから。あとは、気持ちのゆとりの度合いによりイライラが発生してしまうことがありますよね。イライラは誰しもお仕事では存在すると思います。ただ、これを弱者である、介護を受ける方へぶつけてはいけませんよね。気持ちへのゆとりを導くための技術も人をお世話をするお仕事においては必要とされています。

 次に、そのような意図的なイライラや横柄さが存在しないにもかかわらず、なぜか介護抵抗に導いてしまう場合です。多くの場合、自覚していないことが多いことが重要です。これは、介護を受ける側の理解力と理解に対しての障害となっている事柄の把握の不足から生じるものです。ここまで触れると想像ができるかと思いますが、せっかく丁寧に丁重に、心をこめてお世話をしようとしているのに、相手に理解が及んでいないために、誤解を招いて攻撃をされてしまうことがあります。通常ならば、抵抗されないだろうと思っていても、理解力の低下があれば、誤解されてしまうでしょうし、さらには、理解ができていなくても、なんとなくの場の空気で応じてくれる場合でも、それが聴覚、視覚、嗅覚などの五感の低下があった場合、理解につながらない場合があります。介護を受ける方の理解や理解できるための感覚の能力を理解しておく必要があります。

 最後に、タイミングというものがあるでしょう。タイミングは、実際のところ現在の介護の世界では、施設側の運営のタイミングでケアは行われている者と考えることができます。利用者や入所差のタイミングで行う施設は、だいぶ少ないでしょう。当然これには業務上の効率化が必要になります。現在の医療制度や介護制度では、スタッフの配置に基準というのが設けられています。もちろんこの基準は最低人数の基準ですが、実情は、採算面でも人員面でもどうしても最低ラインを確保する程度にとどまっています。そのため、介護スタッフはシステマティックな動きをしなければ、すべてが残業につながり、すべてが過剰労働につながります。過剰労働につながると、施設運営者側には、労働基準監督署からの指導という恐ろしいものが待ち受けていることとなります。もちろん人件費も残業代を潤沢に用意できるところは少ないでしょう。このため、介護を受ける側のタイミングでお世話を受けることができる施設というのはほとんどないのではないかと思われます。

 

4.まとめ ---介護抵抗は共同作業により解消---

 移乗のことから、介護抵抗は、利用者においても介護者においても双方の原因があるという事がわかります。ここまで読み進まれた方は多くの点において「当たり前」と感じている部分が多いと思います。解消方法は、当然、すべての原因を除去することですが、できますでしょうか?現場の方からは、「できるわけがない」と言うお答えをもらいそうです。その通りです。とても難しいのです。私たち精神科医認知症診療と言えば、介護抵抗を制御することに専らとしているのも確かです。(私たちのように診断に特化しているのはむしろ少数派です)

 現実的なところからは、実際の現場では、妥協と譲歩の合わせ技でなんとか乗り越えようとしているものと考えられます。このときに、必要とされる発想が、「共同作業」というものです。「利用者にとって心地よい生活環境」「介護者にとって気持ちよく心をこめたヘルプを行うための条件」はお互いの共同作業であるという事なのです。

 介護者側は、介護を受ける側の心境や理解度をうまくくみ取ることが重要となり、利用者は、介護者に対する気持ちの受け止めや配慮が必要となります。そのバランスによって、介護抵抗は解消するものとなります。介護者は、受ける側の羞恥心や自尊心に配慮をし、その上で理解力と理解の障害となっているものを把握した上で、タイミングを図りケアをする。受ける側は、その時の介護者の言葉などを通して、妥協や譲歩をして、受けるというものです。

 …なにか、違和感を感じたりしませんでしたか?

 介護者の理念は異論はないでしょうが、介護を受ける側の取り組みは、現実的なお話にはなっていないと言えます。介護という世界では、利用者側からの配慮というのがあまり期待できないのを前提に考えて行く必要があります。そのため、あくまで介護者側の理念は基本中の基本の最低限のステップという事になります。このステップ自体がきちんとできているかどうかを振り返る必要があります。これができてこそ、さらなるステップである、利用者側の妥協や譲歩を求めないで、スムーズな介護を行えるかどうかと言うところになります。この最後のステップは、とてもとても難しいと思いますが、とてもとても大切なことであり、介護を好きで取り組む型に取ってみると究極のテーマでしょう。それが、介護を受ける方の人を「人として理解をして向き合えるか…」です。これだできていた上でのケアでしたら、介護者側は、ため口対応であろうが、多少豪快な対応であろうが、介護を受ける方は、気持ちよくケアを受ける形となります。ケアの真髄というのはここにあるのではないかと思います。

 

 

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