ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

初期の認知症は内弁慶

 アルツハイマー認知症について、昨日、取り繕いのお話をさせていただきました。この認知症の診断が下るかどうかの時期の時は、サポーターである家族としてはかなり苦労が絶えない時期でもあります。その苦労というのも介護場の苦労よりも、対人的トラブルでの苦労が大きくなります。その一つにこの時期に目立つのが内弁慶となることです。

 初期から中期にかけての認知症の方の多くで、デイサービスやその他外活動においては、対人関係を上手にこなし、優等生と言われるほどの人付き合いを周りから認められる一方で、自宅に帰った瞬間、口げんかが絶えないなんて言うことがよくあります。中には家族に暴力を振るってしまうなんて言うこともあったりします。このような状況の中で、最初の精神科病院への入院のきっかけが発生したりします。(精神科医として申し上げることとして、この時期の入院は、サポーターの休息であるとともに、認知症との向き合う本格的な学びの時期でもあります。この段階で、できれば、介護を断念して欲しくない…と思ったりしますが…ただ、サポーターにとっては心理的にはとてもしんどい時期の一つの山となります。)

 この時期に内弁慶となる理由としては、いくつか考えられます。これから考えられる理由についてあげてみたいと思います。この理由が、この時期のサポーター側の対処方法の知恵が見いだせると思います。

 

1.自尊心との戦い

 先日触れたアルツハイマー認知症では、社会的な取り繕いにより外向きには上手なごまかしができるのが専らですが、自宅に帰るとこのごまかしがうまくいきません。自分の事が今まで通り思い通りにできないことに、カリカリしていることが露骨に見えてきます。認知症の初期の段階では、自分ができていたものができなくなってきて困惑する感覚を常々自覚します。しかし、それはとても恥ずかしいと感じているようで、頑張って気丈に振る舞おうとするわけです。しかし、思い通りに行かないため、効率が悪くなったり、準備などが遅くなったりします。周りに助けて欲しいとも言えず、カリカリしてしまっているわけです。そんなときに「何しているの?遅いじゃない?」などと言ってしまうと、このカリカリが一気に爆発してしまうこととなってしまいます。できて当然と思っていることができないわけだから、助けてくれなんて恥ずかしくてできません(お出かけのための身支度など)。

 本人はできて当然のことができなくなっているため焦りカリカリしているときに、サポーター側の何気ないせかすようなの発言やできていない事に対する指摘は,ゆとりのない本人としては、感情が制御できずに爆発してしまうこととなります。さらには、見るに見かねてお手伝いをしてあげようとしても、自尊心のため、そんな助けをもらうなどと言うのはとても情けないと感じているため、強く拒むこととなります。それが結果的には暴力となってしまうことがあります。

 

2.気の緩み

 外向きには、緊張感がありますので、できるだけ平静を装うことはできるでしょう。しかし、自宅に戻り、リラックスをするときが緩みます。いつもなら片付けているはずのものも出しっぱなしにしてしまったり、何も考えずにぼんやり過ごしてしまったり…これは、通常でもありがちな自宅でのだらだらした瞬間ではありますが、このだらだらが、認知機能面のだらだらになるため、サポーターの目に余るところも多々出てくるでしょう。

 さらには、気の緩みは、自宅では思ったことは何でも我慢せずに言えてしまうと言うことでもあります。例えば、先ほどの自尊心のお話の通り、他者にできないことを指摘されたときに、外向きの顔をしているときには、ぐっとこらえて笑ってごまかすことができていたとしても、自宅では、そのまま感情をためらいなく出しやすくなります。もちろん前頭葉の機能低下に伴った脱抑制もありますが、身内だから本音が出やすいというのもあります。

 

3.認めたくない本人の変化

 サポーターである家族にとってみると、本人の認知機能の低下は、できていて当たり前のことができなくなったりすることを露骨に目にするわけです。「そんなはずはない」こう思いたくなるはずです。特に、家族の中では、大きな支援とサポートをしてきた人です。存在感が絶大な人が、なぜこんなことができなくなっているのだろうって…。例えば、男性の場合を例にとると、毎朝ビシッと背広を着て通勤していた人が、あるときネクタイを締めるのに困惑し、いつまでも時間をかけていたりすれば…(いつもはもう準備し終わっているのになんで?おかしいじゃない)と周りもカリカリしてきて、思わず「なにをぐずぐずしているの?」などと言った言葉が出てしまうかもしれません。

 また記憶障害についても認めたくはないことでもあります。「さっき言ったじゃない」という言葉で、繰り返し聞いたりした場合に返してしまう事が容認できないこととなってしまいます。できて当然のことができなかったりしていてまごついていても、それが、「できなくなってしまった」と言うことが認められないとともに許せなくなってしまい、叱ってしまったりすることもあるでしょう。

 

 以上のような要素が組み合わさると、自宅では、常々自分自身の自尊心が損なわれる自分の能力の低下を感じながらあせっているのにもかかわらず、サポーター側はその衰えを認めたくないために、叱ってプレッシャーをかけてしまう。その結果として、ただでさえ堪忍袋の緒が緩んでいる状況の中、カリカリにイライラが加わり大爆発をしてしまうと言う事となります。

 本人は、できなくなってきたことに苦しみ、焦り必至になっている状況。この状況をサポーターは、冷静にゆとりを持った温かい視線で許される限り見守ってあげる姿勢が重要という事となります。

 このようなアドバイスを普段の診療では行っておりますが、これに対して、サポーターは反論することはありませんが、おそらく…「分かっているけど、毎日毎日目にしていると…つらいです」と言う言葉が聞こえてきそうです(診察の場面では言わせています)。

 そのため、本人の診察の前でも、お互いの距離を保つ必要性について説明をし、適度な気分転換を確保するように繰り返しアドバイスをするようにしています。お互いが冷静にゆとりがなければ、できないことに遭遇しても、空回りばかりです。ぜひ、リラックス、いきぬき、そしておおざっぱなリラックスした向き合いをお薦めいたします。