ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

自論と持論

 「持論を展開していた」と言った言葉をとあるニュースで見る機会がありました。これは私のイメージであって、適切ではないことなのかもしれませんが、このように報道されているときには、「持論」というのは、かなり一般常識から逸脱し、筋道も周囲の理解につながらないものを指し示しているように感じてしまいます。

 一方で自論については、そのような、一般常識や様々な実情、データなどに基づかない論理の展開ではなく、いろいろと調べた結果として理論的な反転によって説明できる、理論を自分で構成したことで自論という意味があるという理解で、使っていました。確か、このブログの中にもこの「自論」が使用されていたと思います。私の使用しているMacは変換すると「自論」(ATOK)となり、Windows(MSIME)では「持論」と変換してきます。

 意味が非常に似ているものの、実際のところどうなんだろうと言うことで実際に国語辞典をひもといてみました。結果的には、自論は存在しない言葉であることが分かりました。私としては少々ショックではありますが、同じ音と言うこともあり実際は、双方が使用されているようですね。ネット上でいろいろと調べてみる中では「自論=自説」と説明しているところもありました。ただ、自論については、そもそもは誤りでありながらも、使用され続けるとこれが言葉として定着してしまうこともあります。これから先には、この言葉が一つの単語として定着する可能性がありますね。とは言え、現時点では国語辞典上は、自論は存在しない言葉という事となります。

 先ほど、ATOKの変換とMSIMEの変換との差では、軍配はまるでWindowsのようにあるかのように見えますが、ATOKを擁護するわけではありませんが、厳密には、どちらとも言えません。「じろん」を変換するときに何らかの形で、最初に「自論」と変換すれば、「持論」よりも優先度が上に来ます。先ほどあえて存在しない「自論」を使用していたと述べたとおり、ATOKには「自論」を学習させてしまった可能性があります。そのこともありますので、ここでは、どちらの変換システムが良いかという優劣を決めるための話題ではないという事を触れさせていただきました。

 

 さて、自論であれ持論であれ、いずれにしても、一つ教訓というものがあるかと思います。報道に出てくる「持論展開」については、持論の意味の奥に存在する、「自分の考えへのこだわり」ということが前面に出ていると言えます。周囲の意見を傾聴せず、自分の思い込みから、周りが受容困難な理論を展開していることを強く示唆していると言えます。そのため、良い意味と言うよりは、悪い意味での報道が多いかと思います。このように、自分自身の考えというのは、できれば正しいことであって欲しいという気持ちは当然あると思いますが、その考えにこだわり続け、周囲の意見や情報などからか家離れてしまうようなことはあってはならないという事です。そのため、自分の考えが必ずしも正しいとは限らない姿勢も大切で、周囲の意見を常々耳を傾け、自分の考え方に対する客観性について、繰り返し考察を深めることも大切ではないでしょうか。以前、こだわることが自分の破綻を招くようなお話を書きましたが、まさにこのことも意味していると言えます。もちろん、自分の主張を貫くことは、様々な場面では大切なこともあります。貫くべきか柔軟に変化させるべきか、その点の見極めはとても大切ですが、人は得てして自分を守るために自分の考えにこだわり、それに対する保守する方向に向きがちです。少し柔軟性を持つことの方が世の中の動きに対応しやすくなると思います。自分の考えも大切ですが、周りの考えも同じくらい大切であるという事がこの点では言えると考えられます。

 世の中の情勢の柔軟適応し、いわゆる世渡り上手となるためには、是非、持論については、周囲の意見に柔軟に対応できる柔らかさを持ちつつ、必要な時には強固に貫けるように、客観性を担保しておくと良いと言えます。

 

 

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  • 発売日: 2020/11/27
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