一般的なお話として身体抑制と言えば、とんでもないお話という事になりますが、医療の世界では、身体抑制は、時々見かけることであり、実際これがトラブルとなり訴訟問題に発展した事態も存在します。一方で、介護の世界では身体抑制を一切しないことが原則として存在しているという対照的な動きになっている実情もあります。
身体抑制はそもそもどうして必要なのかという事を触れさせていただきます。精神科領域においては、「精神保健および精神障害者福祉に関する法律」に関連した厚生労働省の通達などにより、身体抑制は、厳密に必要要件が定義されている。まずは、そのまま様子を見ていると、自傷他害を止めることができない極めて危険な状況にある場合にやむを得ず行う抑制があります。精神科医療においては、興奮状態で静止が困難な場合には、隔離という対応をする事がありますが、それでも危険で近寄れない場合にさらに個人を制限する抑制を行うことがあります。もう一つは、内科的治療を行うに当たり、点滴ルートや酸素ルートその他の触れてはいけない大切な治療器具などを認知機能障害等から制御できず触ってしまう場合に、やむを得ず抑制を行うことを規定しています。厚生労働省の通達では、触れていないのであまり望ましいわけではありませんが、その他に、認知機能の低下に伴い、危険な姿勢など転倒転落を自分の力で避けることができない場合に抑制を行うことがあります。この場合は、実情はやむを得ないのですが、この抑制がエンドレスで終わらせることができないため、望ましくないと考えられています。
精神科医療においては、このように厳密な意味での人権侵害に配慮をした法的な拘束力を持って、ルールに基づいた抑制を行っていますが、総合病院においては、そのような取り決めがないまま実施されています。精神保健および精神障害者福祉に関する法理で言えば、身体的な治療を行うに当たり認知機能障害等、治療についての理解ができないために、触ってはならない治療器具に触れてしまい、命の危険にさらされるためにそれを回避するための抑制として実施する事に該当します。
総合病院における身体抑制については、精神科医療ではないため、精神科医が前面に出て抑制に関してチェックを行うことはできませんが、実際のところは、やはり精神科医療に比べれば、随分とゆるい解釈の元で実施されています。精神科医療においては、この抑制については全責任を医師が担うこととなっており、さらには、抑制を開始する事については、精神保健指定医出なければ実施することができません。そのため、抑制の状態や継続的抑制の必要性の有無については、毎日最低2回は医師により診察が行われ、抑制についての考察が行われています。総合病院では、一方、抑制についての開始は、多くは、医師の指示が必要とされているようですが、開始のタイミングは、看護判断が先行し、医師は事後承認のような形となることが多く、責任の所在が明白ではないことがあります。医師は、抑制のことに注目して回診することはないのですが、実際は身体管理として精神科医の患者回診よりも頻繁に回診は行っております。抑制の継続や緩和、終了の判断については、病棟の看護師を中心にカンファレンスを開催して検討している姿をよく見かけます。
身体抑制については、昨今、やはり注目されていることもあり、かなり厳密に議論を重ねる機会があり、看護師だけの判断であったことも多かったものを医師の指示を必要とするように流れが変化をし、身体抑制というものは、憲法の人権に抵触するもので慎重に考える必要があることが定着しつつあります。しかし、その責任の所在が明確でなかったり、抑制を解除する場合もそれなりのリスクがあるため,抑制解除についての責任の所在も明瞭ではない点では、まだまだ課題があるかと思われます。
結論になりますが、総合病院では日常的な診療で身体抑制は時々見かけられます。体調がとても悪い状況の時には、意識が混濁したり、高齢者の場合は大混乱を起こし、験座身体の治療を行っているという事が理解できなくなり、体に装着されている様々なものを抜去してしまう危険性が高くなったときに、身体的危機的状況が発生する可能性が高まるため、やむを得ないものとして存在しています。実際、抑制を完全にゼロにすることは、特に集中治療室などの重症な状態の患者においては困難なことは多いと考えられ、最近では人権侵害となり得ないように様々な配慮がなされている実情があります。しかしながら、そこまで配慮がされていながら、現在において、抑制に関連した指示系統が規定されて折らず、開始および終了、緩和についての判断の責任のよりどころも明瞭ではないため、まだまだ、議論の余地があるように考えられます。
今までの記事に比べ、いきなりディープな内容ではありましたが、これからも、不意にディープな内容にも触れていこうと思います。