ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

サポーターにとって恐ろしい認知じゃない高齢者

 こんなタイトルにすると、世の中の高齢者の方を全て敵に回すかもしれませんが、決して高齢者を侮辱しているわけではないことをは先に断りを入れておこうと思います。

 「認知症になっていない高齢者」という事はとてもすばらしいことなのです。引き続き、歳を重ねても変わらぬ知性を磨き続けていただきたいというのがごまウシとしての思いであることは確かなのです。

 

 認知症になっていない高齢者の中には、どうしても加齢に伴った認知機能の低下が日常生活に少なくない影響を与えていることがあります。例えば、記憶の錯綜などはいい例ですが、歳を重ねるにつれて、いわゆる記憶を司る海馬機能というのはどうしても下がってしまうため、アルツハイマー認知症においてよく見かける「記憶できない」現象がちらほら混じることがあります。そうすると、自分で片付けたものが記憶として残らず、他の人が触ったに違いないという確信につながるようなものとられ妄想などと言ったものが生じたりします。

 

 そして、高齢化し、自分の記憶の確信度も下がってくるに従って、自分自身のおいに対する不安も高まり、特に、孤立することに対する恐怖というものが芽生えてくることがあります。本来ならば、孤立しないためにも、周囲の親族と仲良くしておこうという考え方が本来の筋ではあるのですが、それが、孤独化することが周囲の親族によって働きかけられているような逆の感覚に陥ることがあります。

 

 自分の財を狙っているのではないか、自分に危害を加えて遺産をごっそり持って行ってしまうのではないか…。配偶者に対しては、浮気をして、どっかに言ってしまうのではないだろうか…。など。もちろん、根拠らしいものは実際はないのですが、主観的な解釈を状況証拠として積み上げていき、確信を持ったストーリーを作ってしまいます。

 

 このような「妄想」は認知症と診断されている方々にはとても多く認められる症状ではありますが、この「妄想」に対する対処のやりやすさが、認知症と診断されていない自立している方とは大きく異なってきます。

 認知症の方の場合、見当識障害を軸に発生しているため、表面的な誤解が多く、そして、深みのないことが多いものが大半です。そのため、繰り返し、そのような嫉妬妄想やものとられ妄想などと言った訴えは続く物の、持続性はさほどなく、時間を空けると切り替わっていることが多く認められます。

 ところが、日常生活をある程度自活できる認知症と診断されていない方々のこのような「妄想」は先ほど触れたとおり、ストーリーとして展開されており、さらに、不安がさらに発展させていることもあるため、間を開ければなんとかなる。単に繰り返されているだけではなく、時間とともにさらなる発展を遂げ、ストーリーが壮大になり、こだわりもさらに高まってしまうことがあります。

 

 そのため、「妄想」から本人が目をそらすことが出来ず、常にその目で親族を見てしまう事態に陥ってしまう事になります。

 認知症に関連した、嫉妬妄想やものとられ妄想の場合は、デイサービスから帰ってくるときに送迎バスを玄関前で待っていて出迎えてあげたり、ものとられに対しては、一緒に探してあげるなどと言ったことが一定の成果を上げることが多いのですが、認知症ではない場合は、そのような不安を解消させてあげるサポートが逆に猜疑心をあおる結果となってしまうことがあったりします。

 

 健常者の誤解を解消するためには、理詰めできちんと説明することがとても大切なことでもあるため、このような「妄想」には、周囲が粘り強く説明をし、きちんと向き合ってあげることが大切と言えますが…。

 サポーターのみなさん…それで解決しそうですか?

 そう、その地道な取り組みがベストでありながら、粘着気質が強まっているため、なかなか…粘っこく、また、説明の裏を確認したりと、深すぎるんですよね…。

 

 こういう点で、タイトルのようなお話になりましたが、基本的には、不安を感じている様子を少しでも見つけたら、できるだけ早く日頃からの不安解消のための働きかけをしてあげることが重要と考えられますが、発展した場合には…ごまウシにも的確なアドバイスする材料がなかったりしますが…。負けずに粘っこく取り組むしかないのかもしれません。でも土台は不安に対してきちんと対処することなのです…。

 

 このような方々の不安解消のためにはどうしたらいいだろうか…ごまウシのこの課題に対する探求は、さらに続くのでした…。また、アドバイスできそうな材料がそろいましたら披露させていただきます。