ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

二重連星の世界

 現在の地球は、もちろんながら太陽は一つだけの世界となります。当たり前のことですが、世の中は必ずしも当たり前ではないというのが宇宙まで広げれば、起こりうる現象ともいえます。

 

 ごまウシの時々の息抜きである、宇宙へのロマンを駆り立てるソフトにシミュレーションソフトがあります。かっこいい表現で入っていますが、言い換えるとシミュレーションゲームといってよいでしょう。

spaceengine.org

 

 太陽系には、自ら光を放つ太陽という恒星を中心に、8個の惑星が巡回しているという形をとっています。

 その中で一番重たい星といわれているのが木星になります。木星は重たいといっても、太陽とは比べ物にならないくらい軽い星になり、自ら核融合反応を起こすほどの重さを持っていないため、自ら光輝くことができず、惑星という位置づけになります。

 この木星がもし、約80倍ほどの重さを持った場合には、自ら核融合反応を起こし、赤色っぽい光を放ち始める恒星となります。

 そうすると太陽系には、太陽とともに光る木星を持つ二重連星となります。

 もちろん木星80個分の重さの恒星は、赤色矮星といいますが、とても暗い恒星になるため、現在の状況と若干軌道の影響はあるかもしれませんが、あまり変わらないのではないかといわれています。

 これが、本格的な太陽並みの重さを持つようになった場合には、二重連星として、ふたつの太陽が昇る世界が地球に訪れることになります。気温なども上がってしまうため、生物が生活できる環境を保持できるかどうかは微妙ではありますが、ふたつの太陽が昇ったりする世界となります。

 

 Space Engineでは、遠くの二重連星の恒星の中で、このような環境をシミュレーションした惑星を見つけることがときにあるため、このような惑星をピックアップし、そして、実際に地上ではどのような風景が広がっているかという想像図を見ることができます。

ふたつの太陽

 ふたつの太陽が日の出を迎え、なおかつ、リングを持つ惑星。

 こんな朝日を眺める世界が、どこかの星では繰り広げられ、ごまウシたちとは似ても似つかぬ文明が、この朝日を眺めているかもしれませんね。

 

 宇宙のロマンは果てしないものがあります。もちろん、地球の中での自然のロマンの場合は頑張れば直接見に行くこともできるでしょうけど、二重連星の夜明けは、現時点では、どんなに頑張っても見ることができません。

 

 見ることができないからこそロマンですね。

 

 

慣れはすばらしいもの

 最近、慣れてしまうと、今までとても困難と思われたことが当たり前のようにできてしまうことがたくさんあることに驚きを感じてしまうところがあります。

 

 みなさんは、以前はなかなかできなかったけど、頑張って日々続けていくことで、当たり前のようにできるようになったことや習慣はありますか?

 

 ごまウシの場合は、2つの習慣が今ではごく当たり前のようにできるようになったというものがあります。

 

 まず1つ。

 ごまウシの起床時間は毎日ほぼ5時です。

 5時起床というのは、かつてはあり得ないことでした。この5時起床の習慣は、一時的には、今から15年ほど前から頑張って始めましたが、その頃は気が緩むとできなくなりました。

 当時、尊敬する師匠が、病院出勤を6時頃で、出勤してから病棟回視診して1日の仕事をほぼ終わらせた時点で、朝会が始まるという形でいつもお仕事をされていたので、日中外来がないときはほぼ書籍を読み続けていらっしゃった経緯があり、その結果として、ものすごい量の知識を保有されていました。その素晴らしさを一生懸命まねしようと頑張った訳なのですが、お休みの日にタイマーをかけずに寝るとすぐにいつまでも起きれない状態が続きました。

 そして、今らか8年前に現在の職場に異動となり、通勤に電車を使うようになってから、混雑を避けるため、できるだけ速い電車に乗ることに努めた結果として5時おきの習慣となりました。これを、続けた上に、おととしから始めた、お宅巡りを兼ねたウォーキングを早朝から始めることをスタートし、日曜日も早く起きる意識をしたことによって、いつでも、朝5時頃に自然と目が覚めるようになりました。

 年のせい…かもしれませんが、寝ようと思えば何時間でもまだ眠れるごまウシにとって、年のせいとはまだまだ考えにくいかな…。などと、年のせいでないことを主張しておきますが、とにかく、当たり前のように5時に起きるようになりました。

 ただし、寝るのは早いですねぇ…。小学生並みかもしれませんが…。

 

 そしてもう一つが…

 ウォーキングの距離でしょうか。

 ウォーキングといえば、頑張って1時間歩くと上出来と感じていたのが今までですが、おととしから始めたお宅巡りでは、1時間にとどまらず、その日1日中歩くことをしていたこともあり、コースがとてつもなく長く設定したときには、1日に25km近く歩くこともしていました。

 最近は、時間のこともあり、あまり歩いていないのですが、本日もあまり歩いたつもりがなかったのですが、久しぶりに歩行距離を確認してみると…

歩行距離

 当たり前のように10kmを越えていました。10km歩くことは、今となっては本当当たり前のような感覚ですが、1日1万歩という歩数についても、かつては考えられないものでした。

 今では仕事で当直をしたりして、建物から出られないときに限りなく歩行距離が短いときがありますけど、何も考えずに2万歩近く歩くようになりました。

 かつてごまウシが研修医の時には、大学病院内をひたすら歩き続けたときに、万歩計が2万歩を超えていたときに感動したことがありましたが、25kmくらい歩いたときなどは4万歩を超えていたりするので、慣れというのは恐ろしいものだと思います。

 

 起床時間が5時であることも歩行距離が10kmを簡単に超えていることについても、とても頑張ったという感覚は決してありません。何気なくこなしている物でもあります。

 慣れというものは、実現困難な事柄であっても、時間をかければ当たり前のようにできるようにしてくれるというものです。

 実際には、身体の動きだけに限ったお話ではないと思います。読書のページ数であったり、暗記の数であったり、そして、ごまウシがいましているようなブログの日々の記録などもそうでしょう。慣れというものは、気付けば大きな成果をもたらすものです。

 ぜひ、何気なく、難しいテーマであっても目指して日々続けてみて下さい。

 

 

認知症の終末期医療

 昨日までは、認知症の経過について触れてきました。

 そのまま、認知症について直面していたり関わっていたりしている方からすると、げんなりする部分も多かったのではないかと思います。とても残念なことに、認知症は現時点では進行性の疾患という事になってしまいます。そのため、その経過をお話をすれば、どうしても、暗いお話が多くなってしまいます。

 さて、今回においても終末期という事は、あまり明るいお話ではありませんが、実は専門科の中でも、意見が分かれているところがあるため、少し触れてみようと思います。

 

 認知症の治療と言えば、様々な付随症状に対する薬物療法は、差し置いて、原則に認知症そのものへの治療アプローチは、アルツハイマー認知症およびレビー小体型認知症保険診療において認可されている医薬品だけとなります。

 

ドネペジル

ガランタミン

リバスチグミン

メマンチン

ゾミサミド

 

 ただし、この中でゾミサミドは、レビー小体型認知症パーキンソン病との相関関係にあるためその神経症状に対する治療のため、今回の話題では割愛します。

 

 これら、ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン、メマンチンについては、アルツハイマーなどの病状の進行を遅らせることが目的として存在しており、病状の進行に伴って、神経活動が低下している部分を賦活して、減少した神経をフル活用し、活動性をアップさせる機序となっています。メマンチンは機序が若干異なりますが、他の薬剤については、使用により活動性が上がるため、日常生活の質が向上します。ごまウシのさらなる拡大解釈では、活動性が上がることにより、日々の精神活動が増えるため、いわゆる脳トレのような感じになり、認知機能の回復のリハビリになるのではないか…と解釈していたりします。

 

 そのため、これらの医薬品については、初期の状態であればあるほど、賦活した結果が大きくなるため、効果が大きいと言われている部分があり、早期の段階で積極的に使用した方が良いというのが、専門科の中での専らな意見となっています。

 

 さて、しかし、病状の進行とともに、この「進行を遅らせる」と言うことが、果たして、本人にとっても家族にとってもよいことなのかどうなのか…と言うことが気になるようなことが発生します。

 

 積極的治療介入と言えば、とことん医療技術を使い続けていくという事になりますが、進行とともに、自分の見当識が霞の中へ包まれていき、収集つかない状況で、薄れていく不安や恐怖、また、見当識障害から認められるイライラや恐怖感などと言った症状が、「進行を遅らせる」事により長く続いてしまうことになります。

 

 そのため、これら抗認知症治療薬に対して、ごまウシも含め専門科としては、本人の苦痛を和らげることやサポーターの苦悩を和らげるためには、本当に継続的に処方し続けることが妥当なのだろうかどうか…と思い悩むことが多々あります。

 

 専門科の中では、このようなことから、処方については、「内服ができなくなるまで続ける」という意見から、「ある段階までで、終了する」という方向で考えていたりと様々です。そして、「ある段階」についても、様々な段階が存在しています。

 

 ごまウシの考え方では、もちろん、現役時代の本人の考え方、それから家族およびサポーターの気持ちなど合わせて話し合いながら、考えて行くわけですが、飲めるところまでとことんという考えにはどうしても慣れず、ごまウシの提案としては、「コミュニケーションそのものが難しくなってしまったら、終了させる」を軸に家族の考えと本人のキャラクターとを合わせて話を進めて、抗認知症薬のやめ時を検討したりします。

 

 いずれにしてもごまウシとしては、決して前向きなお話ができない認知症の進行の中で、どれだけの時間を幸せに、平安な時間として過ごせるかという事を様々な医療、介護の資材を使ってアレンジしていくことがテーマとして、日々取り組んでおります。

 進行していく認知症と向き合いながら、当事者が笑顔で、穏やかに過ごせることが最も大切ではないかと…どうしても美化してしまう感じはありますが、それを追求することがごまウシの職務と確信しているところです。

 

 

認知症の経過⑦

 本日は、認知症シリーズの最後のお話になります。今回は最重度の段階についてのお話を触れたいと思います。

 

 重度の認知症になった段階で、身体的介護が格段に増加してくると言う事について触れてきました。最重度になると、今度は、一人では生命的な保持すら難しくなる段階になります。

 

 まず、最重度の段階では、歩き回れる段階ではなくなってしまうため、車椅子、あるいはベッドで過ごすことが多くなります。そして、会話としては、声を上げる…と言った程度になり、断片的に単語のようなものが登場する程度です。単語と言っても、とっさに出てくる言葉で「応答言語」と言われる言葉で、例えば、熱いものを触ったときに「あちっ!」と言った感じで、何ら思考を働かせることなくとっさに出てくるような状況反応性の言葉に限られてきてしまいます。

 意味が分からないまま叫んでいたり、歌を歌っていたりと言ったように、発する声に意味を理解することができない状況となります。

 また、さらに発展すると、1日を通して何もしないという状況となり、食事も自分でとれずに介護をすることでなんとなく食べるといった状況となります。もちろん完全失禁状態で、介護抵抗も徐々になくなり、なされるがままといった状態となります。

 このように、何もせずに、過ごしてしまう状況のことを「失外套症候群」と言われる状態で、高次機能自体が完全に崩壊してしまったという状況と言われています。

 

 そして、最も困った症状として、「食の概念」を失い事があります。この章尉髪止められる方と認められない方通られますが、この食という事が分からなくなると、介護で食事を口に運んだとしても、飲み込むという動作につながらず、結果的に吐き出してしまうと言う状況となります。要するに、口の中に入ったものを食べ物としての認識ができない状態となり、異物が口に入ったのでただ吐き出しているだけ…と言う状態になります。本来ならば、のどに届くとほぼ反射的に飲み込み動作につながるのですが、それすらもつながらなくなってしまいます。

 食の概念を失ってしまうと、一気に衰弱してしまい、医療的な介入がなければ、このままいわゆる看取りという状況となります。

 

 食だけではありません、全ての神経活動的なものが低下するため、姿勢を変えるだけで血圧がダイナミックに変動し、失神することも増えてしまうじたいもあり、また、動かないことにより褥瘡の発生が頻繁に認められ、また、反射の低下により飲み込みに失敗し、誤嚥性肺炎を発症、整理機能的な低下がさらに免疫機能の低下を来し尿路感染など感染症の兆候も頻繁に認められるようになります。

 最終的にはこのような身体合併が多発し、徐々に衰弱し、最期の段階を迎えることとなります。

 

 最重度の認知症は、いわゆる終末期と言える段階で、確かに、介護の負担は身体介護に限定されてしまいますが、何もしてあげられないというサポーター側のつらさを感じてしまう状況ともなります。

 

 認知症という病気は、このように、徐々に認知機能からむしばみ始め、最終的には全身の衰弱を来す慢性疾患であり、現時点では、治癒させる方法はありません。

 医療者としては、やはり、この認知症という病気に対して、いち早く介入し、そして、それぞれの方が、楽しく幸せに、活発に過ごすことで、脳の衰弱に抵抗する回復力を養い、可能な限り進行を遅らせることが、最大のテーマと考えています。新しい医薬品も登場してきますが、やはり、決して、回復させる薬ではありません。回復させるのは、筋トレならぬ脳トレ以外他ならないのです。脳トレ自体は、様々なグッズがありますが、それだけでは足りず、日々の生活に活気ある状態を保つことに重点を同時に置く必要があります。認知機能が低下すればするほど自発性が低下してきます。低下する前に、どれだけ、活動できるかが勝負ではないでしょうか…。

 ごまウシはそのような認知症の特に初期の段階での進行をどれだけ、抑えることができるかを常々考えながら活動をしております。

 

 なお、今回のお話の流れでは、和集合的なお話をさせていただいたこともあり、レビー小体型認知症におけるパーキンソン症状や自律神経障害、また、神経難病に該当するシュシュの特殊な認知症、脳血管性認知症脳卒中関連の合併症についての話題は割愛しました。また機会があれば触れてみようと思います。

 

 

認知症の経過⑥

 さて、本日は、中等度の認知症からさらに進行をしてしまった、重度認知症について触れてみたいと思います。

 重度認知症は、おおざっぱなところで言うと以下の二つのことがあると言えます。

 

・会話が成り立たなくなる。

・トイレという概念を失う。

 

 すなわち、話しかけても、なんとなく取り繕うような返事が返ってくるが分かっているのかどうかは微妙であるという状況で、もちろん、痛い、痛くないとか、具体的で限定的な事柄のコミュニケーションはとれるものの、普通に会話ができる状態とは言えなくなる状況を指し示しています。

 また、トイレという概念を失うという事は、それまでならば、トイレの場所が分からなくても、トイレという場所に行けば、用を足す場所であるという事は理解でき、また、トイレの取り扱いは間違ってしまっていても、トイレであるという事は、理解できていたと言うのが中等症までの段階でした。重度になると、トイレを目の前にしても、これがなんのためのものかを理解することができず、用を足すことができなくなると言うことと、さらに、用を足すということ自体もかなり微妙なところとなり、随所での放尿行為につながったり、おむつ内失禁の状況となったりします。

 

 そのため、多くの場合は、在宅でサポートするには相当な困難を要するようになり、ほぼ毎日デイサービスを利用してもらい、夜間などは家族総出で面倒を見る必要が出てくるため、施設への誘導として特別養護老人ホームなどの入所につながることが多くなります。

 

 この段階になると、今まであった口げんかや妄想と言った誤解などから生じる対応困難さはなくなっていき、むしろ行動障害に対する身体的ケアが必要となるようになり、一気に身体介護が増えてくる段階となります。

 今までならば、例えば、トイレについて触れれば、トイレの場所が分からず、うろうろとしている間に間に合わなくなり失禁という状況はあったにしても、いつでもどういう状況でも知らぬ間に失禁している状況というのはなかったはずなのが、ちらほら認められるようになるため、日常的に紙おむつを使用する状況が出てきます。

 

 また、中等度の段階から、徐々に活動の動作が緩慢化することが顕著となり始め、重度になると、歩行などのペースもだいぶ低下してくる状況となり、また、注意障害と危険回避能力の低下があるため、転びやすい状況が一気に増加してきます。転倒、転落が頻発する時期でもあります。

 

 認知症という病気は、一部の脳血管性認知症およびレビー小体型認知症のパーキンソン症状などを除けば、身体的に不自由さはほとんどなく、認知機能の低下とともに、そのことが問題となり徘徊や暴力行為につながり制御が難しいという状況が続いてきましたが、重度認知症という段階になると、頭部の精査でも明瞭化しているのですが、全般的な脳萎縮が進行してしまうこともあり、身体機能が徐々に低下してくるため、体力的な面の低下や反射神経などの低下、バランスなどの悪さなどが目立つようになります。

 

 重度の認知症になると、コミュニケーションそのものが難しくなり、その結果として、疎通がほぼ困難という段階に入りますが、一部を除き、ほとんどの認知症の方は、やはり相手の表情を若干でも汲み取ることができます。笑顔で接すると笑顔で応じ、無表情で対応すると不快感を感じたりするなど、理解はできなくても、雰囲気的な認識はできているようです。

 そのため、サポーターが疲れていると、不安になったり、機嫌が悪くなったりすることもあり、とても負担の多い状況でも、サポーターも適宜気分転換をする必要があると言えます。

 

 最後に、次のステップでは、最重度という段階についてお話ししていこうと思います。

 

 

認知症の経過⑤

 さて、初期の認知症までは、まだまだ自分の事は自分で出来る部分が多く、確かに見守りは必要かもしれませんが、それなりに、自分の最低限のことはできていました。片付けや記憶の面、日常生活面での複合的な動作についてはできない部分はありましたが、慣れ親しんだ場所であれば、それなりにやっていけるという状況ではありました。

 

 さて、中等度になってしまうとどうなるでしょうか?

 

 中等度になると、徐々に目が離せない状況になってきます。

 先ずは慣れ親しんでいたはずの自宅ですら、迷子になるような状況となり、トイレやお風呂といった日々使っている部屋の場所が分からなくなるなど、自宅内で迷子のような状態になることが増えてきます。そして、歯を磨くや着替えるといった基本的動作についてもおぼつかなくなり、服を履いてしまったり、ズボンがまともにはけなくなったりと基本的な生活ですら、うまくいかなくなってしまうことが出てきます。

 記憶の錯綜も目立つようになり、まるで、20年くらい前にタイムスリップしたかのような古いお話をリアルタイムで過ごしているような会話をしてしまったりと、サポーター側は大いに混乱することも増えてきます。

 

 そして、外出になると、これがさらに目が離せない状況となり、今までならば、出かけた時に目的を忘れていても自宅になんとなく戻れていたのが、自宅に帰ることが分からなくなり、近所で迷子になるなどと言ったことが発生したりします。また、時には他人のお宅に訪問してしまい、そこを自宅だと主張するようなことでトラブルになるなど、近隣への迷惑も発生したりすることもあります。

 

 コミュニケーションについても、さらに難しくなってきており、最低限の会話としてのトイレがどこだと言った会話は成り立つものの、自分の気持ちを伝えたり、相手の話に耳を傾けたりすること自体が難しく、汲み取ってもらうことも最低限の具体的な事柄に限定されてしまうことが増えてしまいます。

 

 さて、BPSDについてですが、いわゆる認知症に伴って自分自身ができなくなってきているという事に対する羞恥心や不安や恐怖といったものは、徐々に、そのこと自体が理解できなくなり、そのような訴えはむしろ軽減する傾向にありますが、理解についての障害と現状の見当識の障害が強まるため、誤解に関連したトラブルは、さらに強まることとなります。サポーターが制止をしようとしても生死が利かなくなることも増えてきますが、制止が聞かない理由についても理解が難しくなります。頑固なキャラクターだと言ってもこだわっている意味がサポーターには理解できなかったりと、制御が難しくなり、精神科受診をして行動を抑える薬物療法などをやむを得ず行ったりすることも多くあります。

 軽度認知症と比べ、行動面をサポーターが○○を間違えて△△の行動をしていると行ったような解釈的な理解をすることがさらに難しくなるため、向き合うときの分析と方向性が難しくなってくるのが中等症となります。

 

 認知症への対応の中で、中等症が行動障害面での対応としては最も難しい段階と言ってもよいかもしれません。

 中等症の段階になると、多くの場合、自宅では目が離せなくなるため、可能であれば、デイサービスへの誘導をしたいところではありますが、デイサービスでもトラブルが起こりやすい段階でもあり、対応が難しい状況が続きます。

 

 このような段階の後、最終的に、重度および最重度という段階へ認知症のステージは進んでいきます。

 

 

認知症の経過④

  さて、前回の記事に続き、今回は初期の認知症の特徴について触れていこうと思います。既に認知症の診断が下る状況ですので、生活に支障を来してしまっているという段階になります。そのため、それぞれに認知症性の疾患にもよりますが、具体的に周りから見ても明らかな症状が出てきます。

 

 まず、生活に支障が出る状況であるにもかかわらず、独居生活をしていたりした場合はどのような状況になるかというところから触れていこうと思います。

 一人暮らしのご老人は、多くいらっしゃいますし、その中で認知症を発症してしまった方もいらっしゃいます。まず、その方々のご自宅は、真っ先に明らかになるのは、以前に比べて乱雑な状態になるという事です。認知症の症状の代表的な症状として、いつもの場所に片付けられない現象が発生します。そのため、整理整頓ができていた方が、整理整頓ができなくなり、さらに、あらゆるところに誤った片付け方をするため、大切なものなどが見つけられなくなり、結果的に探し物が増え、探すとまたひっくり返すこととなり、部屋の中や家の中がどんどん散らかっていきます。結果的にはゴミ屋敷になってしまいます。そのため、ゴミ屋敷となってしまっているおうちには認知症を発症したご老人がお住まいである可能性が高くなります。

 また、そこまでも行かないにしても、片付けなどがヘタになるため、冷蔵庫などの中のメンテナンスが上手にできなくなります。賞味期限切れのものが増えてくるのはありますが、普段の生活の中ではありがちな事柄なので、まだ許せるとしても、同じものがいくつも登場するというところあり、さらに言えば、冷蔵庫に本来入れるべきではないものが入っていたりすることが出てきます。

 冷蔵庫の中に、テレビのリモコンが入っていたり、他にも老眼鏡やお財布などが入っていたりと説明のつきにくいものが治まっていることが出てきます。

 もちろんその結果として、テレビのリモコンが見つけられなくなったり、お財布が見つからなくなるなどのことがなんて言うことが発生してくるわけです。

 さらに、自分で分からないところに片付けてしまったこと自体記憶にとどまらなくなってしまった場合には、財布がなくなったことについての自分が行った行動であるという自覚がないために、誰か他の人がやったに違いないという確信を持つようになり、これが身近にお世話になっている方に対するものとられ妄想に発展したりします。

 

 また、時間的な概念のブレも発生し、新旧次官の流れも混乱してしまうため、代表的なものとして、お財布の中身について、リアルタイムに把握ができなくなり、思い描いている財布の中身のイメージがいつの時のものか判然とつかず、現在の財布の中身とだいぶ異なるという事に混乱を覚え、誰かがお金を抜き取ったなんていう被害妄想が発生したりします。

 

 症状としては、まだ多岐にわたりますが、サポーターがかなり困る時期はこの初期の認知症の時と言っても過言ではないでしょう。行動の誤りがある上に、現実の理解の混乱もあり、誤解とともに被害的に物事を捉えやすくなることに加え、以前に記述したBPSDが加わると、家族と大げんかに発展することも多くあります。さらには、自制心が低下しているため、とんでもなく激しくぶち切れてしまうことがあったりと、対応困難となることが多く、精神科病院への入院につながってしまうことも多々あります。

 

 このような状況と向き合いながら、徐々に認知症は進行していき、次のステップとして中等症の認知症へと発展していきます。

 次は中等症の認知症での症状についてお話ししたいと思います。