ごまウシの働き方改革に対する解釈の、将来の理想的な「夢」と言うべきお話かと思いますが、あと半年ほどで、働き方改革が実際にスタートをする事になりますね。以前、ごまウシとしては、働き方改革に対して若干ネガティブな推測をしていたわけですが、今回は理想的なストーリーを展開してみたところです。
ごまウシの将来につながる働き方改革は、次なる産業革命があってのことと言えます。産業革命は、ヨーロッパの蒸気機関の発明から始まったと言われている歴史ではありますが、産業革命は、人々の生活を大きく変えたという事がとても重要なお話になっています。そして、その産業革命が、現在においてこの働き方改革に合わせて到来すると、ごまウシの理想的な将来につながるのではないかと思ったりします。
産業革命としては、蒸気基幹技術出会った昔から、現代の産業革命は、AI技術と量子コンピュータの融合というものです。あくまでごまウシの持論ですが…。
情報処理の指数関数的増強を図ることが出来る量子コンピュータとAI技術の進化により、人から仕事をコンピュータが奪い取って言ってしまう現象が発生しますが、「奪い取り」というのは、とても、否定的な表現になりますが、ポジティブな表現で言えば、人の代わりに仕事をしてくれるようになるという事になりますよね。今までは、流れ作業のような単純作業をロボットが自動的に処理をしてくれるようになりましたが、次のステップは、製品開発や運送、一部のサービス業などがAI搭載のロボットが担うようになり、おおよその今現在のお仕事というものが全てがAIロボットが担うようになる時代がやってくるというものです。
仕事を奪われた…というのは悲観的ですが、仕事をしなくて良くなった人は、当然、趣味や遊戯に興じることになります。自由に旅行をし、スポーツをしたりと日々そのような楽しみを自由に謳歌できるようになります。そして、趣味活動などには、当然コストがかかるわけですが、その収益性は、全てコンピュータによってなされるようになっているため、それを全ての国民に配給すれば、移動の交通費などは全て支給できる状態になるというもの。金銭のやりとりについては、必要とせず、全ての人が自由に旅行できるようになるというわけです。
そして、一部のクオリティをあげる事柄にお仕事が残り、このお仕事で得られた収益が、通常の自由な生活にアドバンテージとしての贅沢さをふかしてくれるものとなると言うことがごまウシのイメージになります。
憲法に保障されている最低限の生活を保障するものが大幅に拡大された仕事せずとも自由に生活できる状況の走りとして、人が死後に没頭しなくてもよい時代の走りとして働き方改革が位置づけられている…こんなストーリーであれば…と思うのですが…。
ガリガリ書きながら、子供っぽいお話にはなりましたが、働き方改革は、明らかにお仕事を制限するものでもあります。お仕事の対価として支払われる給料は当然減額されるわけで、労働力も結果的に減ってしまうことになるので、当然その分を機械が収益を上げていくという流れが自動的に発展すると、人は、人らしい日々の生活に専念できるという将来が実現すれば…。
はて…そんな将来が働き方改革とともにやってくるのでしょうか??