余分なものと言われれば、「不必要なもの」と解釈してもおかしくないものの存在ではありますが、実のところ、この「余分」はとても大切なものと考えられます。結果として、世の中には余分なものであふれ、余分なものを不必要なものとしてとらえる方はほぼ皆無ではないかと思います。
余分なものが、どれくらいの効果があるかということをちょっとしたサンプルでご紹介したいと思います。
余分という言葉は、余った分ということでもありますので、必須な事柄からはみ出した分というべきでしょうか。そういう点では、余分=不必要と解釈しても決して間違いではないのですが、この余分がなければ、まったく日々の生活は落ち着かないものとなります。
こちらはすべてスタッフの自作の作品となります。この机周辺では、電子カルテで記事を書いたり、文書を書いたりする場所ですので、これらのアイテムは、もちろん、業務だけに限定すれば、「余分」になりますが…いかがでしょう?
ごまウシは、とても癒されました。ほっとした気持ちになり、和やかな気持ちで業務をすることができますし、もちろん、この写真を撮っているときは、話題が盛り上がっているわけです。
机の上の台にこの針金とクマさんの折り紙が必須かといえば、構造的には不必要なものとなりますが、やはりほっとできますね。しかも手作り感満載のぬくもりを感じるとなおさらのことですね。
「余分」といわれるものは、いわゆる飾り付けそのものがすべてそれになります。例えば、この机の台であっても、白い色についても必要ないといえば必要ないものですが…この台が白いだけで雰囲気はガラッと変わります。
「余分」というものは、とても贅沢なものとごまウシは思うところがありますが、この「余分」があるからこそ、日々の生活が充実し、能率的に「必要な事柄」に集中できるものと言えます。
余分で不必要なものが存在してこそ、必要なものが充実するといってもよいでしょうか。人類が現在まで文明を繰り広げて発展してきた歴史を見ても、山のように余分なものが各時代の人々によって作られてきたといっても過言ではありません。体に身に着ける装飾品、そして、衣服もですが、シンプルではなく、刺繍のような飾り付けを付けたり。
ごまウシの時間があれば繰り広げているお宅訪問も、日々の生活の中でわざわざ…とまで必要ではないため、余分なものなのかもしれません。
ただ、この余分を充実させることにより日々の生活に潤滑的な心地よさが生じるものと言えそうですね。
みなさんは、余分なもの、余分なことでどのくらい日々を充実させていますか?日々を余分に楽しんでいきましょう