ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

報道について注意しておく事柄

 ごまウシの外来に、とある情報を持ち込んでいらっしゃった方がおられます。

 

「テレビで○○の治療薬がアメリカで開発されて、日本でも使えるようになったと言うことなので、さっそく使って欲しいのですが…。」

 

 実はこのようなお話しはとても良くある話ですので、今回のお話しに限ったわけではありません。

 ごまウシは、こういう期待をこめた意見について、多くの場合、苦々しい回答をせざるを得ないことがあります。

 

「テレビではそう言っていますけど、残念ながら、適応ではないので、使用するわけにはいかないのです。」

 

 ほとんどの方がとても悲しそうな顔をしてしまいますので、気の毒でならないのですが、実際のところ、話題が一人歩きして、実際に処方できるという状況ではない事も多々あります。

 

 ここで、大切なことは、報道という事柄の位置づけについて考えて行く必要があると言えます。

 最近では報道という形で情報発信するのはテレビや新聞だけではなく、様々なSNSなどの情報も報道のような形になっています。ごまウシがこのブログで書いている記事であっても報道と言ってもよいかもしれません。ただ、ここでのお話は、昔から報道をすると言えば…で位置づけられている新聞やテレビのことに限定していこうと思います。

 

 テレビや新聞の報道は、いわゆるマスコミ報道と言われているものですが、報道がうそであったり、その記事が著しく事実をゆがめたりしないように、厳正な審議などをされた上で世の中に情報として提示されているものとごまウシは信じているところではありますが、かなり吟味されているものと考えられます。

 外来にいらっしゃった方が耳にした情報について、ごまウシももちろん誤りであるという事を申し上げるつもりはありませんし、最近では、専門家でもなかなか耳に入りにくい情報もしっかりキャッチしていることもあったりするので、驚いてしまうこともあります。

 

 マスコミは、あくまで略語であり、正確には、マスコミュニケーションと言っていますよね。コミュニケーションはともかくとして、「マス」という言葉が、報道の位置づけとしてとても重要であるとごまウシは思います。報道は、社会に向けた情報発信であり、個人に向けた情報発信とは言えないというところだと思います。

 世の中の情勢がどのように動いているかという事を多くの人に普遍的に情報として伝達することが報道という事になるでしょう。

 「新薬が日本で発売される」これが特に難治で大変な病気の治療薬であれば、多くの苦しんでいる方々に期待を持たせるような技術の情報提供になります。マスコミは、世の中がこれから先どのように動いているのかを社会的な見知から情報を提供するものと思います。

 

 ただ、ごまウシがいつも苦々しく答えている事柄は、決して報道を否定するものではなく、個別性の問題があるという点にあります。もちろん、報道どおり新薬をさっそく使いましょうというお話もあるとは言えるのですが、ここの状況によって報道どおりに使えるか使えないかという事が問題となります。

 報道は、あくまで、「マス(大衆)」に対して情報提供をしていて、マスに対して責任を持って活動しているものです。大衆と個人が大きく異なるのは、その点です。

 そのため、大衆に提供する情報が個別性を加味した上で実際に適応できるかどうかと言うのは、なかなか難しいところがあります。

 

 既に報道はされていますが、秋には、アルツハイマー認知症に対する治療薬というものが認可されてくると思いますし、実際に認可されるでしょう。そして、認可されるとともに大きく報道されるのではないかと思います。

 しかし個別性の点においては、「アルツハイマー認知症」に対して厳密な診断を行い、処方する医師にも条件があり、さらには、「アルツハイマー認知症の段階」にも厳密に判定するところがあります。しかし、そこまで細かいところまで報道の情報に含めてしまうと、「マス」に対して情報提供するには、情報過多であったり、大衆が興味・関心を失ってしまう恐れもあります。そのため、報道の形によっては表現が変わってしまい

認知症に明るい光が注ぐ、新薬が登場」

なんていう表現で、タイトルを飾ってしまうかもしれません。報道としては、決して間違っていないと思いますし、この薬を開発をしてきた研究者の方々も、強い気持ちをこめて開発してきたものです。このくらいの華々しい表現であってもよいでしょう。あくまで、「マス」に対しては…

 

 報道の情報はとても大切だと想います。それに有益な情報という事には間違いありませんし、ごまウシも報道には耳を向けるように意識はしていますが、個別性については、報道となじまないものであることを忘れないようにしていただく必要があると思います。個別性が報道の事実と違ってしまうことがあっても、決してショックを受けることなく、現実的な個別性の事を火意味した最善の方策を模索していくことが重要となると言えます。