本日は、あれから12年が経過した日になります。
ごまウシは、当時は、愛知県内の特別養護老人ホームで往診で高齢者の診察をしていました。なんとなくめまいのような感覚に襲われたものの、高齢者の方々は何事もないようにされていたため、そのまま診察をしていたのですが、周りの点滴代やキャスターなどが右往左往し始め、明らかに自身であることに気付きました。不気味なゆらーりゆらーりといった揺れで、恐怖を感じました。
感覚としては、5分近く揺れていたのではないかと思うほどでしたが、特養のスタッフみな恐怖を抱いたのか、入所者のベッドサイドにあるテレビを全てNHKに照準を合わせて、どこでケアしていても情報が入るような動きをしていました。入所者の方々はこのスローな揺れには全く関知できなかったみたいで、NHKにチャンネルを変えているスタッフの姿を不思議そうに眺めていたりしました。
診察を終えて、ベッドサイドを回っているところで、恐ろしい大津波の危険が迫っていることが画面の日本列島を包む赤いラインで知りました。あの揺れが、まさか東北地方というと手も遠いところで発生していたとは、びっくりでした。仕事が終わってテレビたら、恐ろしいことになっていたことに言葉が出ませんでした。
そして、当直中に関連地震として発生した長野県での大きめの地震…病院中をミシミシとさせ、さすがにリアルな恐怖に襲われました…。
こんな思い出が、地震直後のことではありましたが…
発生から4ヶ月経過したところで、ごまウシの病院チームは、医療支援に出かけました。津波の爪痕など多くの写真を収めましたが、今、ここで掲載するのは、意味はないかと思いましたので、復興途中の段階での4ヶ月目のところで、訪問した避難地区の写真を載せます。
避難地区は、まだ灼熱の夏になる前でしたが、仮設住宅が設置が完了し、そして、エアコンも完備。綺麗に整っていました。
どれだけ大きな災害があっても、復活するエネルギーはしっかりあるということです。もちろん、現地では、とても心労がたまり、精神科医としてのごまウシはそのあたりのケアを行ってきたわけですが、やはり、現実を受け止めるようなことはできませんし、ほんの一瞬では何かできたのかどうか疑問を感じるほどのものです。
現在は、仮設住宅もなくなり、多くの地区で、復活を遂げているところではあります。
多くの方が犠牲となった東日本大震災。それでも、東日本は復興を遂げてきています。なんとかなるものです。
様々な試練というものが、降りかかることがあると思いますが、やはり、最後にはなんとかなる…。この気持ちが大切であることを改めて感じるところですね。
災害に対する事前対策も大切ですが、その後においても絶望することなく、前に進むことを考えることの大切さを学んだように想います。