解決できない問題に直面したときの心境というのは、末恐ろしいものがあります。とにかく、逃れたくても逃れられないわけですから。このような状況に追い込まれてしまった経験をおもちの方は、案外たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
ごまウシも、直面し経験していたりします。
ただし、ひとつ、この「解決できない問題」という表現には、少し誤りがあると言えます。ごまウシもこの表現で追い込まれている心境がないわけではないのですが、しかし、厳密に言えば、これは違います。
正確に言えば「解決の難しい問題」と言うことになります。
問題に直面し、逃れられない、また、簡単に解決できない、といったときに、この表現が頭によぎります。そうすると、できないわけだから、選択枠は、二つしかありません。それは、自暴自棄か開き直りかです。厳密に言うと、「開き直り」は立派な解決方法だったりします。開き直ることで、問題としての取り扱いをしない訳なので、それは、問題を解決ではないのですが、放置したということが適当と考えられます。
しかし、「解決が難しい問題」と解釈した場合には、選択枠は広がります。自暴自棄だけが方向性ではないという事です。
色々な人に相談をする
開き直りつつ、機会を探る
なんとかなると思い、向き合う
などなど。この選択枠の中で「なんとかなると思う」事はとても大切です。「現世で生じた問題は現世で解決する」という言葉がある通り、解決が最終的にできない問題はないと言えます。
解決ということ自体が、一つの答えでない場合も多いと言えます。自分の描いた解決の道とは違った形でのそれなりの答えがある場合もあります。
不可避的な状況に追い込まれたときに、その状況を受容し、それに向き合う事で、案外問題自体が問題という扱いでなくなる場合だってあるわけです。もちろんなんとかなるはずと信じ、方々に相談して回っていると、誰かの力を借りながらも問題解決につながる場合だってあるわけです。
問題解決。バシッと決まれば気持ちがよいものですが、世の中、そんな簡単なわけではありません。厳しい状況であっても、一見不可能と思われる状況であっても、必ず道はあるわけです。
ごまウシ自身への自分へのメッセージのようなものでもありますが、問題は必ず行け津します。みなさんも、苦難の時には、この「なんとかなる」気持ちを大切にすることをオススメ致します。