ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

実は認知症より厄介です。

 認知症は以前からお話をさせていただいたとおり、今までできていたことができなくなる病気です。できなくなることが、日常生活の技術から、コミュニケーション、最終的には生理機能の部分までに及び、高齢化社会において大きな問題となりつつあります。

 認知症になると、自分自身の変化もあり、とてもイライラしやすくなり、歌人への暴力につながったりと大変で、さらに、物忘れ自体から発展したと一部に考えられているもの取られ妄想は、最も支えとなっているサポーターの心理的負荷を与えてしまうなど、厄介なことが多くあります。

 そのため、認知症は、家族にとっても心理的ストレスが降りかかり、心労がたまる問題として表面化することが多くあります。

 

 しかし、実は、認知症よりも厄介なことがあります。

 それが、その方のキャラクターに加齢現象と、気分障害が合併したパターンだったりします。

 

 認知症の診断をするうえで、気分障害を除外することが重要な観点となっています。気分障害が発症すると、加齢に伴い、それ自体が認知機能低下をきたすことがあり、認知症と鑑別が難しくなることがあります。

 

 認知症と鑑別が難しくなる理由としては、気分障害という疾患の特性にもあります。気分障害というのは、うつ病躁うつ病といった気分の波の病気ではありますが、物事に対する悲観的思考、抑うつ気分など、現実の事柄に対して、集中したり注意をしたりする機能が低下する現象があり、それによって、人の話が耳に入らなくなってしまったり、上の空で日常生活を送ってしまうことになります。この結果として、物忘れや、探し物が増えたりすることが多くあります。

 さらに、そこに実直な性格や心配性な性格などが重なると、大変なことになります。

 

 物忘れは激しいのだけど、心配事について名粘着的に何度も確認してきたりする。また、物事を被害的にとらえると、手を変え品を変え、その点の裏を取ろうとしてしまったりする。

 もの取られ妄想などといった妄想的なものが発生すると、周囲へ吹込みなどをしてしまったり、操作をしたり、いつまでも疑いを込めたりしたり…。

 

 認知症の場合は、複雑な思考が難しくなるため、例えば、猜疑心という心が生まれた時にも、その思考は複雑なものは少なく、目の前のことに対する疑いであったりすることがほとんどなのですが、気分障害などから発生し、さらにキャラクターもかぶさったりすると、巧妙な疑い方となり、さらに言えば、粘着性も高まり、忘れっぽい割には、その出来事に対する記憶は研ぎ澄まされていると言ったりすることがあります。

 

 認知症の検査をすると全体評価であれば、認知症みたいに心理検査場は低下してきますが、厳密に見ていくと、人の話を耳に入れられていないことによるミスなどが多く発生しており、生活能力を見ていても、粗雑にはなっていても、日常生活技能の低下は軽微であったりします。

 

 認知症の場合は、いい事柄では決してありませんが、丸め込むことはそれほど難しくありませんが、認知症ではない場合には、丸め込みが読み取られたり、裏を取られたりと難しくなります。

 

 ここまでお話をさせていただくとわかってきたかと思いますが、認知症も大変なのですが、実は、認知症ではない気分の変動に伴った認知機能の低下とキャラクターの特性が重なった場合のほうがよっぽどいろんな面で心理的には厄介であったりします。

 緻密な向き合い方をしながらも、一方的な思考に耳を傾けてあげたりしないといけなかったり、大変なんですよね。

 

 しかし、いずれにしても忘れてはならないことは、一番困っているのは当の本人であったりします。本人が、落ち着いて穏やかに過ごせる環境づくりをどのようにして導いていけるかどうかというのがカギとなります。