今回の中村区のお宅巡りの中で、最も大きな出来事としては、御朱印こそないという事でしたが、中村区の神社についての詳細の情報を頂けた方に出会った中村天神社を触れたいと思います。
ぜひ宣伝をと言われましたので、マップのリンクを張りました。中村天神社は、先ほどの豊国神社のお参りを終えて、中村公園から、中村日赤病院の南側にある神社の一つとしてお邪魔した所でしたが、たまたま、清掃中の男性の方に呼び止められたところからお話が始まりました。
この神社で真っ先に目についたのは、稲荷神社の目印でもある、赤い並んだ鳥居です。2列に並んでいるのは、時々見かけるのですが、それぞれの列に別々の祠があるのは、見たことがなく、びっくりしました。
右が伏見稲荷、そして左が豊川稲荷と3大稲荷の二つが並んで存在するというびっくりする構成になっていました。あとお千代保稲荷が加われば完璧ですが、スペース的に厳しそうです。
稲荷神社の隣、本殿との間には、ぬくぬくとうたた寝しているようなウシさんがいました。このウシさんを眺めているところで、掃除をしていた男性の方に呼び止められて、これを持って行ってくれと言われて小さなお札を頂きました。
これを持ち歩くとよいですと説明を頂きつつ、中村天神社をしきりと宣伝されたので、詳しく聞いていると、天神社を近隣50所帯で管理をしている中の会長さんでいらっしゃるという事で、なんとかお客さんが増えないものか日々悩んでいらっしゃるようでした。その方から、中村区の神社についての詳しいお話を聞くことが出来ました。
ちなみに、中村天神社の宮司さんは、七所社の宮司さんが兼務されているという事でした。
会長さんのお話によると、中村区内の神社は、七所社と豊国神社以外は、小さい神社ばかりで、しかも、明治以降に設置されたものばかりで50社弱ほどあるそうです。おそらく、神社の史跡などを調べると載っていそうなお話なのでご存じなかたは折られるかと思いますが、会長さんの説明によると、明治時代に、全ての地域に神社を設けてもらう事を定めたため、各地に神社が設置され、またお寺については、明治政府から廃止の命令もあったため、お寺が存続のため、神社を抱えることで対応するようになったという事でした。そもそも、神社に宮司さんがいるという事はほとんどなく、お寺のシステムが神社に導入された事によるものだそうです。神社とお寺が混ざり混ざった結果として、豊川稲荷のように、お寺なのに稲荷神社で有名となっていたり、随分前になりますが、甚目寺にお邪魔したときに、そのすぐ隣に漆部神社が存在していたりして、お寺のそばに神社があるという構図が日常的に見られるようになったようです。
中村天神社については、地域の大金持ちの方が、自宅内にあった祠を提供したりして集まったもので、豊川稲荷神社も伏見稲荷神社も寄進されたものだそうです。
現在の神社のシステムは、お寺さんのような檀家さんがいるわけでなく,地域の町内会で維持運営されているので、中村天神社のように50所帯で維持している分についてはゆとりはまあまああるものの、他の地区は数世帯で維持をしていたりしていたり、大変だという事でした。多くはお寺さんがバックアップしていることが多いので、その場合は綺麗に整えられるのですが、お寺も近くにないときには、廃神社のようになってしまっているところもあるという事でした。
そういえば、定番のコースの中にも、微妙な神社がいくつかあったのを思い出しましたが、地域の人たちが大掃除をしていた姿も目にしました。
せっかく、ミニチュアのお札もいただけた事もあります。みなさん、中村区に訪れたときには、中村天神社にお邪魔してください。2大稲荷神社に遭遇することが出来ます。そしてのどかなウシさんが待ち構えています。
他にもお邪魔した神社はありましたが、会長さんのお話がとても充実していたので、今回のお宅訪問は以上としたいと思います。
最後帰り際の夜の神社で不気味な雰囲気を感じたため、ご神体の存在を確認した上で、フラッシュ写真を…
夜の神社は、きちんと街灯のあるところならいいのですが、街灯もないところでの写真撮影は…気をつけた方がいいのかな…光る目は当たり前ですが、それ以上に周囲が不気味な…とは言え、神聖な場所ですので、神聖な不気味さなのでしょう。
最後に自宅を帰り歩行距離を確認。
iOSをバージョンアップして初めての表示ですが、順番が変わりましたね…。いずれにしても最長記録で御座います。