山持ちの神社達を通り過ぎ、これから先は、関市を越えて美濃市に入るところとなります。156号線から、西に少しそれながら、歩いて行きますと、東海北陸自動車道と東海環状自動車道のジャンクションが見えてきました。
本日の予定は残り3つの神社となりましたが、そのうちの2社がこのジャンクションの周辺にあります。14時半…あと1時間半です。
目の前にジャンクションが見えてきました。車ですとすぐに通り過ぎるものですが、歩くと、なかなかのもので、全体を横断するのにも、縦断するのにも20分くらいそれぞれかかりそうな大きさです。
南宮大社を見てきた私としては、かわいらしいと言うくらいの小さな神社でした。裏側の森の奥には公民館があり、公園があったため、子供達の声が響いていました。
この小ささの割に、末社として、稲荷神社もきちんとありました。
奥に見えるほこらの周辺、なかなか華美な色で塗られていましたが、全体としてはひっそりした雰囲気でした。
ブログを書いているときは、急いでいるわけではありませんが、なぜか思い出しながら書いていると忙しくセカセカしますね。はい、次に行かなくては…
幸い、次の神社はほど近い所にありました。
なかなかいい感じの森が見つかりました。
今は秋ですので、この木陰は、あまりありがたみを感じることはないのですが、8月の神々のお宅巡りの時には、この木陰はある種のオアシスになります。
ところで、岐阜県の神社を巡っていると、金幣社や銀幣社…などといった肩書きを見かけることがありますが、例えば、最初に巡った春日神社などは、金幣社であり、この住吉神社は銀幣社となっており、他に白幣社、無格社とあるようです。
他にも、県社、郷社、村社なんていう名称がついていたりする神社もあり、何かしらの格付けなのかしらと思って調べてみたところ、神社の格付けそのものは昔はなかったようですが、明治に入って間もなく、県社、郷社、村社という形で格付けが分けられ、しばらくこの格付けで神社は運営されていたようですが、戦後、格付け不要という事で、削除されたため、現在は格付け自体が存在しないようです。そのため、神社の石碑に県社や郷社あるいは村社と書いてある石碑などを見かけた場合には、明治から戦前までの間に設置されたものと考えてもらえればいいのかなと言えます。格付けの細かい説明は省きますが、なぜか、岐阜県だけ、新たに格付けを作ったようで、それが、金幣社、銀幣社、白幣社、そして、あまりにかわいそうな名称ですが無格社と4つの格付けをつけ直したようです。そのため、この肩書きは、岐阜県にしか存在しないもののようです。さらに詳しい名称の説明については、調べると出てきますので、参考にしてみてください。
この住吉神社は、正面はまた別にあったため、正面に向いたところ、鳥居がありましたが、なんと木製の鳥居でした。小さいものでしたら、見かけることはありますが、この鳥居は決して小さいものではありません。経年的な変化が目立ちますが、とても立派な大きな鳥居でした。石の鳥居と違い、時代の流れを感じます。
最後本殿を覗きました。鳥居と同じで、木を感じるものとなっていました。末社や摂社もたくさんありましたよ。もっともっとじっくり見て回りたかったのですが、ここでついに15時回りました。
最後の神社は、御朱印をいただける事が事前に分かっている神社でしたので、社務所の閉まる時間午後4時がまさにタイムリミット。住吉神社からは、Google Mapでは、43分とあり、なんと到着予定時刻が、15時58分…ギリギリじゃないか…
走るわけにはいかないのですが、とにかく、スタスタと歩くこととなりました。