ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

看取りにもいろいろあるのです。

 7月4日の記事にACPに触れた内容がありますが、そちらも参照いただくと幸いです。超高齢者あるいは、認知症の重度になった段階で、避けられない出来事として、食事がとれなくなるという現象です。人という前に生物として、自分の力で栄養を摂取できなくなると、これは、死に直結する問題となります。

 高齢者では、体力の消耗に伴い、食事をとる力を失い、結果的には食欲低下という形で、食べ物を受け付けられなくなります。食欲を増す薬物療法など、様々な手法を講じるのですが、回復する方はさほど多くなく、そのまま食べられないまま衰弱が進み、さらに食事がとれなくなります。

 重度認知症の場合には、「食べる」という概念を失ってしまうという現象が発生します。そうすると食べ物を口の中に入れても、食べることができず、そのまま口に含んだままとなってしまいます。時には、何を口に入れても全ては来だしてしまうなんて言うこともあります。

 このような状況に陥ったときには、ほとんどの場合回復の見込みがないため、最終的には看取りという形になります。この時の看取りというテーマはとても難しい課題となります。

 看取りには様々なパターンがあります。そのため、「自然な形で看取りを」と決まったとしても、それでも方法はしぼられたわけではありません。

 まず、基本的に病院においてはもちろんですが、在宅においても往診管理の下において、食事がとれないとなると、点滴が施されることとなります。しかし、点滴というものは、自然な形でしょうか?そのため、点滴についての課題があります。ちなみに、点滴を行わないとなると、おそらく、食事がとれなくなって1週間もすれば看取り…と言うことになるでしょう。

 しかし、点滴を施すことになると、これが1ヶ月以上のびることが多くあります。この点滴治療の中にも通常の点滴から、中心静脈栄養という特別な点滴まであります。点滴については、ご家族の思いよりは、治療者側の気持ちとしては施したくなります。と言うのも、点滴を行わないと決まると、私たちの治療やケアについては、見守るばかりになってしまうため、気持ちが落ち着かなくなります。もちろん、点滴がなくても、床ずれなどの発生を防いだり、体を切れに吹いたりと様々なケアがありますが、治療…という感じではないため、私たちはなんとなく落ち着かなくなります。何か施したいと気持ちになるのは、確かなことです。

 そして、仮に点滴を行っていたとしても、通常の点滴はいつまでもできるわけではありません。徐々に血管が脆弱になり、ルート確保自体がとても難しくなり、点滴を確保してもすぐ血管から漏れてしまったりして、刺し直しなんかになったりします。ここまで来ると、点滴すること自体も苦痛を与えていると言うこともあるため、ルート確保が難しくなったら、治療終了として、何もできないまま看取り体制となります。

 しかし、ここで新たに話題が出てくるものとしては、胃ろう造設のお話です。胃ろうは、食事がとれなくなったときに、胃に直接穴を開けてルートを確保し、そこから栄養を注入すると言うもので、点滴だけではせめて数ヶ月という延命が、場合によっては年単位での延命が可能となります。この議論の時点で,自然な形での看取りは、越えてしまっている感じもありますが、必ずしも、これを自然な形から除外しないこともあります。と言うのも、胃に栄養を注入することは、経腸栄養学会の意見では、極めて生理的な取り組み方という意見があるため、自然体と言えば自然体になります。これと対峙するのは、先ほど少し触れました中心静脈栄養になります。中心静脈栄養は、大静脈という太い静脈にカテーテルを入れて、そこに点滴を確保し、高カロリーの点滴を施すもので、点滴だけで、食事でとれるカロリー以上のカロリーを点滴することができます。さすがに高カロリーの点滴は、非生理的なカロリー提供のため、自然体ではありませんね。

 このように、自然体で…という看取りの取り組み方も、「敢えて何もしない」から「点滴のみ」、「胃ろうまで」と言ったところまで、様々なバリエーションがあり、実は看取りが決まっても、議論することがあります。

 

 高齢者の方の治療の中で、現在は、人工呼吸器や強心剤を用いた延命治療については、回復の見込みが期待できないのであれば、行うべきではないという意見がもっぱらんとなっている一方で、自然体については、実際は確固たる決まった流れが存在しないことが実際なので、自然体と決まっても、家族親族と、どうしたらいいのかと話し合うことがまだまだ存在するという事を知っていただくと幸いです。この最後の看取りについては、「お任せします」が通用しませんので、よろしくお願いします。みなで考え、みなで意見を一致させて看取りを図る事が一番自然と私は思います。