ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

そもそも御朱印って?

 本日も神社巡りをしてきましたが、お参りをして、社務所に行って御朱印をいただくという事をしているのが専らですが、さて、御朱印とは一体どういう意味があるのでしょう?

 御朱印のはじまりというのは、いろいろな諸説があるので、調べてみてもはっきりわからない部分があるのですが、もともとは、どうも、お寺や神社に参拝者がお経などを書いてそれを収めたときに、その領収証のような形で証明の記録を残したものというお話ではあるのですが、いつの間にか、参拝するだけでいただけるようになったのですが、あくまで参拝したことを証明するもので、神様に遣える方が丁寧に書いたものでもあるため、とても、大切なものとして、あがめられていたもので、それが現在に至っているようです。

 御朱印については、またある情報では、神仏習合の日本ならではの、風土から、お寺であっても神社であっても、同じように欠いてくれるようになったというお話もあります。神仏習合であるので、基本的には御朱印帳には、お寺でも神社でもまぜこぜになっても全く問題ないという事のようですが、神社、お寺、さらにはお寺の宗派によっては、分けてもらわないと断られたり、叱られてしまったりするようなこともあるようなので、分けておくと良いというアドバイスもあります。御朱印帳は、宗派に合わせて用意しておくと良いかもしれませんね。特に私のように、神社の情報をあまり詳しく把握することなく、歩きながらよっていくようなスタイルをしている場合には、御朱印の取り扱いをとても厳密にしていらっしゃるところもあるかもしれませんので。

 さて、御朱印のお話など親しく話をしている方がおられますが、その方と御朱印の見せ合いをしながらで話題になったことがあるのですが神仏習合の風習は、結果的には、唯一神として仏陀を崇拝する仏教であるお寺が多神教である神道の考えを妥協して受け入れることによって御朱印を共有することができるようになったということで、結果的には、お寺の中に神社を設けたり、さらには、御朱印巡りの流れで、お寺への訪問客が増えたりするポジティブな結果がもたらされているわけだから、いっそのことキリスト教イスラム教なども、日本においては妥協してもらって、神道の考えの神様の一人として位置づけてもらって、キリスト神様、マホメット神様みたいに妥協していただけると、御朱印が作れるのではないか?なんて言う話題になりました。こんな話題に、その方は「え〜〜っ!?ちょっとねぇ…」という反応ではありましたが、私のイメージの中では、万年筆でかっこよく書き上げた洋風のゴシック調の御朱印を想像していたりしました。

 みなさん、洋風の御朱印はいかがでしょうか?