本日は、精神疾患の中で、時々、見受けられる症状である、強迫について触れてみたいと思います。まず最初の注意ですが、「脅迫」ではなく「強迫」です。強いられ、迫られる症状を示します。一般用語かと言えば、そこまで一般的ではないかもしれないのですが、強迫観念といった言葉を耳にしたことはあるのではないでしょうか。
さて、そもそも強迫とはどのような症状なのでしょうか。簡単な言葉で置き換えると「こだわり」と言ったりすることもあります。一番よく知られているのは、鍵の強迫とは、お出かけするときに、鍵をかけたかどうか、何度となく確認をしてしまう症状を言います。一度鍵を閉めても、きちんとかかったかどうか気になってドアノブをガチャガチャするのは、人によっては経験あるかもしれません。しかし、これが、1回確認すればほぼ大丈夫と確信できるでしょうが、1回の確認をして安心しても、「でも、もしも…」なんて考え初めて、また確認、それで安心できるところまで行かず、またさらに確認…いつまでも玄関から離れられなくなるような状態に陥るのが強迫となります。
次に話題が多いのが、手洗いが止められないという強迫です。一度手を洗っても、綺麗になっているかどうか気になってしまい、手洗いを改めてやり直してしまったりします。そして、さらに、洗っても落ちきっていないのではないかと気になり、さらに洗い続け、日常的にウェットティッシュなどを持ち歩き、手を洗い続けてしまいます。
手洗いの強迫については、その行動が目撃されなくても水仕事をしている方のように手だけが乾燥して粉を吹いている場合があります。手を見るだけで分かってしまうのが手洗い強迫です。
このような強迫のことを行動強迫と言ったりします。
強迫は、実は背景に不安が存在していることが多く、不安を解消するために確認を行い、その確認の結果として安心を獲得することでホッとするのですが、そのホッとすることに対して新たに不安が被さり、その不安を解決するために同じように確認をしてしまうと言う事がくるくると回り続けることで行動が繰り返されるものです。
専門用語ではありませんが、このようにぐるぐる回る現象を私は、「強迫のリング」というようにしています。強迫の治療は、このリングを断ち切ることが治療という事になりますが、このリングの断ち切る場所が意外と難しいのです。強迫で苦しんでいる方々からすると、強迫のリングは、不安→確認→安心→不安…と言う流れの中で安心を獲得して終了としたいところではありますが、安心と不安の間の切れ目が実際はほとんどないため、安心するとすぐさま不安がやってくるため、実はリングの断ち切る場所は、実際は、不安→確認…の部位なのです。不安を抱えたまま、確認作業を敢えてせずに、とどめていくうちに不安が時間とともに軽減し問題なく経過することを体験することがリングの断ち切る根本的な取り組みとされています。
この治療は、とても荒行で、認知行動療法の一つの行動療法で暴露妨害法といわれています。とにかく、不安を抱えたまま放置をすると言うことを行う訳なので、とても苦しいものがあります。しかし確認をしてしまうと、強迫のリングは再びつながりぐるぐる回ってしまうことになります。
強迫は、とてもエネルギッシュな症状でもあるため、治療にもエネルギーが必要になります。
さて、行動強迫については、このように、確認をする手前でストップをかけることで、リングを断ち切るという具体的な方策が立てられますが、行動強迫と異なる、観念強迫については方策が見いだせず、さらに難しいものがあります。様々な観念強迫はありますが、遭遇した強迫観念に、自動車のナンバープレートを見るたびに、その数字を頭の中で足し続けてしまうなどと言った、観念強迫が繰り広げられ、自動車に乗車することが困難となる方が折られました。確認すると、ナンバープレートの数字を足して答えが出るとホッとするそうで、足し算を行わないようにストップをかけるときが狂いそうになり、止めようとしても勝手に計算をしてしまうと言う事でした。
本日のまとめになりますが、強迫という疾患は、不安→確認→安心→不安→確認→…とぐるぐると回り続ける強迫リングを形成する精神状態で、確認のための行動が果てしなく繰り返されてしまうことを言います。この症状はとても強いエネルギを持っているため、治療にはかなりの荒行である、暴露妨害法という行動療法を行います。
強迫は、見た目に比べとてもしんどいものであるため、強迫症状を持っている方を見たら、せかさず、墓地墓地だと言ってあげると良いと思います。治療に協力するのは難しいので、少しでもその場のリラックスを導いてあげると良いでしょう。