ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

魔法としての医術①

 魔法だというととても大がかりなお話になりますが、学生時代、学部に進学して、最初に患者さんと接する内科診断学を学び始めたときに診察技術については、魔法だと思うことが多々ありました。臨床実習を始めた頃の医療技術としては、既にMRIという最強の画像診断器具も導入されており、現在の画像診断技術が一通りそろっていると言っても良い状況でもありました。実習をしていた大学病院にはこれらの医療器具はそろっており、最終的には画像診断というのが専らとなってきた時期に当たります。

 このような最新の医療機器が存在する中、内科診断学では、人間の五感をフル活用して、人体の内部に発生している病態をつかみ取る技術を学ぶ実技実習と言って良いものでした。現在は、CTやMRIなど、比較的大がかりな検査器具であっても、一般的な病院で保有している割合が大変多くなり、医師がそこまで自分の五感を研ぎ澄まして、診断をしていく必要性はなくなってきてはいますが、当時としてはまだまだ必要性が高く言われており、画像診断を行うためにはそれまでに時間がかかるため、画像ができあがる前に、画像で明らかになるであろう病態を既に、医師の方で身を以て診断してしまうと言うのが当時の診断学の究極のテーマであったように思います。

 そういう意味では、巨大な機械が出す答えを事前に自分の力で導き出すという魔法を教えてもらえると行った感動的な医術を身に付けさせていただける機械として感じ、「最初は」とても感動し、実習に没頭したものでした。人間の五感をフル活用して、体を隅々まで見て、その上で、教授の前で患者の身体所見についてプレゼンテーションを行うという事を実習の中では行っていました。もう既に忘れてしまっていますが、とにかく、呪文のように英語混じりのプレゼンテーションとして、general statureはmoderateでnutritionはgoodです。eyesにおいては、…などなど延々と述べ、最後に、身体所見の特記すべき事項をあげて、これらを満たす身体疾患は、○○と考えられます。とプレゼンテーションを行い、その患者担当主治医が、次に調べた画像や検査所見と照合して、身体所見からの診断が適切かどうかの判定を行い、次に教授から講義をいただく形が実習のパターンでした。

 この内科診断学について学んだ教科書は、既に絶版となり、時代の流れとともに、診断学の方向性が変わってきたことを示唆しているように感じられました。

 さて、医術の中で、魔法だと感じた中には、多くの医師が首に引っかけていたりポケットに丸めてしまい込んであるツールである聴診器がその一つになります。この聴診器に今時代こだわり通すドクターはまずいませんが、当時は、研ぎ澄まされた聴診技術を持ったドクターがたくさんいました。

 例えば、聴診器を使って診察をすることで、超音波の心エコーを上回るのではないかと言うほどの聴診技術を身につけているドクターがいました。心臓の聴診には、私も学生時代はこだわって頑張って聞いていたのですが、専門とならず、現在では、だいぶ記憶が風化していますが、一拍一拍の心音をしっかり聞いた上で、I音およびII音(a、p)さらにはIII音そしてIV音の4種類(細かくは5種類)の音を聞き分け、さらには、この各音の間に聞こえる心雑音をLevine II/VI度などと描写して音の大きさを説明し、さらには、心雑音の連続性や強弱、減衰などを図に書いたりして表現をし、これらの聴診だけで、心臓弁膜症のどこの弁膜の問題か、あるいは心内膜炎や先天性の心奇形など現在では超音波心エコーで示すようなことを耳だけで診断していました。なかなか聞き分けは難しかったのですが、少しでも分かったときには、自分で魔法を身に付けたような感覚になることができるようになりました。

 こんな感じの診断技術ではありますが、気楽に検査ができるようになってしまった現在は、省かれ気味ではありますが、精神科病院の当直の時などは、検査技師などが不在な夜では、自分の五感だけが患者の体調不良に対する診断の道具となるため、学生時代の感覚を総動員させながら、真夜中のコールの時には対応をしているのが現在になります。

 懐かしい医術の魅力と思いつつ、この医術が、歴史上の偉人達が積み重ねて気づきあげた系統的技術の完成形であり、現在においても、土台として大切に温め続けられていることが、医師の一人としてつくづくと身にしみて感じる瞬間でもあります。この医術が、検査器具がなくても、無力とならず、患者の病気に立ち向かえる力を与えてくれる。そう感じて、やりがいの一つの土台となっているのが現在の私でしょうか…。

 明日は、さらに、掘り下げて、医術①をさらに発展された医術②について語ってみたいと思います。