ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

BPSD vs サポーター

 本来は対立構図にすべきではないところではありますが、現実問題としてはこのようになってしまい安いため、あえてタイトルは対立構図としてみました。BPSDについては、おおざっぱではありますが、昨日の記載を参考にしていただければと思います。

 さて、BPSDが本人の認知機能障害を感じることによるいらだちや焦りなどから来る本人の心の叫びのようなものであることは、触れさせていただきましたが、その心の叫びに対して、周りの家族(いわゆるサポーター)が寄り添うことにより、BPSDはいい方向に向かうことは、筋道からすると明白であることは確かなのですが、さて、この筋道通りできるでしょうか?これには、神のような心を持ったサポーターがコンピュータのように波長をそろえて対応することによって実現するものとなりますが、さすがに無理ですよね?

 例えば、毎日毎日同じ事を何回も聞いてくる本人に対して「いい加減にして!」って思ってしまうのは、自然ではないでしょうか?私たち、外来担当医は、「本人にとっては初めてのことなんだから、”何度言わせるの”などと言った言葉は意味をなさない」ということは、くどくお話をするものですが、サポーターの方々は、理解できないのか?…と言えば、もちろんそんなことはなく、分かっているのは間違いないことなのです。ところが、毎日毎日忙しい中、同じ事を繰り返してくるとやはり「いい加減にして!」ってなってしまうのは、当たり前ですよね。しかし、一方で、担当医からは、「本人は初めての気持ちだから」と諭され、我慢に我慢を重ね、最後に爆発して「何度言わせるの!!」と本人を叱ってしまう…そして、もめて、あとでサポーターは、「やってしまった」と懺悔する…などと言うことが繰り広げられてしまうでしょう。

 認知機能障害により、女性の方でしたら、料理をして用意をしてあげようと善意を持って対応したのに、分からなくなってぐしゃぐしゃにし、それをあとでサポーターがお片付けをする。ぐしゃぐしゃになったのを見たサポーターは、思わず「なんでこんなことするの!?」なんで怒ってしまいがちですが、当の本人は、このサポーターが忙しいだろうと思って、先に料理などを手配しておいて、準備しておけば楽になるだろう…等と真心をこめていたりした場合…言われてショックを受けるばかり、怒りを感じたり、無能感を感じたり、とても大変です。しかし、サポーターもいくら理解をしていたとしても、ご本人が気づくほど多忙を極めている中、認知機能障害により間違った結果として台所をぐしゃぐしゃにされてしまっては、たまったものではありません。「いい加減にして!」がどれほどこらえてもでてしまうことでしょう。

 いずれにしても、ここでサポーターと対立しているのは、あくまでご本人との対立ではなく、認知機能障害という「障害がもたらしたトラブル」に対する対立なのです。憎むべきは本人ではなく、この障害、言うまでもなく、この病気そのものに対してです。さらに言えば、その障害によって生じた本人の心理的な問題であるBPSDも憎むべきものではないのです。

 ここまで、サポーターに求められる心構えのような、「諭し」の説明をしてきましたが、諭されても…納得はできないことでしょう。そうです。この向き合いは、一時的なものではないからです。外来診察のたびにサポーターであるご家族には、このような諭しのような説明をしておりますが、その瞬間、本人へのいらだちが解消し、いい顔をして診察を終えられることはいつものことですが、次の外来までは持たず、やはりカリカリした表情で来院されます。一時的な気持ちの整理では、片付かないのが、サポーターの心情です。

 この障害との向き合いについてはご家族への説明は、実際のところ1〜2回程度で必要十分な量になります。その上で、さらなる対策を講じなければ、サポーターは壊れてしまいます。

 この対策が次にお話しする、「息抜き」というものです。この「息抜き」を潔しとしない考えが、いわゆる昔からの考え方の中には、多く登場するため、実際は、この古き考え方との葛藤にはなります。

 息抜きというのは、その言葉のとおりで、当事者であるご本人の元から距離を開けて、ホッと深呼吸をするような時間を設けるという事です。この時間を常日頃から作っておくことで、感情的な怒りがクールダウンし、本人に対する冷静な見立てもできることとなります。そのため、一定時間後本人を「放置」して、例えば喫茶店などでコーヒーを飲んだりして気分転換する、散歩に出かける、お友達とおしゃべりをする等など気分転換を図ることです。そして、この気分転換は、絶対条件として確保すべき事になります。

 ここで古い考えとの対立は、古い考えでは、認知症の方に対するサポートは、「身内内で片付ける」事を原則してることです。そのため、息抜きの時間を作り出すために、例えば、デイサービスなどの利用に導いたりすることを「見捨てた」などと批判されたり、また、サポーターの休息を主な目的としたショートステイに対して「無責任だ」などと言った批判が親族内から発生することがあります。

 この親族内からの古い考えに基づいた批判に苦しんでいるサポーターの方の姿もよく見かけます。確かに介護保健制度が確立されてから、だいぶ日時が経過しているため、介護保健制度が受容されつつありますが、しかしながら、やはり介護施設などの利用については、「姥捨山」的イメージがまだまだ払拭されません。

 しかし、サポーターには息抜きは絶対に必要なもので、こころのゆとりがなければ、特にご本人のBPSDに対して冷静な向き合いはできません。

 この古い考えを払拭するための手法については、色々と模索をしているところではありますが、古い考えを持っている方に外来にお越しいただくことも一つの考えとして持っているものの、通常は、この古い考えを露骨に主張するご親族は、概して遠い縁の方が多いようです。そのため、外来同伴は実現しないのが現実です。そのため、次のステップにケアマネージャーさんにその親族に向けて電話などで連絡を取ってもらうことがあります。これはケアマネージャーさんの力量に依存しますが、第三者が介入すると比較的効果的であることもありますが、ケアマネージャーさんを業者のまがい物のような扱いをしてしまわれるご親族もおられます。なかなか一筋縄ではいかないのですが、最後の手段として、古い考えをおもちのご親族に、このサポーターの一人として協力を依頼し、できないのであれば、その力を介護に頼るという形をとっているんだという事を説明数量にしては…と提案しています。もちろん、なかなかうまくいきませんが…古い考えの主張をしている方も、ご本人の障害を受けた姿を目にすると、この主張は一気に消退するのはよく見かける話です。ご本人には、申し訳ないところはありますが、問題は、本人ではなく、認知機能障害でもあるので、実際に古い考えのご親戚には、目で見てもらうことが必須でしょう。間違っても電話でお話レベルでは難しいと思います。ご本人は上手な取り繕い技術をおもちだったりしますので、電話では分からないでしょうから。

 

 本日の結論ですが、認知症の行動障害、BPSD等に対しては、サポーターは、しっかりした確実に充足できるだけの息抜きを日々とりながら向き合う事がとても重要であり、長期にわたるサポートの可能背につながると考えられます。