ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

イライラに対しては配慮するこころが役に立つ

 「せっかく、これをしてあげたのに、思ったような答えが返ってこなかったからイライラした…。」

 こんな経験はみなさんおもちではありませんか?気を遣って、人にやってあげたことや、自分としては、いいだろうと思ってやったことに対して、想定と違う反応や答えが返ってきたときに、がっかりしたり、あっけにとられたりして、結果としてイライラしてしまうこと…。どうでしょうか?

 こんな時にお薦めな考え方として、配慮するこころです。

 配慮するこころ…とても崇高で、次元の高いお話のように感じるかもしれませんが、さほど深いことを言っているわけではありません。それに、綺麗なことを言っているわけでもありません。とにかく配慮してみることなのです。

 

1. 配慮と気遣いの違い

 配慮することは、相手に対して気を遣うことかと考えてしまいがちなのですが、実は全く違います。最初のところに挙げた例などは、気遣いをしてしてあげたのに、意外な答えが返ってきたという事ですから、気遣いをしたという事ではあります。しかし、ここに配慮というのは含まれていません。配慮と気遣いは、両方行うことでとても理想的な行動となります。それぞれを分割することで、気遣いと配慮似違いがあることが分かってきます。

 配慮とは、考慮を分配することです。考え方を分けることです。決して思いやるとか真心とか、そのような美化した意味合いを含みません。

 一方、気遣いは、相手の人にこれをしてあげたら喜ぶだろうなぁ、心地よいだろうなぁ…などと言った行動を選ぶことですが(悪意をもった気遣いも反対の解釈できますが)、この気遣いは、あくまで主観的な意味合いが強く、自分が相手の立場ならば、○○だろうと思いながら行う行動のことを意味します。

 そのため、相手の想定外の振る舞いに対して、配慮ならば、意外性を感じた場合、相手の考慮に対して分配した考慮が不足している場合で、十分考慮していれば、想定通りとなるはずです。そのため、相手がどのような応答をしてもがっかりしたり、びっくりしたりするようなイライラにつながるような感情は湧き起こりません。

 ところが、相手がこう反応して欲しいと気を遣って振る舞ったときに、意外な応答をされたときは、「わざわざ」したのに違った応答をしていることにがっかりやショックを受け、なぜ?なんていう思いからイライラにつながる可能性があります。

 

2. 配慮によりイライラのきっかけを除去する

 相手の人の心を主観なく客観的に考慮を配ることを徹することにより、ある程度相手の応答は想定可能になってくると考えられます。例えば、自分ならば、なんとも思わないが、相手ならば、不快に感じるかもしれないと考慮される事柄については、必然的にそのような姿勢をしなければならないとき、相手が不快な態度をされても「想定内」となります。だから、自分の考えている応答とは違っても、「やっぱりそうだよね」と合点しやすく、意外性がなくなるため、イライラ事態が発生しないこととなります。

 配慮が不足しているまま気遣いをすれば、気を遣うことで期待される応答がしてもらえる場合にはいいけど、違った場合には、わざわざ能動的に考えて行ったのに…なぜ?と言う意外性が生まれ、がっかりやイライラと言ったマイナスの気持ちのトリガーとなります。

 お互いが気持ちの良いお付き合いをするためには、なかなか現実は難しいものの、相手の思考について考慮をすると言う配慮を行った上で、その配慮からえられた考察に合う気持ちで相手に対応をすると気持ちの良いお付き合いの仕方になると考えられます。

 

 結論からしますと、対人関係でイライラしたりするようなときは、客観的に相手を考察する配慮することが不足している可能性があります。そのため、相手の考え方の傾向や癖等を考慮した上で自分の振るまいが投げかけられたら、どうだろうかと配慮してあれば、想定外の応答は少なくなるでしょうから、対人関係のイライラは生じないこととなります。

 そこに、さらに気遣いを付け加えると良好な人間関係が構築できることとなります。とにかく、相手の思考パターンを考慮した上で、相手の良好な応答を導けるように気を遣うわけですからね。

 決して間違っても、配慮をしつつ、悪意を持った気遣いをしないようにしましょう。これをすると、こちらは想定通りなのでイライラもしないのに、相手にはイライラさせることができてしまいますので…。