ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。

コロナ渦における、人への心理的影響について ---1---

 イスラエルでは、ファイザー製のワクチンをいち早く接種開始し、摂取率が世界一となっています。その結果として、そろそろ報告として上がりつつあることに、集団免疫が獲得されたことにより、コロナ感染症そのものにかかりにくくなってきているというものです。あくまでワクチンは予防のためではなく症状悪化を防ぐ意味でのことであったのに、イスラエルでは、感染リスク自体も押さえ込めるのではないかという報告が出つつあります。

 この明るいお話については、まだ実証されている報告ではないようなので、慎重に静観する必要があります。

 

 とは言え、日本では、まだまだ、いつコロナに罹患するかもしれないという、恐怖と隣り合わせの状態が続いています。この状態が既に1年を過ぎ、様々な心理的影響が出てきていることは様々な形で報告をされています。それぞれの方の生活状況、年代によっていろいろなようですが、感染すると重篤化する、高齢者から順番に、心理的影響について、実際の日頃の診療で見かける状況をふまえつつ、考えてみたいと思います。

 

1.リタイア後の高齢者の方々への心理的影響

ーーー明らかな、活動低下に伴う,バイタリティの減退ーーー

 コロナ感染症の高齢者が重篤になるという情報を受けて、強く日常生活に不安を感じるという共通した心境は、もちろんですが、それ以上に活動を自粛することによって生じるバイタリティの低下があります。さらに、活動の低下は自粛だけにと止まりません。いわゆる介護保健サービスを活用したサービスも停止してしまいます。

 高齢者にとってみると、活動の制限は、老化現象の促進につながってしまうことが否めない面があります。外出を制限すれば当然ながら脚力の低下につながります。脚力だけであれば室内運動をすることでカバーされるものではありますが、外出は、脚力だけにとどまらず、様々な頭脳的な刺激にもつながるため、外出の制限が加わると、頭脳的な老化も進んでしまうこととなります。コロナ感染症のことが情報として不明確であった当初、エアロゾル感染症など不慣れな言葉が広がり、外の空気にはコロナウィルスが浮遊しているから、いつかかるか分からないなんていう風に思われ、自宅ごもりが過剰になっていた時期もありました(仮にウィルスが浮遊していたとしても、1つや2つ程度の浮遊は、全く無視していいほどのものです。少なくとも、私も感染状態にはなったことはないと思いますが、個数単位で言えば暴露されているはずです)。

 結果的には、自宅で、何もせずにテレビを見て過ごすような日々が続くような事態となったのではないでしょうか。長期化すればするほど、柔軟性が低下し、周囲への興味関心の喪失、活動性の低下などの脳で言う前頭葉機能といわれる機能が低下し、それが波及するとともに、記憶力の低下、今までできていた技術の喪失、体力の低下とともに感染症になりやすい体調に変化してしまうと考えられます。いわゆる認知症へ近づいてしまうことになります。

 みなさんのご両親で、久しぶりにテレビ電話(普通に電話でもあり得ますが)でお話ししてみたら、随分老けてしまったような気がする…なんて見えたり、しゃべり方が歳をとったような間隔になったときは、とても要注意です。感染症対策は十分注意をする必要はありますが、認知症になられては大変困りますので、何らかの手段を講じて、外出を促してください。食事ではなく、お散歩、元気であればハイキングなどをお誘い頂き、アウトドアへ導いてください。アドバイスとしては、日常のお散歩などの外出に人混みにさえ行かなければ、何らリスクはないことをお伝えしたいただければ良いと思います。

 

2.一般社会人のコロナに対する心理的影響

ーーー感染者の罪悪感と未感染者の恐怖の渦ーーー

 首都圏の社会人はコロナ感染症によりテレワークという今までに経験のない業務体制をいきなり求められることとなり、混乱を生じつつも、通勤の負荷などがトレ、当初の頃は、おそらく、むしろテンションが上がるほどの気分の高揚した感じの方もおられたのではないでしょうか。コロナウィルスの直接の脅威や影響というよりは、間接的な影響に対する環境変化にちょっとした興奮を覚えた心理変化です。柔軟性の高い方には、多くありがちな心理ですが、人類が様々な危機から脱するために奮闘してきた原動力にもなり、良い心理効果と考えられます。

 しかし、感染症に対する恐怖は別次元で襲ってきます。残念ながら感染してしまった方々は、まるで犯罪者担ったかのような心境に追い込まれます。感染した瞬間に親しく接していた友人や仲間、家族がすべてこぞって濃厚接触者としてPCR検査を受けさせられたり、自宅待機を命じられたりする事への罪悪感はとても強いものであります。これは、自宅待機をさほど気にしていない仲間が多かったとしても関係ありません。少なからず、周りの生活スタイルに意図せぬ影響を与えたことに対する罪悪感です。この罪悪感は、復帰後も長期にわたり続きます。仕事復帰すれば、通常の中まであれば、ねぎらいの言葉を投げかけることでしょう。その言葉に安心をするのは確かですが、それでもやはり温かい心遣いの裏に困ったことはあえて触れていないのではないかと言った裏の心理を探るような考察が働いてしまったりします。そのため、以前に比べ、周囲の言動に極めてデリケートになることが多々あります。例えば、コロナに感染した方が複数人いた職場などでは、自分は復帰したが、他の方がまだ復帰していないときに、上司がなかなか復帰できない方々に対して、「いろいろと大変な状況でもあるだろうから、あまり、頻繁に連絡を取ったりせずに、適当に転がしておくと良い」と言ったアドバイスを聞いたりした場合、「やはり、気を遣わされている。だから、気を抜いて適当に転がせってアドバイスされているんだ」などと決して自分に向けた「小さな失言」であっても直球で投げつけられたようなショックを受けることとなるのです。とは言え、腫れ物を触れるような対応をするのはやはり、そのような心境を察知されてしまうでしょう。敏感となっていれば当然、その点の感覚は研ぎ澄まされてしまいます。対策は、難しいのですが、やはり日頃から、ストレスフリーなコミュニケーションをとり続け、そのコミュニケーションをコロナに感染しても変わらず続け、そのまま、復帰後も変わらず続けることが重要でしょう。また、仮に生活が制限されたとして困ったことがあった場合、伏せてごまかすよりは、むしろ、感染した本人が問題ではないのを前提として、コロナがどちらにしても影響が大きい事を共有するような話題に導けると良いと思います。結果的には、実情は、文章に書くほど簡単なお話ではないとは思いますが…。

 さて、未感染側の心理はどうでしょう。既に、分かってくる部分があるかと思いますが、感染者とのお付き合いに過敏にならざるを得ません。平静を装うように努めつつも、過敏になっているためうまくいかない。このような気遣いの連続のため、心理的にはとても疲れやすくなります。もちろん、まれとは思いますが、まるで汚染されたものみたいな扱いをしてしまう人もいるかもしれません。露骨な思考はともかくとして、やはり、感染を避けたいと思う方は、どうしても一歩引いてしまうかもしれません。再感染のリスクなどの話題があったりすると、復帰を歓迎しながらも恐怖におののくことにもなるのではないでしょうか。感染者は罪悪感、未感染者は恐怖という構図で日々過ごすというストレスフルな状態がしかも、終わりなく続いているのが、さらなる不安をかぶせるという、悪循環が今続いているものと考えられます。

 このような先の見えない悪循環に対して、打開策を…ということで、専門家の一部には、新型コロナ感染症に対して、現在の感染症法における第2類分類から第5類分類に変えて、ありふれたインフルエンザ感染症と同じような扱いにして欲しいと要望を出すという動きも見え隠れしています。インフルエンザも怖い感染症ですが、ありふれているため、罹患経験者多ければ、感染した経験を受けて、周りに感染させてしまったとしても、長続きする罪悪感や恐怖感にはつながらないでしょう。現実分類の変更は、多くの議論を要するところではありますが…。