ごまウシの頭の体操

認知症、緩和ケアなどが私の仕事の専らですが、これらに限らず、私が得た知見を広く情報発信したいと思います。インスタグラムも始めてみました。https://www.instagram.com/goma.ushi/

ハイブリッド講演会

 先日とても久しぶりに、ホテルを会場とした講演会でミニレクチャーをしてきました。昨年1年、まともに出張らしいものもなく、ホテルに行くこともほとんどなかったため、とても懐かしい雰囲気の場所に行ってきました。懐かしさすら感じるところです。

 今回の講演は、婦人科の専門の先生方へ今専門にしている総合病院で活動している緩和ケアについての内容についてのお話と、その時に使用する漢方薬についてお話を指摘益しました。一部企業案件が入っていましたが、久しぶりのお話の機会であったことと、私の詳しくない専門分野の方々へのお話で合ったこともあり、とても緊張をしました。普段の講演のように砕けたジョークなども話すこともできず、極めて真面目なお話となりました。時間的にはぴったりでしたら、できはどうだったか…

 今回の応援会は、コロナ禍におけるトレンドになりつつある、ハイブリッド開催というものでした。企業案件でもあったため、専門の会社が中継と会場設営を行っていました。会場にはおよそ10人程度の方が参加されていましたが、カメラの向こうには、60人ほどの参加されていたという事でした。Zoom会議のように、私たちの方に画像が見えるわけでもないため、どんな方がどのような様子で見られているのかは全く分かりません。そして、質問などは、チャット形式で活字で届くこととなっていたため、結果的にはほとんど届けられませんでした。スタッフの方のお話では、タイピングで質問を募集するとほぼ質問は皆無だそうです。

 以前には、Web講演会に参加したことはありますが、さすがにその時は、カメラの前でしゃべるだけでしたけど、今回はハイブリッドでしたので、聞いてくれる方が目の前にいてくれたことが、とても救いでした。カメラの前だけでは実感もわかず、むなしくなってくるものなのですが、少なくとも、目の前に聞いてくれる方がいらっしゃるだけでも、臨場感を感じることができました。会場の広さとしては、おそらく、以前なら100人以上参加できるだろうと思われるか以上でしたが…緊張はしますが、ぎっしりと人が集まってお話を聞いていただける状況がいいですね。早く、コロナ禍の状況が終了しますように…

 

 今回を契機に、講演会などがあれば、活動報告みたいなものですが、報告してまいります。

 

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ホテル玄関

 

 

 

新年度で気をつけないといけないこと

 新年度に入りましたね。…気づいたのは、4月に入って数日後、そういえば、初々しいスーツ姿をたくさん見るな…と思っていたら、そうですね、新年度。

 昨年度もそうですが、私は入職式のあと、新入職員に対して、メンタルヘルスの相談コーナーを設置していますという事をおよそ1時間ほどかけてお話をさせていただいています。もちろん相談コーナーがありますよ…と言うことだけで1時間も必要ありません。新人さんが陥りやすいところを含めて、お話をさせていただいています。この点については、ここでも触れさせていただこうと思います。

 

1.気合の入れすぎ

 新年度は、「新年」とよく似ているところもありますが、新年と違うのは、気持ちが一新したところから休みなくスタートを切ることです。わかりにくいかもしれませんが、振り返ってみてください。新年は、初詣などで、新年の抱負などを考えたりしますよね。もちろん何も考えないという事もあるかもしれませんが、考えたとして…を想定してください。新しい気持ちで、頑張ろうと気持ちが高まるのですが、正月3日…お休みモードが続きます。その間に少しクールダウンしていくわけです。そうすると、冷静なスタートを切ることができるわけです。年末年始を仕事をしている方は、新年の区切りは実感できなくて流れてしまいますよね…。私は、この経験もありますが、新年のなんとも新年らしい琴の音楽などを耳にして信念を感じますので、区切りがついたような感覚にはなります。余談ではありますが、年末に当直に入り、年越しを職場で迎え、新年に帰宅すると、なんとなく浦島太郎状態になってしまいますが…。

 新年度は、気持ちを引き締めたまま、そのまま、実働に向かうため、クールダウンするヒマがありません。そうすると、全力疾走でゴールデンウィークまで突入するわけです。疲れも気づけません。そして、ゴールデンウィーク明けに…ふっと力が抜けてしまい、疲労感でいっぱいになる(もちろんその前兆に、ゴールでウィークをゴロゴロ寝て過ごしてしまいリズムが崩れるなんて言うのがありますが)。

 5月病なんて言いますよね。あるいは燃え尽き症候群。社会人1年目、あるいは、新しいお仕事を始めるに当たって、とても緊張し、引き締まっている気分状態で臨んでいる場合。

 くれぐれも、連勤がいきなり続くわけではありませんよね。週休二日は基本的に担保されているはずですので、ゴールデンウィークを迎えるまでに何回か骨休みがあるはずです。このお休みをしっかり休めて、お仕事というのは持久戦であり、瞬間年少ではないことを言い聞かせてあげてください。ぼちぼちが大切です。ぼちぼちを保ちながら、徐々に仕事に慣れてきたところで、自分らしい力量を発揮していくのが一番です。「能ある鷹は爪を隠す」の通り、いきなりからの全力疾走は、必ず息切れしちゃいますので、気をつけてくださいね。

 

2.過信から来る挫折感、敗北感

 私たち医療職については、多くの人が国家試験を受けて、合格をもらって入職してこられますので、合格という札を持った自信あふれた状態で入職される新人さんも多くおられます。国家資格を取れた直後です。とてもうれしい気持ちも分かります。これからの人生を保障するような資格ですから、大切に、そして、自信を持って仕事に励んでもらいたい者です。だから、この自信にあふれた気持ちは大切だと思います。

 しかしながら、多くの方は、社会人としては新人さんです。そして現場経験はもちろん新人さんです。国家資格を保有した瞬間ベテランと勘違いをしてしまう感覚になることがあります。職場には同じ国家資格を保有した、現場経験をふんだ実務のプロと社会人のプロに囲まれています。国家資格を取ったからと言っても新人さんであることを忘れてはなりません。

 実際、国家試験の知識と、現場の知識とは異なる場合も多く、ついて行けないことも多々あります。また社会人としての、その職場としてのルールなどもあります。そのため、国家資格を取ったという琴で自信にあふれて、何でもできると思い込んでしまうととんでもないしっぺ返しを食らうことがあります。

 自己判断で、先輩の、あるいは上司の見ていないところで勝手に仕事をしてしまって、トラブルに見舞われたり、上司の言っている言葉を無視して、自分が正しいと主って仕事をしてしまって、ミスをしてしまったり…。そして、上司から厳しく叱られる。

 メンタルヘルスの相談に、時々、新人さんからパワーハラスメント受けたと言ったような相談をいただくことがあります。お話を聞くと言動的にはパワーハラスメント…のように聞こえるものの、当の本人は自尊心を著しく傷つけられたような訴えをされています。上司の発言の形に問題があったとしても、自己の過信に伴ったトラブルであることは確かなので、大変申し訳ないことに、助けてあげるばかりでなく、結果的には説教をしてしまうこともあったりします。国家資格はあくまで通り道に過ぎません。資格保有者は最初からベテラン…と言うわけではありませんよね。

 就職活動でとても苦労をしてきた、新人さんたちも同じように、苦労して勝ち取った就職なので、選ばれた人間としての自信に満ちあふれているかもしれません。このあたりを過信という形に繋げないように、とにかく謙虚にいきましょう。

 とにかく、1年生です。「わからない」が平気で言えるときです。「できません」も自信満々で言えるときです。遠慮なく「おばか」になってしまいましょう。かわいい新人さんたちに、先輩達は、無慈悲な支援をしてくれます。

 

 以上のように、新年度は、気合と自信の錯綜した瞬間でもあり、それが暴走を招くこともあります。くれぐれも、自重し、能ある鷹は爪を隠す…で進めていきましょう。

 

※また、正反対に新年度は迎えたけど、自信がなくて不安でいっぱいという180度反対を向いている人もいますよね。その方々は、1年目なら許される「おばか」になることが大切です。ゼロからスタートと考えれば自信はいりませんし、不安に感じる事柄もありません。

 

 

 

暖房器具片付け終わった時のちょっと肌寒いときに…

 本当は冬の品物なのですが、これは、私が、昨年購入したセラミックファンヒーターでとてもヒットした商品でした。手のひらよりもちょっと大きい程度の大きさのこのファンヒーター、机の下にも置けて、場所をとらないアイテムです。

 小さい割に暖房機能はまあまあで、コンセントをつないで背後のスイッチを入れて、天井のスイッチをOnするとすぐに温かい風が吹いてきます。ヒーターの温度は、2段階だけど、もう一つ送風機能もついています。これも、室内が暖房などで逆に暑いときに送風機能があると足元涼しくてよしです。首回りもついています。

 私の冬のお供としてはととても役に立ちました。そろそろ暖房は依頼ないという事で片付けに入る前に、せっかくお世話になったアイテムなので、まだ、時に朝寒いときなんかに足元でお役に立つかもしれないという事で…お勧めさせていただきます。

 

 

 

  最大950Wと、案外出力があるため、温かいですが、安心しようで、すいっちをOFFとしてもしばらく送風してきちんと冷ましてから電源は落ちます。
 使用感抜群ですので、間違いないと思いますがいかがでしょう?私は来年の冬にも役立つものと思っております。

サバ読みのお薦め

 私事ではありますが、このブログを書いているときに、一つ年を追加することとなりました。加齢1年追加…なんて言い出すととても寂しいものがあります。年を重ねることを、年輪を重ねるという表現で表して、人生の熟練度の高まりを指し示すようなことを言えば、少し前向きになれるかと思いますが…。

 

 さて、今回は、サバ読みのお薦めについてお話をしたいと思います。これも認知症に関連した講演会でお話しすることの多い話題ではありますが、実年齢はともかくとして、やはり、年はさばを読むべきであるという事を積極的に言わせていただこうと考えております。

 実年齢と相応の振る舞いをする事は決して悪いわけではないのですが、せっかくならば、いつまでも若々しくいたいものです。若々しく振る舞うことは、そのまま行動の促進から、新しいものへの着手など積極的な脳トレになると言えます。よく言われることですが、気持ちが若ければ体も若くなると言うのはこういったことからでしょう。

 ところで、サバ読みは、どれくらいが妥当なのでしょうか…?これに関しては、もちろん、データのようなものがあるわけではありませんので、自論展開という事になります。

 まずは、日頃特別活動が高くない方のサバ読み設定としては、最低限のサバ読みとして実年齢×0.9はいかがでしょうか(実年齢から10の位の数字を引いたくらいの年齢)?60歳ならば54歳、50歳ならば45歳…逆に年齢を重ねると、80歳ならば、72歳、90歳ならば81歳といった感じです。高齢であるほど大変にはなってきますが、全く不可能な気持ちの持ちようではないと思います。そして、取り組みのはじまりが早ければ早いほど現実的には可能かと思われます。高齢化社会とは言え、最後は「ピンシャンコロリ」がよいと言う事は異論の余地はないと思います。1割減のサバ読みだけでも、現実的には、この目標は近くなるかと思います。

 次に、日頃から健康に意識をしていて、既に実年齢よりも若々しく活動している方に対しては、2割減、すなわち、実年齢×0.8を目標としていただくのも良いと思います。ただ、注意が必要なのは、無理をすると逆に体を壊してしまうこととなります。そのため、最初に述べた、実年齢1割減が達成していることが前提条件となります。このサバ読みがうまくいくと、相当に気持ちは若々しく感じられるでしょうし、周囲もそう感じることでしょう。実際に具体的に実年齢で計算してみます。実年齢80歳の方が、64歳の振る舞いをするという事となります。相当難しいというのはもちろんおわかりかと思いますが、不可能かと言われれば、そこまで不可能な話でもないように感じられませんか?90歳の方の72歳の振る舞い。

 気づいた方もおられるかと思いますが、あまりに激しくサバ読みしすぎると、けがをしてしまいますよね。それとできなかったときにとてもがっかりすることが実際あるかもしれません。思ったように動けない(実際は思った通り…なのですが)と言った挫折感を感じてもらってはいけないため、実年齢より2割減は、相当に厳しい目標と言えましょう。

 

 結論としては、やはり、健康で元気な人生を送るためには、実年齢よりも1割ほど若く振る舞うようにしておくことが現実的に望ましいことであると言えます。

 年を一つ増やした私としても1割減の日々を頑張ってみたいと思います。

 

 

 

自動車運転をやめるタイミングについて

 日頃の診療の中で、今最も悩ませる事柄に自動車免許の返上のタイミングというものがあります。道路交通法の変更があってから3年ほどでしょうか、今までほぼ他人事で済ませられた、認知症の方の自動車の運転についての禁止の診断。(もちろん、問題となっていたのは以前からずっとありましたが、免許の可否を判断を医療側に投げられたのは最近です。)私が仕事をしている、病院の近隣は、自動車がなければ、生活がとてもしにくい地域です(いわゆる軽トラックニーズの高い地域…失礼な話かもしれませんが)。そして、一家の大黒柱として、日頃の運転テクニックを上達させてきた、人生の先輩方が、老化現象とともに、注意機能反射機能の低下させ、最後に認知機能の低下のため、私たちの元へ。そして公安委員会からの恐怖の黄色い紙が…「どうしましょう?」と泣きそうな表情で、懇願される。

 こんな表情を浮かべた当の本人、配偶者の方が、この方の運転で生活を保っている現状、子供達は独立し、遠方で生活…さて、「運転をしてはならない」と安易に言えるだろうか…。言わなければならないのに、とても辛い…でも、事故で人の命が奪われたりするようなこともあってもいけない…。とても複雑な気持ちにさせられ、時と場合によっては、この診断により、今までの担当医としての関わりが一気に冷え切ってしまうこともあったり…。

 黄色い紙をもらっている方でも、運転…上手なままだったりする方も多いんですよね。車庫入れで若干傾いたり、スピードがやたらと遅くなったり(速い場合は、やめろって言いやすい)…物損が増えていれば、ためらいはないのだけど、さすが経年の技術、そうも減退していない。当の本人、「おれから免許を奪ったら何も残らない。まだまだ現役で大丈夫という自信がある」なんて言われてしまうと、なかなか、手厳しい。

 認知症診療で、運転免許の可否についての話題は、とても多い話ですが、案外、若い年代で認知症と診断される方の方が運転免許の不可を宣告するのはやりやすかったりします。理由は、配偶者の方が現役のドライバーであったり、子供達がまだ接点が近かったり。そして、まだまだご本人の運転免許を奪ってしまっても、家庭的な適応性が高いことなど。あと、若い方の認知症の方が症状が明瞭なので、理路整然と運転がダメであることの説明を行いやすい。と言った理由からです。もちろん、ご本人のこの宣告を受ける事へのこころのダメージの大きさは、大きいのは確かなのでそのことへの配慮は必須ですが。70代、意外と80代の方の運転免許を止めることが難しくなります。運転免許が死活問題となり康子とが大きいです。

 

 そこで、この日頃の診療の中で思うことを、早め早めに、検討していただくように、診断を下す前から、自動車の免許の返上、あるいは、自動車運転のやめ時について問題提起をするようにしています。それは、もし、自分が運転をやめる場合、どのようなタイミングが良いかということを考えながら、提起しています。早めに議論をしておくと良いと思います。

 

 自動車の運転のやめ時

 自分と同じ年代の自動車の運転に自信を持っている友人から例えばゴルフに誘われ、

「おれの車は荷物が載るから、安心して乗ってくれ。」と言われ、助手席を薦められたとき。

 この状況で、とてもためらいを感じるようになったら、あるいは、ご友人の自信とは裏腹に身の危険を感じたりした場合には、車の運転はやめ時である。

 

 常識に基づいた話題展開ではありますが、自分の事というのは、どうしても棚に上げたくなるものですよね。そして、自尊心がより一層冷静さを失わさせてしまいます。例えば、86歳のおじいさんが、運転に自信があると言い続けていて、家族の言う事も聞かないとなっていても、同年代の○○さんが載せていってあげるからって軽トラの助手席に案内されたとき、安心して乗れるか?と聞くと…多くの場合「いや…それなら自分で…」と言われることが専らです。これは、まさに自分の年で運転をしていることは危険なことであることを認識している立派な証拠になります。そのため、「周りは、あなたの運転をそのように感じているんですよ」と説明し、「自動車運転の卒業」を提案します。「○○はそうでも、おれは大丈夫」と最後の悪あがきをされて、それ以上は反論できなくなる…これがだいたいの通常の流れです。多くの場合、その後数ヶ月以内に無事に返上に導くことができます。

 認知機能が保たれている方であればあるほどうまくいきますが、車の運転が微妙にできそうに見える方がだいたい該当します。(加齢に伴った認知機能低下した方も含みます。)

 

 身内に70代を越え始めた運転ドライバーがおられる場合にやめ時についての問題提起を早めにしておくと良いという事があります。免許の更新も無事に終え、自信満々の状態ですので、これから先についての問題提起は、冷静に耳を傾けてくれることが多いです。何しろ、今の話題ではありませんからね。案外、このタイミングでこの問題提起をしていると当のご本人から、「80になったらやめるタイミングかな…」などと具体的な事を言われることが多いです。年代で答えず、「あと5年か…」などと言われることもあります。

 ご自身で発言したやめ時のタイミングは、本当にベストタイミングであることが多いです。そのため、例えば、あと5年と言う話題が出たりした場合には、その5年に備え、周囲の公共交通機関の利用の仕方や、体力作りのための自転車などの活用、または歩き、それから親族での送迎の環境調整など、準備を進めておくと良いと思います。車のない生活にそれほど困らない現実を用意してしまうと、必要性というものも軽くなるため、がむしゃらな抵抗が減ってくると思います。

 とにかく、人生の中で長年磨き続けた運転技術です。やめることは、簡単なお話ではありません。前々から、準備をし、問題提起をし、その卒業のタイミングに環境をしっかり整えておくと良いと思います。自己宣言は、実施しやすい条件でもありますので。

 

 

 

適当のおすすめ

 完璧主義と言う言葉があります。この言葉の意味はとても深いと思いますが、とても人間離れした理想的な世界とも言えるかと思います。もちろんみなさんおわかりとは思ういますが、完璧というのは、「完全であって、何一つ欠けることのない状態」と言うことで100%、あるいは100点満点と言うことになりますよね。それを主義とするわけですから、常に完全で何一つ欠けてはいけない100点満点を常に続けることとなりますよね。できますか?

 もちろん、私にはできるとは思えない事柄にはなります。100%や100点満点は、もちろん、とれないわけではないけど、いつもずっととり続けることが必須条件とされてしまえば、耐えられないところがあります。とにかく人ですからね、ヒューマンエラーはつきものです。だから、理想論となります。

 

 しかし、この完璧というのは、職種によっては常に求められることがあります。些細なミスが命取りとなるような事柄は全てです。私が属する医療の世界は、完璧主義の塊のようなものです。もちろん、これは医療に限った話しではありません。通勤で目にする電車の運転手から車掌さんまで同じですよね。世の中には、完璧主義を求めるものは、たくさん存在することは確かなため、この完璧という考え方は、なかなか捨てがたいものがあります。

 実際のところ絶対条件に完璧を必須とした場合、みなさん、まともに行動できますでしょうか?緊張と緊迫のため、身動きできなくなってしまうのではないでしょうか。人は完璧を求めると、求めるために、不安が高まりできなくなってしまいます。また、いつも常に常時という状況においては、持続できません。これが人間というものです。

 このため、人はミスをするものであることを前提に、ヒューマンエラー対策がたくさん備えられています。医療の現場で言えば、ダブルチェックであったり呼唱確認をしたりというものです。また、さらには機械化という力を借りて完璧を可能な限り保つようにしているわけです。これだけ、完璧を保ち続けることは難しいことです。

 

 さて、この完璧主義は、お仕事においては、常時求められてしまうこともありますが、プライベートや対人関係という人間らしい生活の中で求めてしまったりはしていませんか?「人付き合いにおける気遣いを完璧にしなければならない」、「生活のスケジュールは完璧である必要がある」などなど。プライベートにこの完璧を求めてしまうと、とても精神力が持ちません。なにしろ、完璧でなかったら、全て失敗という事になりますからね。例えば、待ち合わせに波あらゆる理由があったも遅れてはいけないという事でもあるので、道中何があっても大丈夫なように、待ち合わせ時間よりも何十分も前に現れてしまったり、ちょっとしたメールのやりとりにおいても、間違った言葉がないかどうか気になりすぎまともに書けなかったり…

 ここでおすすめが「適当」です。怒られてしまいそうですが、完璧を手技としていないために、ブログを毎日書いてきていますが、おそらく誤字脱字は…山盛りでしょう。誤字脱字を含めて、読み返しを推敲し、きちんとした状態でブログを出すとなった場合には、おそらく量的には、週に1つ出せるかどうかとなってしまいます。批判もされるとは思いますが、概ね…誤字脱字があってもお伝えしたいことは読み取ってもらえるだろう…と言う気持ちで書いています。誤解…あるかもしれませんが、その時はその時…お叱りのお言葉をいただければ、気づけるもの。そして、その時に修正を行えば良いとブログは思います。しかし、患者さんに説明を行う病状説明はそうはいきません。じっくりと言葉を選んで丁寧に見直しをした分所を示したりしています。

 この、強弱をおすすめしたいと思います。「適当」という言葉は、完璧主義のかたからすると、「ちゃらんぽらん」と解釈されてしまうことがあります。しかし、決してこの言葉はそんな意味ではありませんよね。「ちょうどよいこと、適切なこと、適度に当たっていること」と言った意味ですよね。そう、このリラックスが大切だと思います。毎日の生活を完璧にこなすとこなせるものもこなせなくなります。精密な事を行うときには、完璧度を強め、プライベートで特に厳密性がないものについては、力を抜く。この適切さが必要ではないかと思います。

 

 以上のように完璧は完璧で大切な概念ですが、常時完璧では力尽きてしまいますので、力もほどよく抜いた適当さを是非疲れたときには意識してみてはいかがでしょうか?このブログも、深く読んでいくと、おかしな日本語もあるかもしれません。お叱りも受けるかもしれませんが、固いようでリラックスした雰囲気を味わってもらえると幸いです。

 いずれ、完璧主義が実際業務効率が悪くなることについて触れて見たいと思います。…いつになるか分かりませんが…。

 

 

 

 

 

ジェネリック医薬品について、改めて考えてみる

 ジェネリック医薬品という言葉が世の中に広まって、どうでしょう10年以上は経過したと思います。業界では、先発品と後発品と言う言葉で長く広まっていて、後発品だけジェネリック医薬品としてマスコミなどで取り上げられているというのが現状です。このジェネリック医薬品については、最近結果的には「粗悪品」だったというお話もあり、ジェネリック医薬品についての認定要件の見直しが進みつつあります。現状の中でそもそも、先発品と言われている医薬品とジェネリック医薬品(後発品)とは何が違うのかを検討してみたいと思います。

 

 まず先発品についてですが、これは世の中に最初に認可を受けた製薬のことを言っています。すなわち、そのメーカーさんが、物質を開発し、その物質で動物実験、それで効果を確認した上で、次に臨床治験などを行い、明らかに病気の治療として効果があると言うことが、高いエビデンスレベル(とても精度の高い根拠を以て)で証明されて、最終的に厚生労働省が医薬品として病院で保険診療で用いて良いと言われるようになった医薬品を先発品と言います。

 次に後発品ですが、これは、開発などは、既に先発品として開発してある医薬品を用いているわけですが、その特許が切れたところで、その先発品が出している形をまねして条件を満たした上で、厚生労働省の認可の上で保険診療の医薬品として販売して良いというものです。

 先発品は、開発費用からその物質の安全性や危険性などを調べ尽くした上で、多くの治験を行いようやく厚生労働省から新規医薬品として認可されて販売するため、創薬と言われているところに、数百億円もの予算を投じた上で市場に登場することとなります。一方で、

 一方で後発品は、この創薬のための研究開発費は一切かかっていないというところが特徴です。ただ、錠剤を後発品として出す場合にしても、医薬品の物質としてのコストはかからないにしても、錠剤を作成するためには、それなりの条件があるため、錠剤という形にするための開発費用はかかります。もちろんこの開発費用は先発品もかかっているものですので、明らかに先発品のほうがかかっているコストが高くなり、後発品は安くなっていることとなります。

 これが、先発品と後発品とのお値段の違いという事になります。厚生労働省ジェネリック医薬品を推奨している理由は、いつまでも先発品を使い続けると、その分創薬コスト分を上乗せした先発品の法がお値段が高いので医療コストが跳ね上がってしまうため、創薬コストをかけていない後発品にできるだけ早く移行して欲しいという思いから出てきています。

 先発品メーカーは、新薬を創薬しても結果的には、ある程度の期間でジェネリックも出てきてしまうため、利益幅は大幅に押さえ込まれてしまうと言う事になります。製薬企業の収益が低迷しつつある理由はそこにあったりします。この収益が次の創薬につながるはずなのですが、徐々に開発費用も押さえ込まれ、開発し尽くされたことにより、さらに、創薬コストが余計かかるようになっているため、徐々に苦しくなってきています。

 

 さて、開発メーカーさんやジェネリックメーカーさんの個別のお話は置いておいて、この先発品とジェネリック医薬品とでは、本当に同じお薬なのでしょうか?これに対する答えは、実は、「No」なのです。ここが微妙なところで、微妙なさじ加減を考えると、気になるところなのです。厚生労働省は、ジェネリック医薬品の認可要件に「相同性」を証明することを必須事項としています。そのため、先発品で売られている医薬品が、適切に同じように身体の中で吸収されていくように作られていれば、それで良いという事となります。

 すなわち、例えば、同じように見える錠剤だけど、錠剤を固めるための材料(基剤なんていいますが)は指定されているわけではないため、先発品の実薬以外の固めるための物質は、実は、ジェネリックとは同じではないという事になります。そういう点では一緒ではないという事となります。

 ジェネリック医薬品の勝負の付け所は、実は、この先発品の物質を如何に良い形で身体の中に吸収できるようにするかという事が重要なポイントとなります。先発品の飲み心地などを調べた上で、飲み心地がより一層良いものにしようとして開発を進めるジェネリック医薬品のことをジェネリックアドバンテージなんて言ったりします。この場合、先発品よりもいいじゃないか…っていうことになったりすることもあります。ところが一方で、厚生労働省の要件にはあるものの、作り上げた錠剤としての長期安定性や厳密な意味での吸収の時の基剤の影響などは実際異なっている場合もあるため、ある薬は、思ったよりも作用時間が短いように感じてしまったり、効き始めにちょっと時間がかかったりと言ったような変化が生じる可能性があります。これも、時と場合によっては、メリットにつながる場合もあります。

 しかし、ジェネリックの中では、粗悪品なんて言われるものもあったりします。時々業界の中で言われているのは売り逃げなんていう言葉があったりしますが、とりあえず、いち早く市場にジェネリックを発売して、ある程度売っていくうちに色々と話題が出そうな時期を見計らって撤退するといった売り方です。めったなことはないのですが、錠剤ではなくて例えば小包装の液剤だったりすると、液剤を飲もうとしても陽気の中に残って飲みきれなかったり、味がとても悪かったり…などなどです。確かに相同性は担保されているのですが、微妙ですよね。

 

 先発品は、とにかく、新薬から開発されて特製をよく把握した上で製品として作り上げられた一定の定評のある医薬品です。ジェネリック医薬品は、実薬としての相同性を担保させた模造品と言うこととなります。模造品は、大元をこえることもあったり、逆に下回ったりすることのどちらもあるため、いい、悪いという言葉では言えません。ジェネリックも問屋さんレベルでは、お値段に差があります。安かろう悪かろうというわけではないと思いますが、厚生労働省が補償しているほど全くそれぞれが同じであるとはちょっと言いにくい部分もあり、日頃のお薬と向き合うときには、一応念のため、先発品のオリジナルな製品名から、「物質名称+後ろにメーカー名」と変化したとき、またメーカー名がさらに変わったときなどには、ちょっと注意をしてもらうといいかもしれません。気にしすぎてもいけませんが、何も気にしないのも微細な変化に振り回されることにもなりかねません。だいたいどの医薬品もジェネリックが登場すると、10から20くらいのメーカーさんが発売してきます。そして、薬局は、様々な情報を加味し、それぞれの薬局の方針に基づいて、問屋さんからジェネリックを調達します。そのジェネリックと相性が合わない場合も考え、大抵は先発品を標準薬として確保はしてあると思います。気になったら、遠慮なく薬剤師に聞いてもらうと良いと思います。

 

 結論としては、ジェネリック医薬品は、先発品という創薬の開発費用が含まれていない医薬品ですが、実薬としては一緒であり、一応相同性が厚生労働省の必須条件として作られたものですが、錠剤に固めたり、液剤などの小包装の容器など、それぞれのジェネリックメーカーさんの独自の開発によるところがあるので、一緒とは言え、全く同じではありません。なので、同じお薬とは言っても名称が変わる場合には、一応体調の変化に注意をしましょう。そして気になることがあれば、お薬をもらった薬局の薬剤師に問い合わせをしていただくと良いと思います。